見出し画像

鑑賞記録「悲しみは空の彼方に」

みなさん、こんばんは。NOZOMIです🍃

今回紹介するのは、1959年に公開された映画「悲しみは空の彼方に(Imitation of Life)」です。対比された2人の女性の生き方は、現代の人々にもたくさんの問いを投げかけてくれています。


充足を追い求めた先にあったのは空虚

人が何かを獲得しようとするときには、思いのほか多くのものを犠牲にします。
この映画では、ハリウッドで一番有名な女優になるまでのローラの軌跡が描かれています。
社会的な成功とは裏腹に、「家族を養って幸せにする」という初心さえも見失っていくのです。
急激な経済成長、権力社会、、こうした激動のアメリカ社会の中で必死に生きていく一人の女性。
その生き様は一人の女性としての勇敢さを感じられる一方で、自分の欲望や社会に翻弄されている姿に映って見えます。
結果として、夢に見た大女優に上り詰めた後、彼女が覚えたのは虚しさでした。
また、ローラの娘スージーは、いつも演じること(仕事)を優先する母に対してずっと抱いていた寂しさを涙ながらに告白しています。
何も持っていなかった頃に感じられた小さくても確かな幸せ
この母と娘の関係から何とも言えない気持ちになりました。

あのころは 何もなくて それだって 楽しくやったよ
メロディー いつのまに 大切なものなくした

玉置浩二「メロディー」


絶望から始まる人生

黒人メイドのアニーは社会的に抑圧されて生きています。
この時代に生を受けた以上、アニーが人種差別から抜け出すことができないのは明らかです。
そんなアニーが唯一希望を見出せたのは、死後の世界。
彼女は自分の生き様を葬儀で表現しています。
多くの人々に囲まれた豪華な葬儀。
これまで語られなかった彼女の人生が露呈します。
死をもって初めて、一人の人間として社会的に尊重される光景はなんともいえないものがあります。
最後まで多くを語らなかったアニーですが、時代背景が分かると彼女の胸の内を想像することができます。
雨に打たれながらもその手に抱えた小さな灯を大切に大切に守っている。
そんな姿から「高貴に生きる」とはどのようなことなのかを考えさせられました。そして、「死生観」についても同様に考えさせられます。



少し重たい話になってしまいましたが、人間の隠された欲望や人生の本質を描いた作品だと思います。こういった繊細なテーマは、書き手の語彙力が求められますね。

言語化するのが難しかったのはもちろんですが、作品を通して私が考えたことのうち、5%くらいしか表現できていない。そういったもどかしさが残ります。ちょっとした言葉の選択により、誰かを傷つけてしまうこともありますしね。「伝える」って難しい!!

私たちはいろいろな選択を繰り返して生きています。でも、個人でコントロールできる部分は本当にごく一部で、どんなに理不尽でもどうにも覆せない問題もたくさんあります。
個人で解決できない問題を解決しようとして抵抗することは、その後、望まない対立を引き起こしてしまうことがあります。

人間はなぜ学ぶのか


人間が学ぶ意味は、自分の力を伸ばしていくことというよりもむしろ、自分の小ささを認めていくことではないでしょうか。私たち人間は非常に小さくて弱い、寂しい生き物である。

考えごとのメモ


そんな風に思いました。

なるべく他者を攻撃せず、小さく賢く生きたいものですね。これがなんとも難しいのですが。

この記事が、みなさんの心に届き、生き方を考えるきっかけになれば嬉しいです。この作品に敬意を込めて。

最後までお読みいただきありがとうございました💛

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?