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「自分の天才性をビジネスに落とし込み、唯一無二のポジションをつくるための天才系(アート型)ビジネスの世界にどっぷり浸かる短期留学プログラム」の卒論


私はこの7月からの4ヶ月で、ガラッと考える事が変わりました。

思い返すとこれまで「会社の中でどうやって頭角をあらわせるか」とか、「Capoeiraのグループでスター選手になれるか」とか、限られた組織の中で認められようと足掻いてきた人生でした。当然自分の価値観とその組織を支配する価値観は違っていて、それでも認められたいという気持ちが強くて、その矛盾を抱えたまま、無駄に時間と努力を重ねてきたと思います。

しかし、自分のビジネスを始めると、今度はどこに標準を合わせれば良いかわからなくなりました。どんな自分が誰に何をアプローチすれば良いのか?手探りで自分を知る事から始めていましたが、その時は本当に断片的な事しかわからず、「ビジネスやるなら大量行動!」と言われても、軸が定まっていないので、どうにもダッシュ出来ない。

そんな時にオンラインBarでやまけんさんに出会いました。↓にも書いていますが、やまけんさんは私よりも私を理解してくれる人かもしれない!と感じ、即決で天プロに入団したのでした。卒論には、自己理解から他個理解、そしてビジネスへの展開まで記しております。

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天プロ卒業論文              2020/11/28 ノトヨーコ

天プロに入る前、私は自分が何者か全くわかっていなかったにも関わらず、分析しようとしたこともありませんでした。他人と比べてどうこう思い悩むことも放棄していました。今思うと全てを諦めていた感じです。

Barやまけんに通って、自分で自分の感情がわからないのはなぜか?自分の事を話したいと思えないのはなぜか?と考え始めた事がきっかけで、自分のおかしな部分を一つずつ拾い上げ、考えるようになりましたが、そう簡単に答えは見つからず。そのような時に明快なヒントを次々出してくれたのが、やまけんさんでした。

それは他人が自分のことを理解するなんて不可能と感じていた自分にとって、本当に奇跡的な事で、この人だったら私の事を理解して、自分に教えてくれるかもしれないという淡い期待で天プロに入りました。

天プロに入った当初は、とにかく自分が何者か理解したいという気持ちが強く、ビジネスのお話は半分くらいしか頭に入っていなかったと思います。怒涛のチャットや、やまけんさんから次々と出される様々なトピックに対して、懸命に考えアウトプットするうちに、自然と自分の過去の体験が未消化で残っていることに気づかされました。

過去の消化から自己理解へ

1-1. 母親のトラウマ

まずは、考えてもみなかった母親のトラウマが出現しました。
母は、私が幼い頃から悪い風に目立たないように、育ててきたので私は優等生の道を素直に進んでいました。親から私は反抗期がなかったと言われていますが、反抗しない代わりに自分を押さえ付けてなんとか処理していた事がわかりました。感情がわからなくなったのも、自分の感情に気づかないよう制御し続けて、やがてそれが癖になってしまっていたのだと思います。

高校でニーチェを知った時「これだ!」と思って啓示を受けたように感じたのは、大衆の意見に流されて風見鳥のように生きる母親に対する抗議も含まれていたのだと思います。ニーチェの教えを学べば学ぶほど、人間たるもの確固としたプライドを持って、結論無意味な人生に立ち向かわなければならないと考えるようになり、すぐ弱音を吐く人や、考えずにただ周りに迎合する人、偽善的な人を疎むようになりました。すると周りの人はほとんど嫌いなわけで、仙人になって山里深く、天に近いところで空を喰って生きたいと思うようになりました。

しかし、大学に行くと多種多様で個性的な人々が集まっており、私は人間も捨てたもんじゃないと思うようになりました。個性の認められる環境に身を置く事で、次第に人間嫌いはなくなり、アングラな友達やOBと仲良くなりました。よく行っていた所といえば神保町で、80年代の雑誌やギターやらにまみれて過ごしていた記憶があります。初めてのバイトは神保町のイタリアンで、そこのソムリエに可愛がられてワインを勉強するようになりました。夏休みが3ヶ月くらいあったので、フランスやUSのワイン産地への短期留学を繰り返しましたが、そのモチベーションの根底には、個人主義が当たり前の、欧米の文化を自分のものにしてしまおうという裏の狙いがあったのだと思います。欧米では意見が違ってもはっきりいう事とか、目立ってしまうことを気にせず好きに振る舞う事などを「文化として」身につけてしまえば、親も世間も文句は言わないだろうと。この考えは的中して、母親は日本にしては非常識で身勝手な私を観念して受け入れたようでした。今でもお小言や不満は多いけれど、私が親の言う事を聞くわけない事を前提にした抵抗でしかありません。

1-2. 本当の自分を受入れられない理由

私は初潮も遅く、20歳すぎまで自分は男でも女でもないという、ニュートラルな感覚で過ごしていましたが、大学受験前に病院で結局は女であることを診断されてしまったのです。

哲学の世界では、女性が主体的存在として扱われることが殆ど無いので、女性に生まれたことを悔やみ、母親や女子高校時代の友達と同じにされる事を恥じました。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」女性実存主義哲学者ボーヴォワールはの言葉ですが、つまり近代社会において女らしいとは、男社会の中で男が決めた「女の定義」に従うことであり、女はそれを引き受け、女らしくなろうと努力する構造になっているということです。

人間として永劫回帰な人生を引き受け、強く生きようとしているのに、社会の中ではそのような生き物として扱われることにどうしても我慢がなりませんでした。そのためか、結婚して楽になろうという考えは一度も浮かんできた事がありません。今も共に戦う人生のパートナーは欲しいけど、結婚したいとは思えません。自分を完全に「女性」という立場に貶めたくないのだと思います。

1-3. 騙され続けることとは

このような若年の人生を歩んだ私なので、初めて聞いた陰謀論には瞬間的にハマりました。「あなた方がこれまでメデイアや教育などで吹き込まれてきたことはみんな嘘で、世界の数%の人間の広大な計画の中で操られているだけなのだ!」という訴えに対し、実存主義者の私としては、「なぬっ!そうであったか!」と真っ先に呼応してしまい、事の信憑性を猛スピードで確かめ始める訳です。そうすると今の時代、そのエビデンスらしき情報がインターネットにゴロゴロ転がっているので、それらを調査しているつもりがいつの間にか完全に洗脳され、物事の一面しか見れなくなってしまいました。

なんとか自力で帰還しましたが、思い起こせばこのかた、定期的に騙され続ける人生を送っており、只今人生3度目の破産の危機に遭遇しています。「お金に執着がなく、面白そうならばすぐ手を出してしまう」というのがその根本原因だと考えています。ギャンブラー気質なのかもしれません。お金でスリルと興奮を味わえるならば逃す手はない、と普通に考えてしまうからです。

師匠は、今後も騙され続けるようにとおっしゃります。その真意はよくわかっていませんが、ご自分もこの手のストレス耐性が強く、以前はお金が尽きてからまた働きだすような生活をされていたとのことでした。しかしお金が底を突く様な生活は、中々心身共に消耗が激しく、日常やらなければならない事がこなせなくなる時があります。しかし人生のエピソードとしては、ただ過ぎゆく日常よりも記憶に残り、人生の教訓が生まれるという意味では良いのかもしれないと感じています。

自己理解から他己理解へ

2-1. 同時進行システム
昨今の私は、人と深く関わる事は避けていました。これまでの経験から「どうせ相手は自分を理解しないで縛りつけようとするに違いない」という恐怖と諦めがありました。またその他大勢の人たちに対しては「本当の自分をさらけ出して引かれるのも煩わしい」と考えていたので、充分許容範囲のある人だと確認するまでは、容易に自分の事は話そうとは思いませんでした。

天プロで、やまけんさんという理解者に隅から隅まで分析してもらい、本当の自分があばかれて行く中、天プロのみんながそうなんや〜と自分をフラットに受け入れてくれて色々な解釈をくれるプロセスは、素晴らしいものだったと言わざるをえません。これはやまけんさんを頂点に、自己理解と他己理解がほぼ同時に進行するという事であり、効果的かつ効率的で、半年でこの成長や進化は本当に凄いと思います。

私の様にあまり人を好きにならない人間でも、天プロの仲間に関しては、これまでどんな人生を送ってきて、今どの様な状態であるかが何となく理解できているので、その個性を丸ごと受け入れ、末長くこの先を見守っていきたいという気持ちになります。これまでの長い人生、そんな相手は付き合った30人くらいなものです。自分から仲良くしようする事がなかったので、色々話せる同性の友達がほとんどいなかったのですが、天プロで同性の仲間がたくさんできたのは非常に喜ばしく、人生の宝物と感じて居ます。

2-1. キャラ設定
博多のカラオケがきっかけで、師匠に「パンクなイメージ」と「個々のライフスタイルを重視したダイエット」というコンセプトをいただきました。椎名林檎は歌詞に共感し、2年前からかなり聴いて歌っていますが、Hキャラは男性に媚びる感じがして、どうもしっくりこないところがありました。一方、何となく「パンク」から80年台の戸川純のイメージが思いつき、より自分にはあっている感じがしました。独自のテンポがあって、超マイペースで、周りに迷惑もかけるが、ピュアに本能で生きている感じ。

このところライブ配信などをするうちに、自分ではいくらテキパキ喋っても、のったら聞こえるという驚愕の事実が発覚し、どうしたものか?と考えて居ましたが、もう自分のリズムで良いわ。と思える様になりました。キャラって、自分のなりたいイメージを思い込む事である程度は近づけるものだと思いますが、どうしても変えられない部分もあるし、やっぱりあらゆる場面で本性が垣間見える訳で、完璧にプロデュースされるのでなかったら、今あるものを良い方向に活かすべきなのだと思います。しかも自分で何でもやって行かなきゃならない個人事業家としては、そのままの自分で発信できないと色々大変になってしまいます。私は今回マイペースなボケキャラを決め込んだおかげで、色々と細かいところから楽になっているのを感じます。

             

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