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いつでもそばにいてくれる喜び 「店に来ることが僕の活力に」 

私が働くイタリアンレストランの常連客の林隆志さん(52)は、2014年12月に近くのマンションに引っ越して以来、店に親子で通ってくれている。

ALS※(筋萎縮性側索硬化症)と生きる妻、利恵子さん(50)の夜間の介護を担っていた林さんが、夜にも飲みに来られるようになったのは、リストラによる転職がきっかけだった。

夜勤のある仕事に変わり、夜間の介護をヘルパーに全面的に委ねるようになったことで、夜に来られるようになったのだ。

林さんと利恵子さんのお話を聞いていると、運命に自分や大事な人の人生を台無しにはさせない意志の力、どんなことがあっても幸せをつかむ人の底力を感じる。

そしてその日々の喜びに、うちの店が少しでも役立っているなら誇らしいのだ。

※手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん動かなくなっていく進行性の神経難病。治療法がまだ見つかっていないが、人工呼吸器や胃に開けた穴から栄養を補給する胃ろうなどを作って長く生きられるようになった。体が動かなくなっても感覚や内臓機能などは保たれる。

【前編はこちら】常連の林さんとALSの妻、利恵子さんのこと

親子で店の常連さんに

林さんだけでなく、息子の倖大(こうた)君(15)もうちの店の常連さんの一人だ。

ALSと診断されてから、妻の利恵子さんが近しい人に近況を報告するために書き、林さんが編集していた家族新聞「りえこ新聞」にも、倖大くんと店が登場する。


林さんの姪っ子と甥っ子が遊びに来て東京ドームシティにみんなで遊びに行った日の出来事だ。利恵子さんはこう綴る。

この日はマンション近くにある倖大お気に入りのパスタ屋でランチを食べてから出かける予定にしていたのですが、驚いたことに、倖大は姪達を駅に迎えに行く前にその店に一人で立ち寄り「今日みんなでカルボナーラを食べに来るね!」と予約をしてくれていました!こんな8歳児いますぅ?これもまたチャラ男の予兆でしょうか?

「りえこ新聞 3rd Life 〜私はお母さん〜」第54号 (2015年11月25日発行)

「マスターも倖大のことを覚えていてくれて、よく話しかけてくれるんですよ」と林さんは言う。

でも、林さんは飲むことが好きなのに、かつて店に来るのはランチが精一杯だった。

リストラで夜勤のある会社に転職 24時間介護に

その状況が変わったのは、転職がきっかけだ。

林さんが開発プロデューサーを務めていた大手パチンコメーカーがコロナ禍による業績悪化に陥り、650人もの希望退職を募ったのは2020年12月のことだった。退職金も割増しになる。巻き込まれた林さんもこれに応じた。50歳だった。

転職した仕事は、デスクワークだったこれまでとは全く違う職種の肉体労働だ。大きなビルの地下にある汚水槽を清掃する仕事だという。給料は半額以下になった。

でもそれまで貯めていた貯金や、夫婦の老後の生活、子供にかかる学費などを計算すると、収支トントンでやっていける年収ラインには達していた。

「妻が病気になったこともあって、結構質素な生活をしていたんです。無駄遣いするわけでもなく、車を買うわけでも高級時計を買うわけでもない。貯蓄はそれなりにしていたので、今後の人生、破綻せずにやっていけるだろうという見通しが立ちました」

椅子に座ってパソコンをいじる仕事とはがらりと変わった。それでも林さんは飄々としている。

「太ももまである長靴を履いて、ブラシを持って汚物の溜まった汚水槽に入っていって、洗いまくる仕事です。きついですが、実労働時間は短いのが魅力でもあります。例えば、先日銀座の商業ビルで行った清掃は、現地で仕事を始めたのが午後11時で、終わるのが午前2時ぐらいでした」

そこから会社に戻ってシャワーを浴びて、汚れた作業着を洗濯して帰ると、明け方4時ごろになる。仕事明けの日は休みだ。

この夜勤が月に8回あるため、夜間の介護を担うことができなくなった。ヘルパーによる24時間の介護を受けるために住んでいる自治体に申請すると、2021年夏、すんなり認められた。会社が夜勤の証明書を書いてくれたのも大きかった。

週2〜3回来店 美味しさとシェフの人柄と

パチンコメーカーに勤めていた頃も、コロナ禍でのリモートワーク中にうちの店に来てランチの時間にビールを一杯程度飲むことはあった。それでも、前菜などを肴にゆっくり飲むことはできなかった。

夜勤明けに取材したこの日、うちの店のランチでビールを一杯

転職で夜間の介護を手放したことで、初めてふらりと夜、店に寄ることができるようになったのだ。中学3年生になった息子も一人で夜過ごせるようになり、今では夜勤明けの日に週2〜3回は店に寄る。

「単純に美味しいです。ランチも含めたら常連として何年も通っているのですが、常に新しいメニューが出てきますよね。しかもどれも極めて美味しい。それがすごい。食材の選び方もセンスが良くて、普通のイタリアンでは食べられないものを食べられるのも嬉しいです」

最近のメニューでは「ヤゲン軟骨のペペロンチーノ」や「レンコンのスパイス煮込み」「かぶとシラスのシェリービネガーマリネ」が特にお気に入りだ。

「ああいう小ぶりのメニューがいちいちどれも美味しいので、一人で飲むのにちょうどいい。何度通っても飽きずに食べられます」

林さんが座る定位置は、料理を作るシェフと一番近く、話ができるカウンター席だ。

「マスターの人柄がいいですよね。面白いし、楽しい。ちょっとたわいもない会話を交わすことで、息抜きになっているんですよ。マスターって常にお客さんのところに話しに行くじゃないですか。『味はどうでしたか?』とかね。あの気の使い方は素敵だなと思いますね」

そんなシェフの体調も気遣うところが、林さんらしいところだ。

「逆にシェフが体を壊さないか心配しています。ハードワークと仕事中に飲み過ぎている姿を見ているので。ずっと店を続けてほしいですからね」

利恵子さん「わ・た・し・も・い・き・た・い」

妻の利恵子さんは、林さんがうちの店に通うことについては「呑みすぎなければOK」と快く送り出してくれているという。

利恵子さん本人にも直接聞いてみた。

ヘルパーさんが利恵子さんの言葉を読んで伝えてくれる

「林さんがうちの店にちょこちょこ食べに来てくれるのをどう思いますか?」

気管切開で声が出せなくなり、文字盤を指すこともできなくなった今は、ヘルパーさんが「あかさたな」と五十音を唱え、わずかに動く口元の合図で言葉を拾う方法でコミュニケーションを図っている。

「よ・く・い・て・ま・す・ね(よく行ってますね)」

頻繁に店に来るのをどう思っているのだろう。ちょっと心配になって、「ちょくちょく飲みに行くのは嫌ではないですか?『快く送り出してくれる』と林さんは仰っているのですが」と聞くと、利恵子さんはこう言った。

「わ・た・し・も・い・き・た・い」

そうか、利恵子さんもうちの店に行ってみたいと思ってくれているのか。きっと林さんが楽しそうにしているから、そう感じてくれるのだろう。

よく、介護される人は家族の介護の負担に対して「申し訳なさ」を抱くと言われている。利恵子さんが林さんと一緒に発行していた「りえこ新聞」にも、その思いがちょこちょこ現れていた。

利恵子さんは林さんが気晴らしに飲みに行けるところができて喜んでくれているのではないだろうか。

林さんはこう言う。

「そうかもしれないですね。でも介護は生活の一部になっていたので、そんなに負担ではなかったんですよ。介護と同じように、マスターのところに通うのも今では僕の生活に組み込まれている感じです。夜勤明けの夜や、休日の木金のランチはマスターのところへ、というサイクルが出来上がっている感じですね」

「しかもその時間がすごく楽しい。ルーティンの一部になっているというよりは、ご褒美として生活の一部に取り込まれている感じです。『明日マスターのところに行けるんだから、今日の仕事を頑張ろうかな』という感じなんです。この店に来ることが僕の活力になっているんです」

妻からもたらされている「笑いの力」と「存在することの力」

「常連さんたちで林さんが一番紳士だと話しているんですよ」と伝えると、林さんが「紳士だってさ、利恵子さん」と笑いながら利恵子さんに話しかける。利恵子さんも微笑む。

ベースギターが趣味で、学生時代からロックバンドを組んでライブもやってきた林さんは、昔「ビジュアル系」だったそうだ。

利恵子さんに「林さんって本当にビジュアル系だったんですか?」と聞くと、「わ・た・し・は・み・た・こ・と・な・い」と返ってきてみんなで爆笑した。

妻がALSになることは、はたから見れば、配偶者にはとても過酷なことに思える。林さん夫婦ももちろん辛い時期を何度も経験してきたのだと思うが、今、目の前でお会いする二人はこんなにも穏やかで温かい。

利恵子さんが絶えず笑みをたたえていることもあるのだろうけれど、林さんも妻の病気や介護についてネガティブな言葉をほとんど口にしない。一緒に話していると、笑いがしょっちゅう起きている。
 
「それはりえが大阪生まれということがそうさせているのかもしれないですね。何でも笑い飛ばすというか。付き合い始めた頃は、『ボケは3回繰り返せ』とすごく厳しく指導されましたから(笑)」

林さんにとってそんな利恵子さんはずっとかけがえのない存在だ。

「前から感じていたのは『もし自分がALSになったらりえは絶対に見捨てずに限界まで寄り添ってくれるだろう』という想いです。その信頼感があるから今の介護が苦にならないし、まだまだ足りてないなとも感じています」

「りえがそばにいることで、『存在する』ということの圧倒的なパワーをもらっています。倖大にとってもそうですが、たとえ病気で寝たきりであったとしても、そこにはママがいて話しかけたら微笑んでくれるというのは本当にかけがえのない関係性です」

「『いま、そこにいる』ということ自体が、りえが家族に与えてくれているパワーなのかなと思います」

店の10周年には親子3人で来てほしい

取材後、私がバイトに入った夜にふらりと現れた林さんが、「ビジュアル系の頃の写真が見つかりました」と持ってきて見せてくれた。

ビジュアル系バンドを組んでいた頃の林さん

確かにビジュアル系でカッコいい。それでも今の落ち着いた姿とのギャップがすごくて爆笑してしまった。「利恵子さんはこれ見てなんて言ってましたか?」と聞くと、「苦笑いしていました」と答えるのでまた笑ってしまう。

10月にうちの店は開店10周年を迎える。バイオリンやギターが弾ける常連さんたちがお祝いに演奏してくれるというから「林さんも加わって演奏してくださいね」と頼んでおいた。

もしかしてビジュアル系の姿も披露してくれるだろうか。利恵子さんはまだうちの店に来たことがないという。うちの店で演奏して、お酒を飲んで楽しむ林さんの姿を、利恵子さんや倖大君も見にきてくれるといいなと願っている。
(終わり)

【前編はこちら】常連の林さんとALSの妻、利恵子さんのこと

※「りえこ新聞」は2016年6月25日発行の第61号まで続いたが、体調を崩して長期入院したことをきっかけに発行を終えた。今はヘルパーを派遣している介護事業所のウェブサイトで「りえこ日記」を林さんと二人三脚で連載している。このリンクで過去の「りえこ新聞」の文章も読める。

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