自分にかけた呪いを紐解くための二か月

コロナ自粛で、私は様々なことにおいて内面的に充実していたらしい。

1、自分にかけた呪いに気づいた。
自分が自分にかけていた呪いは
すごくないと友達ができない
えらくないと友達ができない
会話が続かないと友達ができない
親の仲いいところを見ていないから友達ができない
きれいじゃないと友達ができない
日々をちゃんとしないと未来不幸になる
お金を稼がないと不幸になる

でも、今気づいたこと。
すごさ、賢さ、お金、価値、キレイ、中身、存在価値、おもしろさ
等々。
これはすべて自分をすごいと思わせたいことからきているものであり、
私はこれを外面的価値だと思う。少なからず人のためにあるものではない。

自分の需要≠人の需要
であるのだ。

友達を作る際、実際重要であるのは、自分を受け入れ、自分に優しくなれるかということ
やさしさ、素直さ、受容性、聞いてあげる器の大きさ
誰かを幸せにできるかという内面的価値であるのだ。

2、すごいバロメーターへの自分投資
自分は何かすごくないといけないと思った。
でも世の中で活躍している人は「すごい」
のなかでも何ですごくなったのか、内容が一人ひとり異なっていたのだ。

運動ができてすごい
貧しい中でも人に分け合える心を持っていたからすごい
勉強ができてすごい
代々続く店を守っていたからすごい
人を笑わせられる力を持っているからすごい
素直に人にごめんなさいが言えるからすごい
素直に自分のルーティンを晒せてすごい

自分はすぐに自分自身に「すごさ」を求めてきたけれど。
それは他人が思うすごさであったから。
今はなんで「すごさ」に突っ張らないといけないのかもわからなくなってきた。そのままで息していても、いいんだよと思っている。

3、尊敬できる人を尊敬できる
これは姉と話していて思ったのだが。
姉が、電話越しに
「自分がかわいい人を言っても自分はどうせかわいくないとか言い出すんやろと思ってた」
「自分はこうやってうちにいるけどほかの人は何かをしてるっていうやろと思ってた」
と言っていて。
あ、自分って確かに何かと比べてはどす黒さを醸してたなあ、と気が付いた。
今は映画とかドラマを見てるから、人と話すことがなくて自分だけに集中できて。こういった感情もわかない、まっさらな状態で自分に接しれるんだということに気が付いた。泣ける映画でもめっちゃ泣くし。感情の出し方を学んだんだ、きっと。
かわいい人をかわいいと思う、尊敬する人を尊敬する、今は訓練中であるけど、まだ。今なら何となくできるようになってる。

4、本気=恐怖
自分は自分が本気になることが怖かった。
でも映画を見ていたら、最初はみんな怒られてて、みんな自分自身やほかの人と格闘してた。
そして、めっちゃ怒られていた人でも結局物語ができたのはそれを続けた人だった。
自分はできるできないで人の価値が決まると思ったけど、違った。
できなくても、いつまで本気でやってられるかだ。
本気って、すっごく難しいものだと思ってて、自分には似つかない、無関係なものだと思っていたけど。
本当はそこらへんにあるもので、簡単に手に入るのかもしれない、と思った。
そして、本気はそんなきれいなものではなく、衝突や馬鹿にされる、自分との格闘が付きものなんだということを気づいた。

5、本当は明るい自分
自分って、担任になった先生から必ず言われるほど笑顔が素敵って言われた。いつの間にか、笑顔のかわいい明るいノンちゃんはどこかに言っていた。感情を出すときに、これを言ったらなんか言われるという他人ストッパーが邪魔をして、自分を出せなくなっていたのだ。
本当は明るくて、色んな人とコミュニティを持つ。
それが自分であるならば、そんな自分になってみたいと思う。

これを聞いた姉が泣いた。やっと気づいたんだなあと言っていた。
自分はいつの間にか、調和がとれて、すごいところまで来ていたらしい。自分を大切にする、自分と向き合うってことが、誰も傷つけづにできていたらしい。

色々学んできたコロナ自粛はもうすぐで終わる。けれども確かに、これを続けていくっていうのもありかも。
こういう、誰からも邪魔されない生活。誰の感性や価値観にも惑わされることのない生活。
こういうのも、ありなのかも!??!
自分の精神がとっても安定して、幸せになれて、周りも幸せにできるのならば。

自分のペースで、一歩ずつやってみよう。

はにょーん♡
8
23しゃい女子の誰に向けてでもない日記。 変態くらいが心地よい。
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