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国策・国益の名の下に利用され、翻弄された女性の姿ではないでしょうか──山口淑子『「李香蘭」を生きて』

「どれひとつとっても自ら選んだ道ではない。偶然と「戦争の時代」という衣服をまとった運命に手繰り寄せられ、気づいたときには母国中国と祖国日本がせめぎ合う現場のただ中にいて、その火花を全身に浴びていた」

昨年亡くなった女優、歌手、政治家として多面的な活動をつづけていた山口淑子さんの自伝はこう始まっています。

李香蘭、潘淑華、シャーリー・ヤマグチ、ヨシコ・ノグチ、大鷹淑子、ジャミーラといくつもの名前で呼ばれた山口さんは中国で生まれ満洲で育ちました。
「「満州国」が建国されたのが昭和七年。「日満親善」「五族協和」のために奉天放送局が「満州新歌曲」という国民歌謡を作ることになったが、北京官話がしゃべれ、譜面も読めて日本語わかる中国人少女歌手」を探していたのですが放送局はそれにふさわしい少女を見つけることができませんでした。「日本人であるということを除けば」山口さんはその条件にぴったりだったのです。そして「ラジオなら顔が見えない」ということで山口さんは歌手デビューをすることとなりました、中国人スター・李香蘭はこのような中で誕生しました。

歌手デビュー後、彼女は北京に移り住むことになります。が「反日の機運が充満している北京で日本人、つまり東洋鬼子とわかれば身に危険がおよんだ」という雰囲気の中では日本人であることは明かせません。それを隠し続けなければならなかった学生時代を過ごした後、ある偶然から映画俳優として満州国の国策映画会社・満洲映畫協會からデビューすることになったのです。

彼女は心ならずもラジオでの歌手デビューの時から、さらに銀幕のスターとしても、満州国(同時に大日本帝国)の〈五族協和〉という国内・国外的な宣伝活動を行うために利用されたのです。〈五族協和〉は〈八紘一宇〉と並んで日本の侵略戦争を正当化するために日本帝国が掲げたスローガンでした。李香蘭は当時の日本国内も中国でも人気を博しました、「日本でも中国でも李香蘭は中国人で通っていた」のですが……。

そして迎えた敗戦の日。「私の祖国日本と母国中国の若者が、もう殺し合わなくてもいいのが心底うれしかった」という山口さんに危機が訪れます。中国人と思われていたため敗戦後、漢奸として裁かれそうになったのです。「最高刑は死刑」そして「スパイ容疑」までかけられたのです。親友の勇気ある働きで日本人であることが証明され、帰国を許された山口さんは女優として活動を再開します。戦時中時代の悪夢は終わったのでしょうか……。発給されないアメリカへの入国ビザ、そこには戦時中の影がまだあったのです。戦時中とは違った困難な戦後を山口さんは過ごすことになります。エディット・ピアフを始めとする数多い人との出会いとともに。この親友との話はまた波乱に満ちたものであったのですが。

ある年齢以上の人はテレビの司会者としての山口さんの姿をブラウン管(!)で見た人も多いのではないかと思います。彼女はその番組の中でベトナム戦争中の南ベトナムを訪れたりカンボジア、中東などの海外取材を積極的に行います。あるいは金日成国家主席と会談をしたり、レバノンで重信房子さん(日本赤軍のメンバー)のインタビューを行ったりしていました。
そこには「私は物心がついたころから戦争のさなかにいた。国と国、人と人とが殺し合う現実に囲まれていた」という実感からくる平和への願いが彼女の心の底にあったからではないでしょうか。この本の最後に「戦争のない世の中を夢見ながら」と記しているように。

この本では日本人憲兵がどのように中国人に対していたのか、満州事変がどのようなものであったのか、反日とはどのようなものであったのか克明に記されています。また知古であった川島芳子さんの漢奸裁判記録も収録されています。ぜひ読んでみてください。戦争犯罪人に対する中国人の考え方がうかがえるものだと思います。山口さんが出会った甘粕正彦を始めとするさまざまな人々の横顔とともに、満州国の姿、北京、上海での様子など歴史的な記録にもなっていると思います。凜とした姿で生きてきた彼女の姿とともに。

この本に描かれたように激動の時代を生きた山口さんには今の日中関係はどううつるのでしょうか。
また安倍首相が予定している70年談話をどう聞くのでしょうか。
文字通り日中の狭間で生きてきた山口さんがそれを聞いた時に何を感じるのか知りたかったと思う人は多いのではないでしょうか。

書誌:
書 名 「李香蘭」を生きて
著 者 山口淑子
出版社 日本経済新聞社
初 版 2004年12月17日
レビュアー近況:真っ白なスニーカーを下ろしました。直ぐ汚してしまいそうで、運動靴なのに本末転倒な足取りです。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.04.27
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3451

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