
28 -twenty eight-
1
朝起き上がろうとすると左腕に彼女の頭が乗っていた。すうすうと寝息を立てている彼女はウサギみたいに白く小さい。
本当にこんな人が、とつい疑ってしまう。
10月31日。そう、ハロウィンの日。
渋谷の真ん中で僕らは永遠を誓った。
「ワタシね、大きくなくてもいい、でも一軒家がいいの……」
声に振りかえると、彼女は幸せそうな顔のまま、まだ瞼をつむっていた。ふと、それが寝言だと気づく。
「うん。いつかね」
彼女の夢の中に描かれている家ってのはどんなものだろう、と考えを巡らせる。
デートの時もなんだかんだでおねだり上手な彼女はきっと大きくなくてもいいと言いながら結局は……まぁ
「困ったなぁ」
呟き、僕が頬をつつくと彼女が瞼を開けた。
「おはよう」
そう言うと、おはよう、と彼女が返して二人起き上がる。僕はホテルのカーテンを開け、彼女は下着を着けて僕の隣に並んだ。
「変わらないね」
そう言うと彼女の頭が僕の肩に乗る。
「何が?」
「いや、今日も何も起こらないなって」
まだ重たい瞼を薄く開いて、僕らは渋谷を見下ろしていた。
「街を見てるといつも思うんだ。ここはいっぱい人がいて、それに車の音とかしゃべり声とか。とにかく五月蠅くて、そんなもので埋め尽くされた所にさ、ワタシの入る隙間なんてなかったんだ。でも、でもね。今日初めてここに居場所が出来た」
そっか、と僕は俯き、彼女の手を握る。
彼女が僕を見て、奪った僕の視線をベッドに促す。
「あのね。ワタシもう少し繋がってないと不安」
声は少し震えていた。
「ねぇ、はっきり言わなくたって分かってくれるよね? 」
「わかった」
彼女にキスをして僕らはベッドに戻った。お互いが、自分の存在が何なのか。そんな悲しみに陥る間もなく僕らは入り乱れた。
シャワーを浴びてテレビをつけると、隣の国で起きているデモのニュースが流れていた。
「毎日、こんなの見てるの? 」
「ま、一応ね。一日の終わりにはほとんど忘れてるけど」
「つまんないよ」と言って彼女がザッピングして街のグルメ特集に変える。
「この後なに食べよっか」
うーん、と悩んでいる彼女も愛おしい。
過去はあまり詮索したくないのでしなかったが、話によると彼女は昔雑誌の仕事をやっていたらしい。だけどそれはすっぱりと辞めて今は映像作品に出るとかで。シャイな彼女は教えてくれないがこんなかわいいんだからきっとドラマか映画の主演なのだろう。きっとこれはサプライズなんだ。
「この後、結構長めの撮影入ってるから軽めのがいいな」
傷んでいるのか、毛先を見ながら彼女は呟く。
「そっか」
「うん。お腹いっぱいになっちゃうと集中できなくなっちゃうから」
「なるほどね。んじゃ、サンドウィッチなんてどう? 美味しいとこ知ってるんだ」
「うーん。いや、タピオカが飲みたい。友達が美味しいって言ってたところがあるんだ。一緒に行こうよ」
「あ、うん。いいけど」
意を決して送ったツイッターのダイレクトメールがまさか返ってくるなんて思わなかった。それが僕と彼女の出逢いだった。
プロフィール写真で良く韓国アイドルの口元だけアップして男をつる奴もいるが、彼女は違った。本物だった。
僕らはそれからお互い仕事が忙しいというのもあってよく電話するようになった。1時間でも、あるいは翌朝まででも。彼女の話は面白く、それに僕の話も沢山聞いてくれる。お互いを意識するのは時間の問題だったのだ。そして今に至る。
2
ホテルの会計を済ませて渋谷に出るとゴミが散乱していて、ボランティアの人々や、カメラを持った派手な髪色の人がこんなに拾ったと騒いでいる。僕は喧騒の中で先を歩く彼女の手だけを見つめていた。
「ね、手繋いでいいかな」
今更だね、と立ち止まって彼女がほらと手を出す。
「あったかいね、手」
彼女が僕を見つめてそう言った。
10月も昨日で終わり、もう11月だ。来月はクリスマス。彼女に何を買おうかと考えながら僕はそうかな、と空いた手で頬を掻いた。
「キミの手は冷たいね」
「そうだね。こうして欲しかったからかも」
彼女がはにかんで羽織っていたジャケットのポケットに僕の手を突っ込む。
彼女との距離が近くなって自然と肩が触れあい、僕は今のまま時間を閉じ込めておきたい、なんて思いながら渋谷の路地を歩いた。
タピオカ屋につき、電話が来たと言ってどっかへ消えてしまった彼女の代わりに僕は列に並んでいる。たかだかドリンクだというのに何故にこうも人が並ぶのか。買い終えた女子高生達は頬にタピオカの入った容器を当て、スマホのインカメで自撮りをしている。
「変なの」
呟いたとき、僕の頭の中に昨日の記憶が蘇った。
* * *
父さんが着ていたタキシードスーツが欲しくて実家に帰ったとき、丁度妹と階段ですれ違った。
「うわ、お前風呂入ってねぇの?」
妹の伸ばしっぱなしの黒髪は光沢を帯びていて、すれ違うときに香ばしい匂いがした。最近の妹は学校に全く行ってなく、部屋でオンラインゲームをやっているらしい。
「うっさいなー。これから入るっての」
「まさかお前……この時間までゲームしてたのか? 」
妹の口元にはのりしおのカスがついていて、目も充血している。
「別に、兄さんに関係ないコトじゃん。それよりそっちこそいきなり返ってきて何? まさかママに説得しろって言われたわけ? 」
きろりと睨まれて、僕は別に違うけどと口を尖らせた。
「じゃあ何しに来たのよ」
「いや、スーツ取りに」
その瞬間、妹が息を呑んだのが分かった。
「すーつ? 」
はっと目を見開いた妹は瞳を右へ左へ彷徨わせた後、下を向いた。
「兄さん、就職すんの? 」
妹の握った拳が微かに震えていた。
その時点で就職なんて別にする気もないのだから僕はすぐに否定すれば良かった。だけどなんで妹が何故そうしているのかが分からなくて僕は考えてしまった。沈黙を作ってしまった。
もういい! と妹は叫んで呆気にとられた僕を置いて階段を下っていく。
「ちがう、別に―――」
「お兄ちゃんだって、みんなだって、アタシだって! どうせミサイルで死んじゃうんだよ! 今更なんだってんだよ! 」
僕はその時妹を理解できなくなって、「変なの」としか呟けなかった。
妹の登校拒否が教師によるセクハラと言われない暴言によるものだと知ったのはずっと後のことだった。
* * *
3
車のクラクションが遠くで鳴って喧騒が耳元に返ってくる。地に足がついていることを感じた時、彼女も長い電話から帰ってきた。
「ごめんね」
そう言ってすぐ彼女は僕の手を取り、身体をくっつけた。
「仕事の電話? 」
「うん。でもね、今日向こうの都合が悪いらしくて全予定キャンセルになった」
「ほんと? 」
訊くと彼女が嬉しそうに頷いた。
僕らは数分列に並びタピオカを買って、二人で店先で飲んだ。店の名前に幸と入っているからか、飲むと甘さがほどよく口の中に広がり不思議と満たされていく感じがする。
「改めて言うけどさ、ほんとにワタシなんかでいいの? 」
「なんで」
「だってすぐに怒るし、我が儘だし、それにほら……コレ」
まるで悪いものを見せるように彼女は自分の手首を見せる。
寒さで凍り付いてしまいそうな程白い肌には細い傷痕が刻まれていた。
捲った袖の奥にもその傷痕は続いていて、夏は半袖が着られないんだと彼女が悲しそうに笑った。僕はソレを伏せるように彼女の手首を優しく包む。
「やっぱりソレ、猫に引っ掻かれた痕じゃなかったんだね」
おどけるふりをして笑う。
「気づいてたんでしょ? 」
彼女が笑い返してくれた。救い、救われた気がした。
「うん。でも僕はそういうの気にしないから」
そっか。と言いながら彼女は俯いて、僕が覗き込むと見ないでと言って僕の顔を押しのける。彼女に何があったかなんて分からない。でも僕ならソレを軽く、いや、無くすことすら出来る。
―――僕が彼女を守ってやるんだ。
そういう自信と自覚が胸の奥からふつふつとこみ上げてきて、僕は堪らなくなって立ち上がった。
「改めて言うよ。キミを幸せにする。約束するよ」
ほら立って、と僕は手を差し伸べる。彼女が手を握る。
「じゃあどんなときでも迎えに来てくれる? 」
「もちろん」
「どんな時でもだよ。わかった? 」
僕は彼女の問いに答えなかった。ここは言葉でなく行動で示すべきだと思ったからだ。
僕らはタピオカ屋の店先で抱き合った。行列に並ぶ人々が僕らを見ていたが気にせず僕は彼女の唇を奪った。
* * *
彼女と会うようになって一秒ごとにどんどんと彼女を好きなっていった僕は何か二人の中で確かな時間を作りたかった。だから結婚式をしようと思った。だけど日雇いバイトの身の僕は金がなく、預金をかき集めても安いリングを買うのが精一杯。だから僕は彼女に悪ふざけをしかけた。
〈ねぇ、ハロウィンの日さ、花嫁の仮装をしてくるなんてどう? 〉
すぐに既読がついて、返事が返ってくる。
〈えー……恥ずかしいよ〉
〈僕も、タキシード着てくからさ〉
そこで返信が返ってこなくなって、僕は彼女に電話するとやっぱり彼女が「いやだ」とごねるので、僕も必死になって彼女を説得した。そしてハロウィンの日が来た。
* * *
4
タピオカ屋を出た僕らは新宿テアトルで映画を見て、軽くショッピングをしてまた何故か渋谷に戻った。
もう夕方だった。僕らは珈琲を飲みながら渋谷のスクランブル交差点を見下ろしていた。
「ここであなたといたことをもう一度確認したかったんだ」
「そう。てかほんとに僕ここで言ったんだな」
「そうだよ。ワタシにちゃんと好きって言ってから抱いてくれたのなんてあなたが始めてだった」
「そう、なんだ」
そろそろ夕方のラッシュの時間が始まる頃だ。
ほら駅から人がわっと、焼き肉屋の煙みたいに吸い込まれていく。スクランブル交差点は、渋谷は、あっという間に人の海になってあのうねりのど真ん中にいたんだと思い出す。
「あー、なんか恥ずかしくなってきた」
顔を覆うと彼女は自分で言ったんでしょと笑う。
「いや、そうだけどさ」
「じゃあアレは嘘だって言うの? 」
彼女の表情はいつも極端だ。悲か喜。それしかないようにも思える。きっとこの間の表情を作ってやることこそが僕の仕事であり、カルマなのだろう。
「嘘じゃない」
気づけば僕は立ち上がっていた。普段、他人に対してこんなに感情をあらわにしたことなんかないのに。
丁度お茶時でカフェは混んでいて、視線が痛い。目の前の彼女はしばらく僕を見つめた後、「ありがと」と呟いて笑った。僕は風船が萎むように席に座り小さくなった。
「そうだ。ワタシさ入りたいクラブがあるんだ」
彼女の表情が何故か悲に切り替わった。
「クラブって……ヨガとか? 」
「違う」
* * *
雑誌を読み漁ってばっちりセットしてきたつもりだが、やっぱり不安になってブランド店のショーウィンドウに映る自分を見ながら髪を弄っていると彼女の声が聞こえた。
「こんばんは」
ローズレッド、ワインレッド、ボルドー。
様々な赤が彼女の着ているウェディングドレスに混在していた。赤は時には淡く、また時には艶めいていて。彼女がどうかな、と身じろぐとドレスの裾がふわり舞い上がり、光沢が波打つ。僕はたちまち目が離せなくなった。
「すごいね……」
右の胸から臍、そして裾へとドレスをなぞるように、螺旋を描き帯のように伸びる白のレースが彼女のスタイルの良さをより際立てていた。
「え、なにそれ。それだけ? 」
「いやいやいや、変とか別にそうじゃなくて、すごい似合ってるって……それが言いたくて」
こんなにも素敵な彼女を一秒でも不機嫌になんかしたくなくて僕が慌てて弁解すると、彼女は「行こっか」と言って僕の手を握った。
ゾンビメイクをした学生。カメラを構える外国人。煙たそうに人混みを掻き分けているスーツの人たち。
「気にせず行こ? 」
彼女の手に力がこもった。
道行く誰もが僕らを見ていた。囃し立てる者もいれば、呆然と見るだけの者もいる。僕はその度に人の姿を目で追った。こんなに有象無象がひしめき合っているのに、彼女の歩く道だけランウェイみたいに真っ直ぐ―――、
「やっぱ目立つか。いや、真っ白だといかにもって感じがして着れなかったの。ごめんね」
「いや真っ白じゃなくてもすごい綺麗だし、似合ってるよ」
「ありがとう。そういうあなただって」
彼女はきっと撮られることに、注目されることに慣れている。カメラが向くとそっちの方を見てにっこり笑ってピースした。僕はといえば自分のタキシードスーツ姿が気になって気になって仕方がなかった。だがこれからプロポーズするんだからと自分を必死に鼓舞して彼女の隣を歩いた。僕らはそれからバーに入って、適当にカクテルを飲む。いつもするような話をして、店を出た。
「もう27だし、流石にああやって浮かれてはいられない歳になってきたよね」
「浮かれてって、例えばどんな? 」
「ほら、去年の。軽トラ倒したニュース」
「あー、あれね。確かにもうそんな歳か」
信号が青に変わる。
見上げると渋谷のビルに象られた真っ暗で狭い空があった。
冷たい風が吹いて彼女が身をすくめる。ドレスから露出した彼女の肩に僕は脱いだジャケットを掛ける。
「あ、ありがと」
掛けたジャケットを小さい手がぎゅっと掴んで、彼女が震えているのを見たとき僕はそこで大事なことを思い出した。
「あのさ、」
スクランブル交差点のど真ん中。僕らは立ち止まった。
「僕ら、ずっと一緒にいない? 」
今思えば、あそこではっきりと結婚しようと言えば良かったのだ。
だけどよりにもよって僕は周りくどい言葉しか吐けなくて、それが悔しくて、その悔しさごと乗せてだったらと思い彼女の手を取って駆け出す。
その時世界が止まって見えた。
こんな人混みのど真ん中なのに、光が差しているみたいに僕の前にも一本の道が延びていて、僕は彼女の手を強く握って一歩一歩コンクリートを蹴りながら進んだ。
まるで夢の中みたいに自分の身体の動きがスローモーションで、僕はもどかしい思いで胸が張り裂けそうになりながらも必死に進んで笑っていた。
ウェディングドレス型の彼女とタキシードを着た僕を見て人々はきっと映画の撮影か何かだと思っているんだろう。誰もが僕らを見ていた。バカップルだと思うやつもいいただろうし、映画の撮影かとスマホのカメラを向けてくる者もいた。記者会見で瞬くカメラのフラッシュみたいに拍手が鳴りやまなかった。
残せ。
遺してくれ。
この一瞬を閉じ込めてくれ。
僕らは今確かに世界の中心にいるんだ。
カーテンコールの鳴り止まない渋谷が、いや世界中が祝福しているように見えた。拍手の音に混じって彼女は「今死んだっていい」と涙を空いた手で拭いながら呟いた。
「それな」
どうしようもなく今が最高だった。
そう想うのと同時に僕はこれ以上の幸せがこの先あるのだろうかとつい思ってしまった。
5
彼女がぶら下がっているのを窓越しに見たのは翌朝だった。
〈信じてる。待ってるからね〉
そんなLINEが朝方に入って、すぐ下のメッセージウィンドウに打ち込まれていた住所に行き、始めて彼女の部屋に入った。鍵は開いていた。
ドアを開けると回るレコードからThe smithsのAsleepが流れていて、彼女が好きでよく見ていた映画にかかっていた曲だったと思い出す。
部屋に入ると窓から入る朝の青い光りがガラス天板の小さなテーブルを照らしていて、なんだか部屋自体が冷凍室みたいだった。
「あ、」
テラスには揺れる人影があった。てるてる坊主みたいに揺れる彼女を目の当たりにしたとき、僕はその場で動けなくなった。手に持っていた風邪薬の入ったビニール袋が落ち、脚にも力が入らなくなってその場に膝をついた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
掠れて潰れた呻きが僕の口からごぼごぼとあふれ出した。
天井を見つめたまま、焦点は定まらないままだ。僕の瞳はあっちへこっちへせわしない。留まる場所をただ探し回る。
僕は全く彼女を理解できなかった。
それもそのはずだ。だって僕らは出逢ってまだ―――1週間も過ぎてなかったのだから。
パソコンのカメラ越しじゃなく始めて生身の彼女を見たのは昨日が初めてだった。それに僕らはお互いの名前すら未だに知らなかった。だけど僕はそんなのじゃなくて、これから捨てるほど沢山時間を二人で作っていけばいいと思ったし、そうする自信もあったし、予感もあった。そして実際にお互い忘れられない、かけがえのない時間を作れた。はずだったんだ。
「なのに……なのに、なんで」
どうしてだろう。悲しいはずなんだ。
恋人を失ったのだからこんなシーンはたいてい涙が流れるはずだ。
でも胸からは何もこみ上げては来ないし、鼻もつんとはこないし、どうしようもなく僕は渇いていた。
窓から冷たい風が入ってきて、レースのカーテンが揺らめいた。垂れ下がっている指には僕のあげたリングが嵌められていた。間違いなく首を吊っていたのは彼女だった。
あの日来ていたドレス姿の彼女を一瞥して僕はつけっぱなしのテレビ見ていた。
妹と同じ歳の16歳の女の子だ。
その女の子が「地球はあと1000回しか月曜日を迎えられない」と嘆いていた。
でもそんなことはどうでもいい。
地球を覆う厚い雲がどうとか、世界の気温が上がり続けているとか、どっかの国のミサイルの話しとか、暴動とか、今の僕にはどれも関係なかった。
大事なのは冷たいままの彼女とそんな彼女が凍えているのだからまたジャケットを掛けてあげなくちゃということだった。
―――待ってるからね。
耳元でいないはずの彼女の声がリフレインした。
僕はそれからなぜ彼女は首を吊ったのか、一ヶ月間考えた。
考えて考えて考え抜いてそしてやっと駅のホームに立ったとき、答えは―――見つからなかった。だけど呼んでいるんなら、助けを求めているんなら守ってあげなくちゃ。彼女に会いに行くため、扉を開くような気持ちで僕はホームのヘリから飛び―――
「君、何やってんの! 」
いきなり肩を掴まれ僕の身体は制止した。
その時、僕の鼻先を電車が轟音を立て通り過ぎていく。その戸を追聴いて僕は身を震わせていた。電車なんかじゃないアレは高速で移動する鉄塊の怪物だ。
「なにすんだよ。オッサン! 」
駅を電車が通過していった。身体の上半身は黄色い点字ブロックの外。下半身はブロックの中。
他人が掴んだ手のみで立っている状況で僕は前ではなく下を向いた。涙がぼたぼたと。大義とか恩義とか彼女とかそんなのどうでもよくて、結局僕は今僕のことで精いっぱいだった。
「離してくれ。もうこんなことしないから」
本当はヒーローであり、ナイトで在りたかった。青臭い理想を理想と自覚しないうちに朽ち果ててしまいたかった。だけど死を感じた時どうしようもなく僕は―――、
震えているが踏ん張っているようにも見えた自分の脚を見た時、僕の脚は明日に目を背けて飛ぶためじゃなくて明日を進むためにあるんだと知った。