見出し画像

君が飛び降りるのならば

希死念慮って誰にでも存在するものではないらしい。けど私はいまだに信じられていない、なぜなら私の周りには死にたい人ばかりだから。類は友を呼ぶというやつだろうか。

昨年友人が自殺した。出会ったのは6月くらいで半年くらいの付き合いだったがかなり仲が良かった(少なくとも私はそう思っている)
誰が見てるかわからない場で彼について詳しくは書けないが彼は音楽がとても好きで、聴くジャンルも幅広く、たくさん曲を教えてもらった。フッ軽の権化のような人間ですぐ誘ってくれたし共に酒タバコに溺れる時間が最高に楽しかった。ここまで仲の良い男友達は初めてできたと思う。

彼は明るく振る舞うのが得意だった。抱えてるものは明らかに大きく苦しんでるはずでそういった面も知っていたけれど、ほとんどはふざけて明るく振る舞って本当におもしろい人だった。そんなところもまた、生きづらさの原因だったのだろう。死ぬ直前だって、前兆はあった。けれどこの人なら大丈夫だろうという妙な確信があった。間違いだった。

最期に会った時、少しでもああいう言葉をかけていれば、もっと私から飲みに誘っていれば、相談に乗れていれば、後悔なんて無限に湧いた。飛び降りた場所に置いてあった財布には私が渡したライブのチケットが入っていたらしい。私は彼の生きる理由にはなれなかった。人がこんな簡単に死ぬなんて、私は知らなかった。

いつも死にたいという気持ちはあるが結局私は死ねないと思う。彼は才能があったし居場所もあった、生きる才能があったから死ぬ才能もあった。私は死ねない、

半年経った今でも悪夢のように突然思い出すし、既読のつかないLINEを送り続けて泣いている。

死は呪いだ
そのことを理解したはずなのに私は今日も死にたいなどと思ってしまう。誰のことも呪いたくないけれど早くこの呪いから解かれたいんだ

周りの人に死にたいと言われたとき、いまだにどう答えるべきか分からない。もちろん死んでほしくないが私が死にたいんだから死なないでなんて言えない。かといって分かったようなことを言うのも違う。同じ過ちを繰り返したくない。けれど、どうか、死にたいとき死にたいと言ってもらえる存在でありたい

君が飛び降りるのならば僕は、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?