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夏と、終わり

夏が終わる。振り返ってみて、正直なところあまり充実した夏休みとは言えなかった。それは多分、彼氏がいないから 大学入ってからなぜかずっと彼氏がいて毎年夏は誰かと過ごしてきた。5月あたりに別れてから全くできる気配がない。今までは全て奇跡だったのか 恋人至上主義ではないが、恋人でなければ味わえないものはあると思う。友達やサークルのおかげで何もない夏ではなかったし楽しかったこともたくさんあった。けれど何かが足りなかった。 特に私の場合は、いくら仲が良くても遠慮したり誘うのが苦手なタ

    • 贖罪

      縋り癖がある。過去に縋ってしまう。もう会えない人のことばかり考えてしまう。死んでしまった人や、過去の友人、縁が切れてしまった人のことばかり。 本当は目の前にいる人との時間を大切にするべきと頭では分かっていながらも、どうしても。 これはきっと現実から目を背けるための防衛反応なのだと思う 罪の意識を持って過去の人と向き合っているときはとても苦しいが、ちゃんと向き合えていると思えて少し自分を正当化できる。結局自分のことしか考えられていない証拠だ 普段生活しているとき、楽しいことが

      • UNISON SQUARE GARDEN

        2024.7.24 UNISON SQUARE GARDENが20周年を迎えたので私の思いを綴ろうと思う。 私のUNISON SQUARE GARDENとの出会いは、 2017年中学2年生13歳の頃 当時の私は友達がいなくて暇でインターネットに入り浸っていた。アニソンにハマって、まとめサイトなんかでアニソンを漁っては聴くという作業に明け暮れる日々。そこで出会ったのが 「シュガーソングとビターステップ」 名前は聞いたことあるけどちゃんと曲聴いたことないなあ、と思ってMVを見

        • バンド!

          オリバンはやるな オリバン界隈の人がよく言ってる言葉。でもそんなのあまりにも無責任じゃない?自分はやってるくせに、あんなに楽しそうにきらきら輝いて私たちに憧れを抱かせといてそんなこと言うかよ! けど私後輩には最近この言葉をかけてしまう。 だってやらなきゃ良かったって思ってるからね バンドを組んだのは1年生の7月のころ。組もうと言う話自体はもっと早くからしていた。 けれど初めてライブハウスに出たのは2年生の12月だし明日が3回目のライブハウス あまりにも歩みが遅くて、どん

        夏と、終わり

          Phantom

          曲を作れないため歌詞を書くことはほとんどないが、拙いながらも耐えられなくなったとき書いていた歌詞を供養しようと思う。 愛する全てのあなたが、死なないための呪い Phantom 君が地獄と手を繋いだ日からそろそろ5日 僕の全てを奪われたその瞬間世界が透明になった あのとき誰かに救いを求めていた儚げな横顔 鮮明に脳裏にこびりつく 君にとってこの世界は 望みのないユートピア 歪な音を愛した君にはどんな景色が見えてたんだろう 畢竟想像もできなくて 己の無力さを否定するだけ ああ

          君が飛び降りるのならば

          希死念慮って誰にでも存在するものではないらしい。けど私はいまだに信じられていない、なぜなら私の周りには死にたい人ばかりだから。類は友を呼ぶというやつだろうか。 昨年友人が自殺した。出会ったのは6月くらいで半年くらいの付き合いだったがかなり仲が良かった(少なくとも私はそう思っている) 誰が見てるかわからない場で彼について詳しくは書けないが彼は音楽がとても好きで、聴くジャンルも幅広く、たくさん曲を教えてもらった。フッ軽の権化のような人間ですぐ誘ってくれたし共に酒タバコに溺れる時

          君が飛び降りるのならば

          自己開示

          自他境界が曖昧らしく。 私は人に自分を理解してもらいたいという気持ちが強すぎるらしい。抱えてきた苦しみを全部あなたに背負わせてしまいたい、そして哀れんでほしい 私にとってSNSはとても重要で、自分のマイナスの感情や出来事をSNSで吐き出すことで救われてきた。基本的に人に相談することや自分の話をすることがとても苦手で、でも文章なら伝えることができた。SNSを始めて気づいてしまった、私は誰かに私のことを理解してほしいんだと。普通に見えるけどこんなに苦しんでてがんばってるんだ!と

          自己開示

          半生

          私は幼少期からおとなしかった。おとなしいといえば聞こえはいいがただただコミュニケーションがとれない。場面緘黙症がかなり当てはまっていた。別に家庭環境が特別悪かったわけではない、父親と暮らしたことさえないものの母親から惜しみなく愛情を受け取っていたしかなり自由に生きさせてもらってきた。それなのに明らかに私は普通の子になれなかった。小2くらいまではおとなしいで済みさほど問題はないが、小3くらいから世界は残酷になった。自分の意思をはっきり言えない、そもそも何も考えてないから周りに流