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僕の好きな映画 この世界の片隅に を初めて観た時のお話。

まず最初は好きな映画10作品との、僕の出会いを記事にしたいと思います。

※若干のネタバレを含みます。

2016年11月13日日曜日

僕は起き抜けの狭い食道に白米を流し込んでいた。すると父が言った。

のんちゃーん(僕の方)、この世界の片隅にっていうさ、のんちゃん(女優の方)が声優やってる映画あるじゃん。あれ昨日公開されたからさ、観に行こうよ。

僕は返事をする。

いやー、めんどくせえ。この世界の片隅にねえ。戦争映画でしょ?はだしのゲンとか、火垂るの墓みたいなやつでしょ?あーいう映画大体内容一緒じゃん。俺まだ君の名は。見てないからそっち観たいわ。

父は悲しげに言う。

お前!もしこの映画が大コケして、またのんちゃんが干されたらどうするんだ!久しぶりの主演映画なんだぞ!のんちゃんへのお情けだよこれは!

まあ確かに、僕もあまちゃん以来のんちゃんのファンではある。どうせ金を払うのは父だし。そんな父ののんちゃん(女優)への愛に押されて渋々僕は観に行くことにした。

場所はテアトル新宿。公開2日目だったので、都内ではここくらいでしか上映されていなかった。

ロビーにはのんちゃん宛の公開記念の花束がずらり。何故かスリーJプロダクションの水口さんからの花束がまで。やっぱりのんちゃんは愛されている。一応と思って、写真を撮っておいた。

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ロビーに陳列されている展示品と、yahooレビューを交互に眺めながら、シアターの扉が開くのを待っていた。待ってはいるが、期待はしていない。僕は小学生の時から戦争や広島に関心があったが、それは所詮この世のものとは思えない被爆した人たちの惨たらしい姿や、一瞬にして全壊した建物という、フィクションじみたものへの好奇心であり、平和を願っていたからではなかった。

今思えば、なんて非情なやつだったろう。

どんな残酷な描写がされてるのかと少し楽しみにしていたら、ようやく扉が開いた。

僕たちの席は確か、前から4列目の左側だった気がする。ていうかよく考えたら人多くね!?と思い座った席から振り返ると、立ち見している人がずらーっと横一列に並んでいた。おいおいまじかよ。のんちゃんへの愛半端ねえな。これなら別に俺行かなくても良かったじゃん。

暗くなった。予告が流れた。14の夜という映画の予告編が流れたのは覚えている。14歳の少年たちが、AV女優のサイン会に参加するために冒険するという映画だった気がする。

予告が終わった。カクテルのカラカラッという音ともに暗転し、ブザーがなり、映画が始まった。

うちはようぼーっとした子じゃあ言われとって

うお、のんちゃんの声だ。めっちゃのんちゃんの声じゃん。いやこれはのんちゃんの声じゃん。

のんちゃんが演じるすずさんのファーストインプレッションは、こんな感じでレビューサイトが言っていた、初めの一声から感動した!とか、完璧すぎる!のような感想とは程遠い、語彙力の欠如したしょうもないものだった。

     映画は進んでいく。その中で僕は、19○○年○月✕日とテロップが出る度に、心臓の鼓動が加速していくのを感じていた。

広島のあの日へのカウントダウンのように見えたからだ。

のんびりしたコミカルな日常も、空襲警報で目覚める夜も、大切な人を失ったあの瞬間も、酸いも甘いも全てあのたった一つのピカドンが壊してしまうのではないか。鑑賞前は残酷な描写を楽しみにしていた僕の頭は、それに対する恐れに埋め尽くされていた。

8月5日

やってきた。すずさんはこの日、広島へ戻るらしい。ダメだ。行ってはダメだ。落ちるんだ。ピカドンが。小学生の時に訪れた広島原爆資料館や、すずさんから見た広島の景色がフラッシュバックする。僕の記憶とすずさんの記憶がごちゃまぜになって走馬灯のように駆け巡る。


でも、すずさんは広島へ行かなかった。


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径子さんにすずさんが泣きついてる時、光った。屋根瓦が、ガタガタと揺れた。

なんか光ったー?
うーん!光ったー!雷かねぇ。

え、それだけ?あの歴史的瞬間は、これだけなのか?拍子抜けだった。呉の人々は、キノコ雲を見上げた。あの人たちからみたキノコ雲は、ただの大きな鉄床雲だった。

その夜、すずさんたちは、円太郎さんに広島に新型爆弾が落ちたと伝えられた。

へぇーほんとかね!

やはり反応はそれだけだった。

太平洋戦争の象徴である原爆が、8月5日が、当時の人々にはこんな日だったなんて。しかし、この反応が普通なのかもしれない。コロナウィルスの感染拡大で、自粛している今もこれが歴史的瞬間だということは分かるが、大変だ!大変だー!なんてパニックになってる人はどこにもいない。

人々は、今を生きるのに必死なんだ。

終戦

 戦争が終わった。玉音放送が終わって、のんきに足を崩したり家事を始める主婦たちの中、すずさんは気づかないうちに抑圧してきた感情を解放する。すずさんのあの叫びは、戦争反対してたのに!だとか、鬼畜米英どもめ!なんて現代の思想を取り入れすぎたものでも、当時の人間を意識しすぎたものでもなかった。

それでもやはり、時は流れる。戦争は終わった。僕がこの映画で最も好きなシーンがある。

 せっかくの白い飯が見えん。

円太郎さんがそう言って、電球にまかれた黒い布を外す。呉の街に、一つの明かりがともる。また一つの明かりがともる。またひとつも、もうひとつも。

そうして呉の夜に光が満ちる。

 この映画で感動する人はたくさんいる。涙を流す人もいる。僕も感動した。でも僕は、この映画を観て涙を流したことはない。涙を流すなんて単純な行為で、感情を放出してはいけない気がするんだ。そこでぐっとこらえて、戦争が終わり、希望に満ちた日本を感じないといけない。それが私たち日本人がするべきことだと思う。

エンドロール

エンドロールもまた、僕の好きなシーンの一つだ。周作さんが髪を伸ばして、すずさんたちがワンピースを着ている。ああこの人たちが日本をあんなに発展させてくれたのか。この人たちがいたから、今の日本と僕たちがいるんだ。そう痛感させてくれるのがこのエンドロールだ。

映画が終わった。

僕と父は文字通り唖然としていた。唖然としたまま拍手をした。そして、のんちゃんの声への違和感なんて、気づかないうちに消え去っていた。

 あのたった二時間で僕の世界はすっかり変わってしまった。映画が僕の世界になった初めての瞬間だった。それからは、教室で授業を受けているとき、すずさんが廊下にいる気がしたり、バスから外を眺めていると、すずさんが歩いているような気がした。

 どうやらそう感じているのは僕だけじゃないようだった。こういうとき僕は、なんだ僕だけじゃないのかみんなそう思ってるのか、俺って普通の人と同じ脳みそなんだ、とよく思う。でも今回ばかりはうれしかった。みんなの世界にすずさんがいてほしい。少しでも多くの人にこの映画を観てもらいたかった。

嬉しいことに、僕の学校の公民の先生が、広島への修学旅行の事前学習として、この世界の片隅にをみんなにみせてくれた。おもしろーいって言う人もいれば、寝てる人もいた。でもその中には確かに、僕とおなじことを思っている人がいた。先生ありがとうね。でもね、この世界の片隅じゃなくて、この世界の片隅だよ。

全くまとまりがないまま、ほぼ書き終わってしまった。僕とこの映画の出会いなんて、隣の市の市長選挙の結果くらいどうでもいいけど、この世界の片隅にを知ってもらいたくて、書きました。

あなたも僕も、この世界の片隅に生きている。

あなたにはこの世界、どんな風に見えますか。

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