『おちをつけなんせ』をあらためて見た

https://youtu.be/PtrJl3TGnU8
おちをつけなんせ│のんたれ あ

YouTubeオリジナル
のんさん作品『おちをつけなんせ』をあらためて見た… 


色彩のトーンが良い…

朝ドラ『あまちゃん』のような青々とした三陸海岸とはちがう…

ドローンからの高原の映像や、のんさん、蔵下穂波さんのロケハンでは緑の鮮やかな季節だったけれど、『おちをつけなんせ』の舞台は雪がチラつく冬枯れの里山だ…

導入の映像からして
何とも「寒々しい」風景…

でも、この「寒々しい」冬枯れの里山こそが、『のんさんが訴えたい主旨』が表現された情景なのではないか…?

中学生の頃、歴史の教科書で子供が生の大根をかじっている写真を見た。
(今の教科書に載ってるかは不明)

ああいうイメージはインパクトが強く、今でも忘れてない。
あの写真自体には色んな説があるらしいけど、東北では頻繁に大凶作が起きたのは事実のようだ。

遠野では昔、還暦を過ぎた高齢者が行ったという『デンデラ野』も日本各地に点在するいわゆる「うばすて山」なのだろうけれど、そこで自給自足の共同生活をしていたというのは、遠野ならではの特色だろうか?

そんな『デンデラ野』とのんさんか演じる女子高生『留美』の接点とは何か?

デンデラ野は留美のお婆ちゃんが隠れ住んだ山小屋に象徴されているようだ。
ドレスをネットショッピングしたりして『うばすて山』にはやや遠いイメージだが…

進路に悩む留美は、妖怪の幻想世界に入り込む。
その妖怪たちが纏う色鮮やかな衣装は、彼らが練り歩く『色褪せた冬枯れの風景」のなかでは、一層映えて見える。
それは留美のお婆ちゃんのドレスも同じだ。

こういう色彩のコントラストは、のんさんによる計算された設定なのだろうか…?

留美は色々悩んだ末、親友の助けもあって自分の進路を見い出した。
そして幻想の世界から現実に戻ってこられた…

私たちは、どんなに色鮮やかで美しいと思えても『幻想の世界』では生きていけない。

社会学者マックス・ウェーバー風に言えば、『色褪せた現実社会』の中でストイック(禁欲的エートス)に生きていかなければならない。

「生きる」とは何か…?
格好つけずに言えば「メシを食う」ことであり「食う」ためにはまず「稼ぐ」しかない。

『あまちゃん』で、夏婆っぱが「そりゃ哲学かぁ…?」と、くどくど悩むアキの背中を押した…。(尻だったかな?)

そして、海女に目覚めたアキに「ウニを見たら銭だと思え。ウニ一匹で五百円だ。」

さらにウニが採れないアキに「ウニなんか採れなくてもいいんだ。海女はサービス業なんだから」と…

アキにはなかなかその意味が理解できなかったが、それが夏婆っぱの哲学、海女のプラグマティズムだ。
こんな田舎の漁村の婆さんでさえ「資本主義の精神」を実践している。
プロテスタンティズムではないけど…。

今、コロナの影響で減収や倒産、失業が増えている。まさに「生きる糧」が失われつつある。

「給付金の世話にはならねえ」なんて格好つけていられない。企業や家庭を維持するために、背に腹は代えられない。

コロナによって変わり行く世の中で、どうやって「生きる」のか、世界中の人々が道をあらためて模索し始めているのではないか?

留美の心境が、いまさら他人事ではなく感じられる。