手に書かせる

「手に書かせる」

インプロ(即興演劇)を習うまでその言葉の意味が分かりませんでした。
今なら少し分かる気がします。それは、頭より先に、ペンを、口を、身体を動かすことです。それはとても怖いことです。なぜなら、その行為の中には必ず「こういう風に自分が見られたい」という自己イメージとは離れた、だがしかし、本当の自分を含む可能性が高まるからです。その中には必ず反社会的な自分も含まれます。ある特定のものに対する嫌悪、悪口、愚痴、ぬぐえない劣等感。普段気をつけて(もはや気をつけていることすら忘れているくらい気をつけている)ことを無意識的に含む率が高まります。それを上手くやり遂げることが「大人」と見なされる条件なので必死に僕らはそれを身につけ、身につけたことを忘れるくらい身につけます。けど心の底には静かにたまっています。自分が自分であるということの意味を、悲しかったことを嬉しかったことを、叫びたくてしょうがないものが。社会に参加することで、ぼくらは「分かられたい」です。他人にカテゴライズされて、安心されたいです。けど、同時に「分かられたくない」です。僕はあなたとは違う圧倒的に僕であることを分かったうえで分かられたくないんです。お気づきの通り、この文章も頭ではなく、手で書いています。これも僕の静かな叫びの1つです。手が止まりだしたので、ここで止めたいと思います。

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