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6月1日の日記「自らを信じないと書いて」



 家に帰って冷蔵庫を開けたら、昨日作った角煮が入っていた。超ハッピー。家に帰った瞬間に柴犬が尻尾振って飛び付いてくるくらいの幸福度はあるぞ。角煮=柴犬。




 今日、仕事の合間の余談で、「夏休みの宿題ちゃんとやってた?」という話題が出た。自分は、「最終日に帳尻合わせて提出はする」というタイプだった。それは自分の中の最低限で、「毎日計画立ててコツコツやる」や「なんなら夏休み入る前に終わらせてる」みたいな人たちには遠く及ないと思ってた。逆に「宿題なんてやらない」って人の肝の据わりようというか、大物さみたいなのにも敵わんなぁと思ってきた。今の人生を振り返ると、自分の中の最低限に関しては、ずっと守り続けてきた気がする。小学校の宿題から大学のレポートまで、提出日を破ったことは記憶にないし、授業や部活もサボったことはないし、15回中10回出ればいい大学の講義も、病気や急用以外で休んだことはない。寝坊したこともなかったような気がする(予定そのものを勘違いしたり、意図的に寝過ごしたことはある(そっちのが悪質では?))。ただ、自分の中の最低限が、他人にとっては最低限ではないこともあって、そのびみょうな真面目さは強みというか、自信にしていいんじゃないか、と言われてきた。……あくまで、周囲に。



 自分は基本的に、自分のことを信用していない。だが、そこには悲哀はない。むしろ前向きに、楽観的に、自分は自分を信じないようにしている。理由のひとつには、自分を信じないことから生まれる緊張によって、自分は結果(というほど大したものではないが)を残してきた、というのがある。自分はもしかして寝坊してしまうんじゃないか、という自信のなさ・緊張から、目覚ましが鳴る5分前に目が覚める。そういう精神状態で行動してきたから、いつまて経っても結果が自信に繋がらない。毎度毎度の成功がすべて、「一歩間違えれば失敗する可能性があったけど、なんとかうまくいった」と感覚なのだ。でも、自分はそれでいいと思っている。自分は自信が慢心に繋がりやすいタイプ、より性格にいえば繋がりやすいタイプだと思うことで、自分は積み重ねに成功している。


 もうひとつの理由は、自分を信じないのはローリスクハイリターンだからだ。自分を信じなければ、やらかしたときのダメージは少ないし、うまくいったときの喜びもでかい。これはまあ、ずるい思考だとは思う。反対に自信を持つことは、ハイリスクローリターンだ。だからこそ僕は自信家の人 のことを、皮肉ではなく本心からすごいと思っている。ゆえに、僕の自分が信じられないうのは、同情すべきことでも、謙虚さから来るものでもなく、卑屈に似た戦略なのである。だけど、自分が自分を信じようが信じまいが、そのこと自体は本質ではないと思う。優先すべきはパフォーマンスだ。だから、自身がパフォーマンスをもっとも発揮するために、これからも僕は自分を信じたくない、信じるべきではないと思っている。


 そして、まったく同じ論理で、自信を持っているように「見せた」方がいい、とも思っている。パフォーマンスが同じだとしても、自信があるように振る舞った方が周囲に安心感を与える。逆に自信がないような見せ方をすると、周囲を不安にさせ、士気を下げる可能性がある。だから、たとえ実際は自分を信じていなくても、自分を信じているようには見せかけた方が、周囲にとってはプラスだ。自分のために自分を信じず、周囲のために自分を信じているように見せる。これが、最善の選択といえるだろう。……本当は、もっと自分も信じた方がいいんだろうけどなぁ。(言葉のニュアンスとしては強すぎるけど)信仰とか盲信とか、そういうのがとても苦手だ。悪いところに目が行っちゃうというか、悪いところも目を向けないとフェアじゃない、という心理が働いてる気がする。というか、フェアであることを理由に許されようとしているっていうか。……どんどん、言葉が卑屈に見えてくるからここまでにするか。自分としてはこういう分析をしても痛くも痒くもない、なんなら楽しいまであるし、僕自身のことも相変わらずかなり好きなままなんだけど、周りの人からは「こいつ……病んでるのか?」って思われちゃうかもだからな。気分を変えて、好きな音楽の話でもして終わるべ。




 the pillowsの『スケアクロウ』のマイブームが、再び来たかもしれん。こういう、切実ゆえの強さというか、強がりを言える強さ、みたいなものに痺れてしまう。この曲を初めて聞いたのは、中学生になったくらいかな? 自分はMr.Childrenが好きなんだけど、どっかの音楽雑誌のインタビューでベースの田原さんが良いって言ってたのをきっかけに聴き始めたんだよな。自分の好きなもののルーツ、ミスチルが割とあるのかも。最も好きな作家の一人、金城一紀も、ミスチルの『youthful days』のモデルが彼の小説『GO』を元にしてる、って知って読み始めたし。金城一紀の小説も『スケアクロウ』と同じく、純粋さゆえの叫びが聴こえてくるから好きだ。それは、自分を信じられない自分にとって、憧れに留まるもの、留めたいものに過ぎないけれど。


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