批判に伴う責任(タピオカアート炎上からの考察)

https://note.mu/machizo/n/n2d48db6c409f

ざっくりとした経緯:
タピオカドリンクをモチーフに、「インスタ映えの為に食べ物を粗末にする行為」について問いかけるアート作品の写真がツイッターに投稿される
→所謂ツイッターのフェミニスト界隈がこれに反応、女性に限った意図は作者には全くないにもかかわらず、「女叩きだ!」と言って一斉に批難する
→罵倒・暴言が作者に送りつけられ、個人情報を晒すものまで現れる。作者は深く心を痛め、理不尽にも謝罪に追い込まれる
→フェミニスト「フェミニストは個人情報晒しなんてしない。晒しはミソジニーの仕業だ!(※フェミを陥れるため)」と主張(※ミソジニーとは、女性嫌悪、女性蔑視的な思想のこと)
→叩かれた作者が捕捉していた晒しの犯人がフェミ界隈の人間であったことが判明。当該アカウントは既に垢消しして逃亡。「犯人はミソジニー疑惑」はフェミ界隈の責任転嫁であった事が発覚する。

以上が此処数日で発生した事です。
ツイッターフェミニスト界隈は、日頃よりあちこちで他人の発言や表現に言いがかりをつけ炎上を煽る行為を繰り返していますが、今回の事例は中でもかなり悪質なものであったと思います。
流石に今回の事はフェミニスト達も真摯に受け止め、反省しているかと思いきや、全くそのような気配もありません。

https://togetter.com/li/1405911

「批判する権利はあるから作品批判はさせてもらう」などと開き直る始末。
作家さんは「批判も表現の自由として受け止める」と仰っているのですが、
それを言い訳に利用する卑怯者までいます。叩いた相手の威を借りるってどういう神経なんでしょう。
「悪意のない批判は問題ない。正当な権利だ」という言い分は叩きの正当化としてよく聞かれるものです。まぁ確かにそう言ってしまえば殆ど反論される事は無くなるでしょう。この国では言論の自由が憲法で認められていますから。
ただ、申し上げておきますが悪意さえ無ければ幾らでも好きなだけ批判していいという訳ではありません。批判には責任が伴います。他人を批判して良いのは以下を弁えた人間だけです。

①他人を批判するなら、当然自分が批判される事も覚悟すべきである
②例え自分に悪意が無くても、批判は相手を傷つける武器になり得ることを心得ている
③もし自分の批判が相手を傷つけた場合、問答無用で自分は加害者となる

ネットで面識もない他人を批判することを娯楽としている輩には到底受け入れがたいことでしょうから、「横暴だ」と不平も出るかもしれませんが、これは当然の事です。
何故なら炎上・ネットリンチはいつだって「叩く側は正当な批判のつもり」なのですから。

当たり前のように「虐められる側に原因がある」と思っているのです。実際子供のいじめ問題でそのような主張が出てくれば、猛然と反発を受けるのに、炎上・ネットリンチに関してはそれがまかり通ると思っている。
そんな訳ないでしょう。炎上だって立派ないじめですよ??

叩きに加担する人間は「自分たちのやっていることはいじめである」という自覚をしっかりと持つべきです。
正当な批判のつもりでも、それがいじめになり得る可能性は大いにあること、そして炎上した場合自分はネットリンチの加害者となることを、覚悟した上でどうぞ批判をなさって下さい。言論の自由を行使して下さい。

とは言えネットで他人を好き放題に批判している人の大半にそのような責任感があるとは到底思えません。フェミニスト界隈も然りです。その証拠が今回の醜態であると言えるでしょう。
批判をするのは憲法で認められていますが、思うさま批判をする人は自制心がなく、自分に甘い人間だと思います。
何故なら、不寛容であることは容易いけれど寛容でいることには自制を要するからです。
不満、怒り、反発心を自制もせず垂れ流し、他人を不快にするのは理性が欠落した人間です。許すことが出来る人が理性的なのです。
なので私は批判する権利を躊躇いなく行使する人間を、「理性が欠けた人」として軽蔑します。
私は人としての理性を捨ててまで他人を批判したいとは思いません。寧ろ寛容な人間でありたいと思います。

残念ながらフェミニスト界隈に関しては、明らかに理性が欠落した無責任な人が大半である事が今回明らかになったと思っています。
女性の尊厳を守るのは結構ですが、理性を捨ててしまっては自分自身の尊厳を蔑ろにする事になります。ひいてはご自身の理想からも遠ざかる結果になってしまうでしょう。
その辺りを一度考える必要があるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?