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推し=○×△

“推しのいる生活”は潤うらしい。以前地上波のテレビ番組で丁寧に真摯に取り上げられているのを見て、面白くて見入ってしまった。
韓国のアイドルを推して旅行にまでいくようになり、言葉は分からなくとも現地の友人がたくさんできたという私より年上の女性の話は、とても楽しそうでキラキラして見えた。

誰かの推しの話を聞くのは楽しい。推している対象がアイドルでもキャラクターでも、番組でもジャンルでも。好きなものを語る口調には、こちらも元気になるほどのエネルギーが宿る。
それがお互いにとっての推しならばパワーも二倍、だからこそ好きなものが同じ同士で語るのはより楽しいのだろう。

知っている方もいると思うが、私にもたくさんの推しがある(いる)。映画、海外俳優、作品のキャラクターなどなど……。
オタク的な方向性で初めて“推し”という感覚を認識したのは、ベタではあるが『アンジェリーク』だったかと思う(当時は推しという言葉は無かったが)。初めて手を出した女性向け恋愛シミュレーションゲームで、私の推しは、炎の守護聖オスカー様だった。
プレイボーイで自信家で、でも紳士的なところがあって、そんなオスカー様にどっぷりと憧れたものだ。
そうして、順調に今で言う夢女子方面に進むかと思ったのだが、案外それも長くはなかった。

BLという沼に堕ちたのだ。
小学五年生、初めての転校、転校生というだけでなんとなく除け者にされた時代。なんとなくハブにされ転校生いじめに遭い、それでも私と仲良くしてくれた子たちは、結構ガチガチのオタクタイプだった。
一人の子から「はいっ!」とにこやかやに手渡されたのは、某人気RPGゲームの主人公とライバル的キャラクターを主従関係に見立てた濃厚BL小説。お姉ちゃんが書いたというそれは、私の脳天をかち割るほどの衝撃を与えたのは言うまでもない。そこからあっという間に、BLにがっつりハマる道に引きずり込まれていった。
当時の私は自分のことが大嫌いで自信もなかった。親にも「おばあちゃんが着るみたい」と揶揄される地味な色の服を好み、前髪を伸ばし顔を隠していた。そんな私からしたら、自分がイケメンキャラクターと結ばれる恋愛シミュレーションゲームよりも、壁となり天井となりキャラクターを見守れるBLの方が、よっぽど身近に感じられる世界だったのかもしれない。

それでも上京して仕事に熱中する内に、いつの間にかBLへの熱も引いていった。ブロマンス的な展開への憧れはあれど、そういった漫画や小説を読むことはそうそうなくなった。
その分最近では映画や海外俳優に熱を上げ、もっぱら映画のフィギュアやグッズの収集にハマっているわけだが。
そしてこれまた、推しへの感覚も変わっていることに気づいた。
推し俳優でもキャラクターでも、好みのタイプだとかいうよりも、“自分がこうなりたい”という憧れの対象である方が強いのだ。
そして大体それは、強かったり、スマートに生きる男性だということが多い。

こういう話をすると、私を推してくださる方が、「野水さんが女の子でよかったよ」と言ってくださることもある。
決してその気持ちを否定したいわけではないのだけれど、それでもどうしても推しになりたい自分がいるのもまた事実。
そして、推しがいることで日々が輝くというのは、どんな想いであれ君も私も同じ。
だから「野水さんを推してるよ」と言ってもらえるのはとても嬉しいのだ。
いつもありがとう。
こんな私なので自分の推し(という名の憧れ)を目指して、突然強くなったり逞しくなったりするかもしれない。それもまた、「ああ、自分の推しはかよわい女の子じゃなくてちょっと変な生き物だったな、そういえば」くらいのノリでついてきてほしい。
これからも、よろしくお願い申し上げ、ます。

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