ダンスに間に合う、とはなにか?

ダンスに間に合うという曲がある。この曲は聞けば聞くほど不思議な曲だと思う。たぶん無意識に「え? この曲なに?」と思っているひともいると思う。

僕はこの曲のPVはまだ見たことがない。思い出野郎Aチームについてもわからない。ただ「ダンスに間に合う」は何かがおかしい。そのおかしさの理由を今日は考えていきたい。


まずだが、この「ダンスに間に合う」がどんな曲なのかを簡単に説明しよう。この曲が言っているのは、つまり「ダンスに間に合おうとしている男」である。

べつにダンスに間に合おうとしている女。ダンスに間に合おうとしている老人。ダンスに間に合おうとしている少年——結局は誰でもいいのだという気がするが、それでも曲から聞こえるのは中年男性たちの歌声なので「ダンスに間に合おうとしているのは、取りあえずのところ男である」と想像してみてもいいと思う。

曲は終始、ダンスには間に合うと男が言って走っている様子が続く。途中で何やらメタファーのようなものや、人類が共通で自分ごと化できる語句もわずかに埋め込まれているが、基本的にはいつも「ダンスには間に合う」しか言っていない。

ダンスとは、ここで言っているダンスとは、いったいなんのことを指しているのだろう?


今夜


と曲が始まるまでおよそ21秒の時間がある。そしてこのメロディ、途中で音階が上がるこの魔法の旋律は、どこか特別な世界へと僕らを誘う効果がある。曲は4分51秒あるが、実際はこの21秒をずっと流し続けても違和感を持つことはないだろう。

それくらいこの曲はこのマジカルな旋律によってつらぬかれている。そこにあるのは世界に飲み込まれる感覚だ。僕らが普段存在している世界から、このダンスに間に合おうとしている世界線に、僕らは一瞬で誘われてしまう。

まるでエレベーターに乗っていっきに地下15階に行ってしまうような、夢のなかに連れていかれるような奇妙な効果がここで起こるのだ。

さて、21秒地点から再生をしよう。


今夜 
ダンスには間に合う


結論から述べよ。そうみな会社で先輩から言われてきたと思うが、この「ダンスに間に合う」も社会人の常識をしっかりと持っている。彼らがベースをぼんぼんしたり、エレキをティキティキしたり、トランペットをぷっぷくしたりして言いたいのは「ダンスには間に合う」ということなのだ。

しかも今夜。これは今夜の——そうだな、たぶん夜20時頃のダンスには間に合う、という歌なのだということが言えると思う。


さんざんな日でも
ひどい気分でも


男は散々な日々を過ごしている。ひどい気分を胸のうちに抱えている。何度も結論を言って申し訳ないが、この曲は「ダンスには間に合う」というひとつの主張を述べている。このとんでもなくつらい一日——あるいは人生の終わりには、男にはダンスの機会があるのだ。

ダンス。この男はほんとにダンスに向かおうとしているのだろうか? そんな疑念を持つひとがいてもおかしくない。なぜなら僕らはダンス文化がそれほどない島国のピープル。島国パンピーの僕らに、平日の夜からダンスの予定があるだろうか。

もちろん僕らが役所広司なら話はべつだ。しかし僕らは確実に役所広司ではないわけで(いま洗面所の鏡で確認してきた)僕らに平日の夜から、散々な日の終わりにリアルなダンスパーリーが待っているとはどうにも考えられないのだ。

つまりは、「ダンスに間に合う」というのは、「ダンスに向かっているわけではない」ということになる。

そうなのだ。僕らはこの曲の中に入り込み、スーツに革靴で突っ走っているが、ダンス会場に実際は向かってはいないのである(思い出野郎Aチームが何と言おうが)。

では「ダンスに間に合う」というのは、つまりいったい何を象徴した言葉なのだろう?


今夜 ダンスには間に合う
わかりあえなくても 離ればなれでも


そーれおいでなすった。もし男がダンスに間に合おうとしているなら、相手は女性ということになる(便宜的に)。それが「わかりあえなくても、離ればなれでも」と後につながることによって、状況は混沌とした場所へと連れていかれてしまう。

まるでゲーセンから出たら不良たちに絡まれて、胸倉をつかまれてトイレの方へ連れていかれるようなものだ(どういうことだ)。


今夜 ダンスには間に合う
わかりあえなくても


待ってくれ。わかりあえないけれどダンスには間に合う? それってつまり、それってつまりどういうことなのだ?


今夜 ダンスには間に合う
離ればなれでも


こちらはまだ許せる。東京と名古屋に住んでいる2人が、それぞれ浜松あたりのダンスホールに集合。離ればなれの2人がこだまとひかりに飛び乗って、浜松のダンスホールでお互いの手を握り合う、それならまだわかる。

しかし


わかりあえなくても ダンスには間に合う


とはいったいどのような状況を指しているのだろう?

訳が分からない。この部分に納得するためには、ダンスという前提をやはり放棄するほかない。僕らが目指しているのはダンスではなく、ダンス的ななにかということなのだ。

さて。
それでダンス的ななにかとは、いったいなんなのだろうか?


今夜 ダンスには間に合う
何ももってなくても なくしてばかりでも


もう議論の余地はない。これで完全に僕らが目指しているのが新木場ageHaではなくなった。
何ももってなくても入れるダンスクラブ? そんなものはこの世界にはありえない。ageHaで踊ろうと思ったら(筆者は少しバカです)もちろんお金が必要だ。だから「何も持ってなくてもいけるダンス的ななにか」を目指して、僕らは走っていると考えられる。

ややこしくなってきた。
ややこしいので、ここまででまとめておく。


今夜ダンスには間に合う



何ももってなくてもたどり着ける、
ダンス的ななにかには間に合う


ということがここまでの考察で明らかになる。

まだ51秒しか経っていない。
それでは続きを聴いていこう。


今夜 ダンスには間に合う
アー アー🎵
あきらめなければ


非常に重要な情報がでた。この男は雨のなかを傘もささずに、ユニクロのパンツも濡れながら、歯をくいしばって走っている。しかしまだほんとはダンスに間に合うかはわからないのだ。


あきらめなければ


あ・き・ら・め・な・け・れ・ば


このきわめて重要な条件が繰り返しパートに入る間際に差し込まれている。つまりダンスに間に合うかどうかは君次第であって「あきらめなければダンス(的ななにか)に間に合うかもしれないんだよ」と述べているにすぎないのだ。

もう一度まとめておこう。早くも2回目のまとめだ。


今夜ダンスには間に合う



もしもあきらめないなら、
何ももってなくてもたどり着ける、
ダンス的ななにかには間に合う(かもしれない)


この曲は1:02の地点で、結局はこういう内容を僕らに差し出しているのだ。もし「今夜ダンスに間に合う」という確信をもって聞いているひとがいたとしたら(もちろんそんなひとはいないと思うが)それはミスリードかもしれない。


さて、21秒ほど音楽パートを聴いてほしい。ベース。パーカッション。キーボード(?)。このコミカルな音楽。すこしふざけているような、ひとをあざ笑うかのような、しかしどこかおかしみのある優しい旋律が僕らの鼓膜を揺らす。

まさしく

テヘペロ (2)

だ。


確信犯的なテヘペロソング。それがこの「ダンスに間に合う」だということが言える。


今夜 あの日の歌で 
どこかの誰かも 踊ってる気がする
まだ見ぬ ダンサーが踏むステップ
君に似ている そんな気がする


シン・情報だ(シン・ゴジラみたいな書き方をした)。あの日の歌? どこかの誰か? 踊ってる気がする?

おいおいおいおいおい。


あの日の歌2


このファジーすぎる情報のバミューダトライアングルを僕らは聞かされて、ライブではタオルを振ったりしているのだろうか? 僕は思い出野郎たちのことは何も知らないけれど、さすがにここは素通りできない。

なんにも特定してないじゃないか。曲も場所も人も特定していない。つまり思い出野郎Aチームが言っているのはそのつぎの


君に似ている
そんな気がする


という箇所なのだ。

徹底してい言い切ることはしない。あくまですべてが可能性でしかないのだ。



さて、最後だ。


あまりにも 手遅れなことが
うんざりするほど たくさんあるけど
まだ 音楽は鳴ってる
僕のところでも 君の街でも


曲はこんな風に続く。僕がこれを読んで思うのは、この歌詞はある種の引用ではないかという思いだ。もちろんここは少し飛躍的考察になるが、「まだ音楽は鳴っている」という言葉は、僕が知る限りある書籍の一節でしかない。


踊るんだよ。音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。(中略)意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。

村上春樹 「ダンスダンスダンス」より


あとは同じ情報が何度か繰り返され、曲は同じ旋律を奏でつづけて次第に聞こえなくなる。

つまりこの曲をまとめてひと息で説明すると

君はこの地上に埋まれ落ちた以上、
音楽(つまり心臓の鼓動)が止まらない限りは世界と向き合いつづける必要がある。

もしもあきらめないで向き合い続けることができたなら、
何ももってなくてすっからかんでもたどり着ける
それこそダンス的ななにかには、
もしかしたらだけど間に合うかもしれない

だから決して歩みを止めてはいけない
どんな状況でもまえへ進むしかないんだよ。

ということなのだ。



そんなわけで、これから僕は思い出野郎Aチームの面々と初めて出会う。
「ダンスに間に合う」をPVで見るのも、ほんとにこれが初めてだ。











そんな深い意味はないかもしれない。

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