チーム自分もリアルのチームも、メンバー全員が絶対に絶対に欠かせない存在。
今日は小6の息子のサッカーの卒団式でした。
緊急事態宣言により学校のグラウンドが使えず海岸で。全学年のところを六年生だけで。
子供達のスピーチにも母としてうるうるもしたけれど、
今回一番感動したのはサッカー未経験のパパコーチNさんのお話でした。
サッカーを続ける続けないはそれぞれの選択。
どんな選択でも別にかまわなくって、そこに本気で自分から一歩、二歩と前に進んでいったら、何をしてもよい人生になるよ。
みたいな内容なんだけど・・書き方がしょぼすぎて全然感動が伝わらないな、これじゃ・・・。
録画しておけばよかったと思うくらい勉強になるお話しでした。
やっぱテキスト< 動画 の方が情報量多いね。
youtube、やる気ないんだけどね私は。あ、音声記事はやっていきたいけども。
で、話がすぐ脱線しちゃうけれど、コーチの話はさらに続きまして
このコーチはサッカー未経験だったからこそご自分が教えられることは何かを普段から考えていらしたそうで、
それは
上手い子だけが楽しいチームではなくチーム全体がサッカーを楽しめるチームになるように、という働きかけだったと。
我が家は長男は万年ベンチウォーマー、次男はトレセンと、
サッカーに夢中な子とそうでもない子の親、両方の気持ちがわかる状況に置かれた分、その話に人一倍共感した部分もあるかもですが、
次男はレギュラーでも、いつも「みんなで勝ちたい、みんな楽しくなかきゃつまんない」と言っていて、
私はそれは兄への思いやりからだと思っていたんだけれど、実はNコーチが練習のたびに、そういうビジョンを見せてくださっていたおかげだったんだなと。
英才教育の低年齢化が加速する日本のスポーツ界。
うまくなければやる意味がないと価値観に囚われたらチームは成り立たない。
し、そんな一部のエリートのためだけにスポーツがあるわけじゃないんだよなと。スポーツだけじゃないよね、音楽も芸術も。食べるためだけにあるんじゃなく、そもそも楽しむためにあるんじゃね?と・・・。
実は、これは過去の自分の懺悔でもあって・・・。
いきなり自分事ですが、私は中学校時代バレーボールの強豪チームにいて、レギュラーとそうでないメンバーで明らかに温度差があって、ある日レギュラー以外のメンバーがみんな辞めてしまい…、二年生の秋の大会では神奈川県二位だったので夏の引退試合は全国大会には当然行くものだくらいに思っていたにもかかわらず、県大会の二回戦くらいの日に一人が高熱を出し・・。代わりに出る選手がいなくてマネジャーが出て狙われてボコボコにされ敗退したという闇の歴史がありまして。
あそこで負けていなければ、今と違う人生だったなと自分の中で完結したと思っていたし、そう思うようになる以前には敗因を長いこと運が悪かった(=レギュラーの欠場)と自分以外の何かのせいにしたけれど、どうやらそうじゃなかったようで・・。
プレイヤーだけでなく全員が同じくらい大切という意識が私を含めたチームの中に無かったからだったんだなと、
なんと今これを書きながら気づきました。すごいな全部が繋がっていく。アウトプットすることのすごさですねこれ。
全部つながる、というのは・・・私が講座で「チーム自分」という概念をお伝えしておりまして、
チーム自分というのは
自分の中のどんな自分も大切。
長所だけでなく、短所も大切な自分を構成する要素であり、大切にしたら、どんな部分も必ず必要な場面で役に立ってくれる。
大切にするに値する存在になる
みたいなこと。
Nコーチがリアルなチームに対して大切に伝えてくださったことと重なる。
チーム全員を大切に、そしてみんなで楽しむこと。
これはそして、チーム内ではある意味異質でもあったサッカー未経験者のコーチだからこそ、戦術以外のでも戦術以上に大切なことを教えていただけた。そういう意味で彼が経験者のコーチに引け目があったかどうかはわからないけれど、もしそうだとしても、彼も経験者コーチと全く同じくチームに欠かせない大切なメンバーのお一人だったんですよね。
全てのコーチに対して、本当に感謝しかありません。
寒い日も猛暑の日も子供達と一緒にサッカーをしてくださった大切な6年間。
この御恩返しは一生かけてしていってほしいな。
世界平和はまず自分の中から
周囲に、そして世の中へ。
おめでたい次男も、そして内向的な長男も、それぞれにチーム自分を大切に世界平和への道を邁進してくれるといいな。
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