「ワクワクすることを始めたはずが、思ったのと違う」それはいったい誰のせい?
年末にレシピをいただいて以来、キムチづくりにはまっている。
白菜と唐辛子との格闘という、結構な手間暇がかかる作業が終わると、もれなく唐辛子で真っ赤に染まったボウルなどの跡片付けが待っている。
キムチづくりに限らず、料理には跡片付けが「もれなくついてまわる」
残念ながら我が家にはお手伝いさんはいないし、私の代わりに洗ってくれる女子力の高い旦那がいるわけでもないので。
当然のことだけれど、いただいたレシピには
「唐辛子で真っ赤に染まったボウルを洗う」といった手順が記載されているわけはない。
それはキムチを作る以上「もれなくついてまわる」ものだけれど、手順にそこはない。
きっとこれをお読みの誰もが、そんなの当たり前じゃんこいつバカじゃね? くらいに思うはずだ。
でも、キムチづくりでは当たり前じゃんバカじゃね?ってことが「やりたいことを仕事にする」ということになると、どこかに吹っ飛んでしまう。
不思議なことに。
「やりたいことをする」「好きなことを仕事にする」そのサポートを10年以上やってきた中で、うまくいかない人は、そこが抜け落ちている。バッサリと。
なのでそこから話をする必要がある。
「本当にやりたいこと」をするために一番おすすめなのは、
「本当にやりたいこと だけをするんだよ」といつも塾生のみなさまにも言っている。
これって、いわゆる「ワクワクすることだけをする」ということ。
それが自分軸だし、その軸をぶらさなければ、それを仕事にすることはちゃんと叶うから。
でも、だからこそ、その意味をちゃんと理解した方がいいよと伝えている。ワクワク病、絶賛蔓延中なんだからね! コロナ以上に怖いよ!と。
なぜなら「やりたいこと」の意味をはき違えたままふわふわと飛びつくと、単なる苦しみのループにはまるだけだから。人さまに迷惑もかけるし。
特に最近は、やりたいことで独立起業するのが流行みたいになっているけれど。流行にパクっと飛びつくのは危険だよ、と言いたい。
だって、キムチ作りと真っ赤なボウルの関係のように、
やりたいことをするために「もれなくついてまわること」は実はかなりたくさんあるから。
例えば起業をするとしたら、本業が何であれ経理などなど事務的なことは「もれなくついてまわる」
そして「集客」は最近ネット主流だから、PCやスマホを使うことや、SNSを使いこなすこともかなりの確率で「もれなくついてまわる」し、
例えば、やりたいことが「セミナーや教室などで人に何かを教えたり伝えたりすること」だとしたら、そこには当然ながら「営業」や「集客」は「もれなくついてまわる」。
否定や批判をされることも当たり前についてまわる。
ちなみに、その否定や批判に落ち込むことは「ついてまわ・・・らない」自分で選ぶことができる。こちらよかったら読んでください。
その他「ついてまわる」のは、大昔のキョンキョンの「ベンザエースを買ってください!」というCM(知ってる?)ほど露骨にじゃなくとも「私のセミナーに来てくださいね!」とか「私のセミナーを開催されて下さい」とか、個人なり法人なりに、きちんと伝えることや、その際に、自分が食べていけるだけの料金を設定し提示することも、やりたいことを仕事にしようと思うなら「もれなくついてまわる」
そういったついてまわる業務について、それはしたくないとか、なんか違うと思うとか、苦手とか、平気でのたまう輩も案外多い。
いったい誰がやってくれると思っているんだろうか。
苦手と騒げば白馬の王子様があらわれると思っているとしか思えない。
それはキムチ作りと唐辛子のボウル洗いのカップリングくらいに当たり前のはずなのに、
「ワクワクすることだけをする」ということに関してだけは、なぜか自分の都合のよいように解釈する人が続出している。
そして、その自分の都合よく解釈する病は、実はコロナ以上に感染力が高いらしく。自称起業家は、なぜかブログで「愛と感謝ー」とポエムをつづったり、素敵な服で自撮りした写真をアップしていれば、いつか誰かが目を付けてくれるんじゃないかと思っていたり、
「お金のブロックが~」という言葉を水戸黄門の印籠みたいにして、赤字垂れ流しのボランティア程度の料金しか提示しなかったり・・・。
そしてうまくいかないと「思っていたのと違う」と、さも被害者のように可哀そうな子羊ちゃんになりすまして嘆き悲しむ。
表現の自由が許されている以上、嘆くのはもちろん自由なんだけれど、そうやってさえいれば、あわよくば白馬の王子様がお客様を連れて来てくれると思っている天使のふりしたなんちゃって起業家のせいで、白馬の王子様は過労死寸前なんじゃないかと思う。
天使あらためブラック起業家と名乗ったらいかが?と言いたい。
まあ、そういうブラック起業家をまとめて依存させて面倒みる商売もあるので、お金を出してやって全面的におんぶに抱っこという手段もありますが。
そんな自称天使ことブラック起業家たちは、そして、
まともに料金を提示して「いかがですか?」と正面きって集客する人(私)も含め)のことを、心臓に毛が生えた野蛮人のような目でみる。
心臓に毛が生えているかどうかは見たことがないからわからないが、デカくてガサツな私は正真正銘の野蛮人なので、そう思われても否定しない。
否定はしないけれど、自分がボランティア価格で赤字垂れ流しているからといって、料金が高いとか、スピリチュアルなことはボランティアでやるべきだとか、余計なお世話なんだよねとは正直思う。(ちなみに私はスピをやっているつもりもない)
会社である以上、事業をボランティアでやるつもりはない。
ボランティアはボランティアとして喜んでやってますんで。
そしてねずみ講状態の組織を作って不労所得をむさぼろうとも思っていない。(それがいい悪いではなく、それをしたいと思っていないから)
価値を提供して、その対価をいただく。普通の経済活動をしているだけ。
等価交換だから当然、法外な価格でぼったくるつもりもない。
よって無理やり高値をつけて、それに対する後ろめたさをごまかすために、高級ホテルのハイティー付き! みたいなコメントでお茶をにごすつもりもない。
それよりは効果を出す、いただいた料金以上の価値を出す、ことに全力を注ぐ努力をした方が絶対にお客様に喜んでいただけると経験上も思う。
そしてそれがやりたいからやっている。
いただいた料金以上じゃ等価交換じゃないよね? やっぱりこいつバカ?
と突っ込まれそうだけれど、
感覚的には、いただく金額の500倍の価値を提供しようと精進して、それでようやく等価交換くらいの感じがしているので、そのつもりで全力を注ぐしかないので。
その精進・・勉強や研究や自分のコンディションをよくすることなどは、人に何かを伝える仕事をする以上は「もれなくついてまわる」こと。
(アスリートが筋トレやマッサージをするのと同じで)
よりおいしい料理を提供しようと工夫することがシェフの醍醐味であるように。
そしてそういうことに時間を使っていると、どうでもいいことのための時間はないんですね。
実はドMなのか、私はその努力も含めて、本当にやりたいことでもあるし、それ自体がとても楽しい。
そういう意味で、楽しいことをやるだけで、自然に仕事がやってくる、というのは真実で、私自身は本当にやりたいことしかやっていない。
それはキムチ作りに「もれなくついてくる」真っ赤なボウルを片づけることと限りなく等しい。きれいになったらさっぱりするしね。
クレーム対応だって雑用だって、自分の人間力をあげるための勉強だと思ったら楽しい。
銀行で間違った金額を振り込んでしまって(先日やらかした)社長(夫)に滅茶苦茶怒られて「何よ間違いは誰にだってあるじゃない!」と逆切れしそうな自分をいさめることも、すべて修行の一環。
それらは真っ赤な唐辛子まみれのボウルを洗うことと同じ。
それがしたくなければ、やらなければいいだけの話。
だからこそ、自分がやりたいことは、本当に本当にワクワクすることなのか、偽りのワクワクなんじゃないのか、をまずは見極めようと言いたい。
多分、本当にワクワクするならば、真っ赤なボウルを洗うことはそれほど苦と感じないはずだから。
・・・以上。
真っ赤な唐辛子まみれのボウルを洗っていて、ふと思ったこと。
書けばかくほど、さらにいろいろ出てきて収集つかなくなってきたので続きはまた後日。
霜が降りたら白菜が甘くなるというけれど、今年の湘南は殆ど霜が降りる日がなかった。市場に白菜が出回るの日も残りわずかかな。
今年あと何回真っ赤なボウルを洗う・・じゃなかったキムチを作れるだろうか。
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