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その議題は「大喜利化」していないか?

賛成と反対と+α

インターネット上で議論や炎上が起こっている際、そこには膨大な数の言論が飛び交うこととなる。

この「数の多さ」そのものについては、特にどうこう言うべきことはないと思う。
それはどこまで行っても単なる「数の多さ」でしかないし、
むしろ著名人ではない個人が広範囲への発信を行えるというインターネットの利点を体現しているだろう。
さらに言えば、例え内容が似通っていたとしても、多くの意見が集積されていくことには意味がある。

しかし、個々の内容に目を向けていくと、少々注意を払って見なければならないものも現れてくる。
議論なのだから、個々の主張を十分に検討する必要があるのは当然だろう、と思われるかもしれないが、もちろんその指摘は正しい。
しかしそれ以前に、「議論をしているように見せかけて、実際にはしていない」発言が紛れ込んでいる可能性を考えなければいけない。


「小難しい横文字のビジネス用語」

このことを説明するのに最も適していると思われる例が、「横文字のビジネス用語」についてだ。

アジェンダ、コンセンサス、エビデンス、イシュー……

近年使われ始めたこれらの言葉について、
「本当に従来の単語ではなくその言葉である必要があるのか」
「格好を付けてわかりにくくしているだけではないのか」
というような指摘は枚挙に暇が無い。


しかし、それらの指摘のうち、実際に何かしらの影響を及ぼす目的を持った主張であるものが、果たしてどれだけ存在するだろうか?
読んだ人々の意識や、現状に変化を起こすことを意図しているものが、どれほど存在しているのだろうか?

私の体感では、そう多くはない。

ここでは特定の発言を引用することを避けるため、やや根拠の乏しい論になってしまうが、
興味があればそういったビジネス用語のいくつかを全角スペースで繋ぎ、ツイート検索をしてみるといいだろう。


では、他にどんな意図が存在していると考えればいいのか。

それは恐らく、ある種の自己表現である。
注目度の高いトピックやキーワードに、自分独自の要素を付け加え、コンテンツ性を持たせる。
身も蓋も無い言い方をしてしまえば、要するにウケ狙いだ。
行われる思考の過程が、お題に沿った回答に少しの「外し」を加えて笑いを作る「大喜利」とよく似ているため、
私はこの現象を「大喜利化」と呼ぶことにした。

「大喜利化した言説」が多く現れるようになってくると、議題そのものが「大喜利化した議題」となり、その傾向は加速していく。
個人的な体感だが、その流れは不可逆的なものであるように思う。


結論:受け手が警戒心を持つ

やや反感を買いそうな言い方になってしまったので補足しておくと、
私はウケを狙うことそのものを否定しているわけではない

それは個々人の責任・良心に基づいて自由に行えばいいと考えているし、
実際にエンタメとして面白いと感じたものもある。


しかし、「大喜利化した言説」は混乱をもたらす場合があり、その対策だけはしておきたいのである。

いや、対策というのは少し大袈裟な言い方かもしれない。
要するに、「そういう現象があることくらいは頭に入れておこう」というだけの話なのだ。

それだけで、自分にとって有用なものを選別することがある程度スムーズに行えるようになる。
本気で議論や思案を行うことが、いくらかやりやすくなるのだ。

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