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感情と行動の最適解。頭の中を覗く。


直感的な感情は大事にした方がいい。感情は自分を知るためのものだし、コンパスの役割を持っていると言ってもいい。

しかし、その感情を外に対してそのまま表現するかしないかはまた別の話になってくる。例えば、怒りの感情が出てきた時に、そのまま怒り散らすというのはどうなるだろうか。

それは、重い空気になるだろうし、トゲトゲした雰囲気になるに決まっている。自分自身はスッキリしたとしても、空気は重くなる。逆に、怒られた場合、相手に対して嫌な感情を持つことにもなる。


だからこそ、感情を表に出すというのを避けて良さそうな最適解の行動をとっていく。


空気感を壊さず、その場に合わせて一番スムーズにことが運ぶ選択をとっていく。さっきの怒りの例を挙げると、そのまま怒り出すのではなく、にこやかに対処するといったものだ。

ところが、このフェーズも終盤に近いような気がしている。

というのも、実際のところこれは何の解決にもなっていなくて、その場しのぎの行動でしかないからだ。


今でいうと、社会の不安要素をあげて、こういうところがダメだとか、こういう人間いるよねと晒し挙げるといったことがある。

これは、その場しのぎにしてきたツケが回ってきたというか、問題があったことに対して、顕在化してきたと表現することが良いだろう。

前からそれはあって、今はそういう時代とか昔はどうだったとか話に出てくるのは問題が見えてきたのだ。


とはいえ、その問題をどのように対処すれば良いのかはっきりとした最適解がないというのが現状だろう。

問題を上げるのはいいもののじゃあどうしたいのかという明確なビジョンと行動が追いついていない。

今まで、なんとなくで目の前の現実を対処してきたのに対して、これからは自分がこう思うからこうしているんですという強い意思が必要になる。

そして、その意思は攻撃的に相手を打ち負かすようなものではなく、調和的で穏やかで柔軟な意思だ。


そのためには、自分の感情を認識し、なぜそのように感じたのか、次にどのような未来が欲しいか、そして今何をすべきなのかと自分なりに考えなければいけない。

そして、相手の行動に対して、脊髄的に行動してしまうのではなく、なぜその行動をとったのか、相手は何を考えているのか、どのような意思を持っているのかというところまで覗くこともまた必要になってくる。

そうしたものの先に、お互いが心地よく生きていくことができると思う。もちろん、自分自身が一番心地よくなる選択をすべきです。そして、独りよがりにならずに、その心地よさを自分の範囲以上に循環させると行動範囲も広がり、楽しさも自然と増えていきます。


自分の感情にしっかり向き合いながら、欲しい未来の選択をしつつ、現実的な行動をしていくことがいい。


喜ぶことも怒りのことも哀れなことも楽しいことも自分の頭の中を覗いていく。どんな風になっているのか、なぜそう感じるのか、なぜ気になるのか。自分という人間がどういうものなのか本当の意味で知っていく。

すると、他人の行動原理も自然と知りたくなります。なぜそのことをしたのか、一つの素材として自分自身に取り入れることもできます。


とはいえ、難しく考えすぎるのはしんどくなります。


もっと単純に簡単にしていくと、自分を信じてただ歩いていくだけです。自分の世界はこういうものです。それを実際に目の前に落とし込むそれだけです。


頭の中を覗くフェーズに来ているのだろう。



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傍観者は常に眺めています。入り込みすぎると乱れますので。一番心地いいポジションを取りつつ、欲しい未来を選択していきます。


傍観者の戯論




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