自分のこと①

私は、地方に住む現在35歳(彼が亡くなった時は34歳になったばかりでした)です。

高校を卒業し、1年の浪人生活を経て地元国立大学へ入学。
就職活動がなかなか上手くいかず、大学4年生の時に若干引き籠る生活をしていました。そして大学を卒業しない選択(就職浪人)し、大学4年生を2回経験しました。
(苦しかった大学時代の自分についてもアウトプットしなければいけないのですが、少し割愛。追々自分の為に記述していこうかなと思います。)

家を出たい、ここから離れたい、関東に出たいという一心で1年目の就職活動は地元企業は受けず、関東で就職活動を行っていました。
ですが、冒頭に記入していた通り全然上手くいきませんでした。
2回目の4年生の時は、春に1ヶ月半程ボランティアバイトというものを経験(愛媛の島の民宿でバイトをしてました)。
その後バイトはするものの引き籠り生活。
(この部分も追々アウトプットしていきたいです。)

価値の無い、生きている意味の無い、誰からも必要とされない自分。
とにかく誰からも必要とされない自分(就職活動で面接で落ちる度に価値が無いと烙印を押されてる気分でした)に苦しくして苦しくて
あの頃は毎日死にたい、居なくなりたい、死にたい、価値が無い、生きている意味が無い
でもどこかで諦めたくない、今日は前向きに頑張れるかもしれない、でもやっぱり…
と感情がジェットコースターのように過ごしていました。
(本当に、今現在の私のよう)

この引き籠りの頃(苦しかった頃)、私は小説(特に東野圭吾)にとにかくハマりました。東野圭吾の小説はこの頃出ていた小説はほとんど全て読みつくしました。東野圭吾が読み終わった後は、片っ端から手に取って色んな本を手に取りました。
自分のどこにも吐き出せない感情や、人間の闇深い部分とか、自分に対する希望とか、時には同じような絶望感であったり
色んな小説に自分を重ね合わせたり、とにかく自分の奥底や喉の詰まりを無くす何か。

私が、言葉(本・文章)に救いを求めるようになったのはこの頃からです。

最初はミステリー面白いなぁから始まった読書が、いつしか
現状からの脱却であったり、何か救いの言葉を探したり、どうにもならない気持ちだったりを代弁してくれる何かを探し求めて本を読むようになった。

今回の旦那さんが亡くなった時も、
私は同じようにどこかに救いを求めて言葉を探したけれどどこにも
響く言葉が見つからなかった。誰の言葉も響かなかった。

今度は、どこかに書かれている言葉ではなく
誰かの言葉ではなく
自分自身で折り合いをつける為に
言葉を綴る必要があると思った。

自分の為のアウトプットの場として
私はこの場所を選びました。



いいなと思ったら応援しよう!