見出し画像

ホントかどうだかフォントの話

スティーブ・ジョブズのフォントへの強いこだわりが、最大限反映されているのがMacのOSだとかなんとか。

大学で潜り込んでたカリグラフィの授業での知識・経験が活かされたとかなんとか。"Connecting The Dots"の実例とかなんとか。

WindowsとMacの一番の違いに、"フォントの美しさ"を挙げる方も多いみたいですね。


昨日投稿した文章、書きながらなんとなく違和感があって。
脳との連結が悪い感じ。没入感とか連動感とかあんま無くて、地に足がついていない感じだったのです。

考えてみたら、いつもと違うPCで書いていたのでした。

事務所やら書斎やらって感じで使っている場所があって、諸事情でWindowsのPCを置いていて。日常使うのは、もうここ10年くらいMacなので、Winはちょっと馴染みがなくなっちゃってて。


でも何がそんな違うのかとぐるぐるして、はたと至ったのが、フォントかなーなんて。

もうね、意識して見てみたら全然違う

なんというか、フォントってそれぞれ適した読み方みたいなのがある気がしません?脳内での再生のされ方というか。

滲み出るものは文体とかだけでなく、フォントによっても形作られているんだなーと。画像でも作って例示しようかと思ったけど、まぁ分かりますよね、ロゴとかに使われるフォントなんか顕著な例ですよね。

noteでも明朝体がフィットしている方と、ゴシックがしっくりくる方といますよね。ゴシックが、しっくりくる、うん。


フォントが知覚に対してどこまで影響を及ぼすのか、具体的なデータを把握しているわけではないです。が、やはり大きな要素なのだろうかね、と感じた次第でした。

思えば、とあるフリーマガジンの編集長をしていた際には、デザイナーとあぁでもないこうでもないと言いながらフォントを選んだりしたものです。

あの時はデザイナーに任せていて、キチンと勉強しなかったけど、なんとなく興味が湧いたのでした。


いやー沼っぽいよな、どうなんだろうな笑

詳しい方のnoteとかもいくつかあったので、ふんわり勉強してみようと思います。


そんなこんなで、この仮想人格にもフォントが影響してきそうだなぁ、と感じたりしたのです。一定の人格で文章書くなら、一定の環境で書いたほうがよさそうです、僕の場合。影響受けない方もいるのかなぁ。

なんか今日は雑記的でした笑

お付き合いいただき、ありがとうございました!


<編集後記>
本日の文章、下書きはWinで、仕上げはMacで進めました。
書き始めはあんまり自信なかったんで、文章だけでいいか、と思っていたんですが、帰ってきてMacで見てみたらもうビックリ。

あまりにも違うので、キチンと画像撮っておけばよかったと後悔が、、笑
ブラウザの設定とかで差を小さくできるのか分かりませんが、やっぱりMacの方が好きだなぁと再認識したのでした。

読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。