昔話の深層

この物語では鳥が重要な役割を演じている。道しるべのパンくずを食べたのも小鳥であったし、子どもたちをお菓子の家へとさそったのも、「きれいな、雪のようにまっしろな小鳥」であった。そして、魔女の森から脱けだすとき、二人を助けてくれたのは、白い鴨であった。

ユングは鳥が、魂、精神などを表わすことをよく指摘している。鳥が人間とは異なり、空を自由に飛べるという事実は、このようなイメージを呼び起こす大切な要因であろう。

あるいは、鳥の意味は突然にひらめく考えや、思考の流れ、空想などとも結びつくものである。

「この物語」とは「ヘンゼルとグレーテル」のことです。グリム童話でおなじみのこのお話をご存じの人は多いでしょう。

お菓子の家で子どもに罠を仕掛ける魔女から機転を利かせて逃げ帰る兄妹のお話です。

私はいま、記憶の迷宮にはまり込んでいます。

どうしてこういうことをしているのかといえば、前回のこのブログでも書いたとおり、これからなにをブログで書いていくかで思い悩んでしまったからです。

いまと何にも関係ないことをことごとく書いていこうかとも思ったのですが、いち度にことごとくなにもかもを書くことはできないので、何かしらトリガーとなる「ハブ」のようなことからはじめようと思ったのです。

私は仕事としてはライフハックや仕事術を事としてきました。ただ、そこにいちいち「心理学」を挟んできたのは、アメリカに留学までしてそれを勉強したからです。

ではどうしてそんなことをしたかというと、河合隼雄さんにたどり着くのです。この本には、「こういう見方があるのか!」を目を開かされ、これによって自分がそれまで好んできたことを、なぜ好んできたのか、なんとなくではあっても理解できたような気がしたからです。

私は童話が好きでした。とくにグリム童話はかなり繰り返し読んだ記憶があります。子どものころの絵本です。グリムどうわという言葉の響きに、いい思い出しか残っていないほどです。

しかし私が読んだのはまだ幼いころだったので、「鳥」には特別な興味を持ちませんでした。なぜ道しるべのパンくずを鳥がついばんでしまうのか。鳥はパンを食べます。それ以上は考えることをしませんでした。

もちろんそれはそれでよいのです。しかし、河合隼雄さんはたとえば『昔話の深層』の中で、引用したように「鳥」について解説を加えてくれていました。

それは私を異様に興奮させました。なにか「心の深層」と関係があるようでもあり、そして私が当時好きであったもの。ロールプレイングゲームだったり、それこそグリムどうわであったり、カリブの海賊であったり、心理学であったりしたのですが、そのすべてを解き明かしてくれるヒントが詰まっているように感じられたのです。

当時私は、完全な行き詰まりの中にいたような記憶があります。先に断っておくと、これは私の「記憶」であって「自伝」ではありません。自伝などを時系列にたどるつもりは毛頭ありません。

私は自分の記憶の印象そのままに、ブログを進めていきたいのです。時系列に沿って正確な記憶を掘り起こす気はなく、整理した状態を得たいとは思いません。むしろそれを得たくはないのです。

私はいまもまた「行き詰まって」います。当時に比べれば贅沢な悩みですが、同じように行き詰まったときには、行き詰まりの記憶を探り当てやすくはなります。これは一種の「同質の原理」として説明できそうです。

実際『昔話の深層』を読んだのは、もしかすると留学中だったのかもしれません。留学前であったという確たる証拠はないのです。しかしまさに「昔話の深層」のような思考内容が、私をアメリカ留学に向かわせたのです。現実世界の時系列と、心の中の時間の流れ方は、むしろ違っているべきところがあるのです。