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夢を見ている人に罪はない

これは倉園佳三さんに教わったアイディアです。

夢を見ている人に罪はない。
もちろんここで言う「夢」とは睡眠中に見ているものです。つまり夢遊病者のようなものです。何か「悪いこと」をしたからといって「夢を見ている」のですからしかたがありません。

こんな記事を書きました。もちろん「いいおっぱいにはニコニコし、悪いおっぱいをカミちぎってしまう」赤ちゃんに罪はありません。彼は夢を見ているのとなんら変わらないからです。

もちろん、他人の「夢遊病」の方が分かりやすくはあります。「くだらない質問をして人からバカにされるのが怖い」というのを聞くと、「ばかばかしい!そんなのは夢にすぎない」と軽く思えますが、「私はとても静電気が怖くて金気に触れない。これは夢ではなくリアルである」と敢然と主張します。このへんが「夢を見ている」人です。

他人の夢は夢にすぎないが、自分の夢は現実なのです。いかにこれがおかしいかは、真の客観的視点というものに立つことができた日には、太陽のように自明でしょうね。

そういえばポッドキャストで、高速道路で自分を抜く車はみなスピード狂だが、自分より遅い車は全員まぬけである、という引用をしたことがあります。コレも同じです。

このへんの心理事情を暴露したコミックがあります。つげ義春さんの「夜が掴む」です。

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この男性は女性を完全に「母親代わり」にしてしまって甘えきっています。無意識に眠ってしまっているときに、窓が開いていたらそこから「夜が入ってくる」からどんなに暑苦しくても部屋を閉め切りにしてしまわなくてはいけないのです。

もちろん男性は「夢を見ている」のです。ですから「罪はない」のです。しかし女性のほうはずっとまともですから、それがよくわかりません。「あなたはわけのわからないことをいって私をいじめようとする」としか解釈できないのです。いたって常識的です。

ついに女性が出て行ってしまったとき、男性は典型的に「悪いおっぱいをカミちぎって」しまって抑うつになってしまいます。

しかし男性にしてみれば「もう少し優しく」なんてとてもできた相談ではありません。うつ伏せになった態勢が、まさにその絶望をよく物語っています。夢を見ている人の恐ろしさです。

夜に掴まれる恐ろしさを思えば、窓を開けてしまった女性をひっぱたくのは、やむを得なかったというわけです。バカにされるのが恐ろしい人には、それが恐ろしくない人には決してわからない恐ろしさを抱えているのです。

逆説的に、女性がどれほど「母親として守ってくれている」かは、この男性になってみないとわからないのです。男性のふるまいはDVそのものでも、彼は切実に出て行った女性を愛していたと言わざるを得ません。

おっぱいの出が悪くなることも、静電気も、バカだと思われることも、夜に掴まれることも、冗談ごとではすまされないのです。だからこそ、甘え、依存しきらずにはいられない「母親」に対して「もっと優しくする」なんてできはしないのです。