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グッドバイブスとタスクシュートの「共存」について

今日、たまたまこんな話になりました。

たしかにグッドバイブスとタスクシュートは「はた目には相性が悪い」かもしれません。

もっとも、それはあくまで「未来と過去」と「計画と記録」などにまつわる部分だけの話であって、ほとんどのところは定食すらしていません。たとえばグッドバイブスでは何より先に登場する「ひとつ意識」にしても「本当のことは何も知らない」にしても、タスクシュートでは話題にもしない部分です。

タスクシュートについては、非常に多くのことが誤解されているように思います。記録をつけるのは何より予実を管理するためというのも誤解ですし、自分の成長のためにタスクシュートを使うというのも1つの誤解です。

もちろん「予実の管理をしてもいい」し「成長戦略に用いてもいい」し「PDCAに使ってもいい」のですが、それはあくまで「そういう使い方もできる」ということに過ぎません。

開発者であり発案者でもある大橋悦夫さんの最初の発想は、とても大事です。私はオリジナリティに拘泥しすぎるのかもしれませんが、無視するよりはこだわったほうがいいように、思うのです。

最初に大橋さんが「タスクシュートの原形」を活用したのは「自分がどういうペースでこの作業をしているか」を計測しようとしたからです。これが原点です。

ここに「予実管理」はないし、「計画」もない。まして、「成長戦略」がないのはいうまでもないでしょう。

もちろんその後「終了予定時刻」や「リピート設定」が登場することにはなります。だから「予実管理」も「計画」も「成長」も、盛り込む気になればできるかもしれません。それでも「原形」をとどめているのだから「原点」を葬り去ったら、それは「タスクシュート」ではなくなるのです。

なんのために記録するのか? という疑問があとを絶たないようなのですが、記録することからすべては始まったのです。記録するのは「計るため」です。短距離走者は100メートルのタイムを計るでしょう。長距離走者は1㎞のペースから、フルマラソンにかかる時間を計るでしょう。

計らないということはあり得ないはずです。なんのために計るのか、などとは誰も尋ねません。予測も計画も成長も、計ったあとにもってくることのできる話であって、計ることはいっさいすっ飛ばして、いきなり成果を予測したり計画したりすることはできないのです。時間管理については、少なくともタスクシュート的にはこう考えるわけです。

ただ「グッドバイブス」はこのようには考えません。とりわけ「予測」は手放す方向です。

しかし、そもそも「記録する」ことから始まったタスクシュートは、「予測しない」でも使うことはできるのです。そして私は、現在進行中の意識におけるエネルギー効率を最高値までもっていくことが、仕事において最高の成果につながるといまでは信じています。

このためにタスクシュートが必須だとは思いませんが、いまのところ邪魔にはなりません。それに長いあいだ使い込んだせいか、集中度が最高レベルに達したときには、そうであるべき時間の長さがわかるような感じがするのです。私にとってタスクシュートはいま、もっぱらこのためのツールです。

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私自身について、ここ以上に詳しく書くところは、ありません。

かなりプライベートなことや、半生をふり返って、いちおうの「情報」と考えられることを書いていきます。