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ライフハックな情報発信は意外と難しい



思い起こすと、かの大橋悦夫さんがGoogle+が始まったばかりのころに

「君はぼくの中では「走る人」なんだから、走る投稿だけにして! 猫の写真とかあげないで!」とは他人に向かっては言えない

と言っていた。

ライフハック界隈を盛り上げるために、ライフハッカーはライフハック記事ばっかり専門的に投稿すること。と、他人に求めることはできない。

動画では3つの問題提起がなされていたように思う。

1.わずかでも収入源となり得る情報発信について「清貧」を貫くべき理由とはなんなのか?

2.ライフハックすること自体にそもそもお金がかかること

3.とらえ方次第で「ライフハック」が狭くなったり広くなったりするので「界隈」とみなされるのかどうかがとてもあいまいであること

このすべてに対して倉下さんが一定の「解答」を喋っていらっしゃるので、動画を見ていただければいいのだが、私は「情報発信のモチベーション」だけについて少し書きたいと思う。

ライフハックには、少なからずお金がかかる。iPadのように、たとえば私の仕事には必ずしも役立たないデバイスをあえて買うのは、ライフハックを楽しむためである。

こういう次第であるから、お金がまったく足りないいまの私はiPadを買わない。それにもかかわらず、「清貧」を貫いてまでひたすらライフハックの記事を発信するためには、他の強い動機が必要だ。

他の動機としてたとえば「情報として役に立つこと」がある。ベックさんが強調される側面である。確かにこれはあると思う。

けれど「ライフハック」にはちょっとトリッキーな問題がある。他の誰かの役に確実に立つ、具体的で実用的な「情報」であればあるほど、「ライフハック的」ではなくなっていくのである。

たとえばExcelのテーブルの作り方や、PowerPointのちょっとした図形処理などがそうだ。これらは「ライフハックではなくMSOfficeのマニュアルではないか」と思われることになる。こういう情報ほど「誰かの役に確実に立つ」のに、ライフハックらしくないのである。

「ライフハックらしい情報」はExcelやPowerPointなど、極端に限定された文脈に左右されない「有益な方法論」だ。だが逆に文脈が広くなりすぎると、こんどはたとえば「論語的」になってしまう。「知ることを知るとせよ。これ知るなり」といった「訓話」であって、みんなの役に立つだろうが、ライフハックとはいいがたい。

ライフハックとはある意味ではマニアックで、習得に時間がかからず、特別な知識も必要としないような、小技の集合だ。すぐに実行できるから、受け取る方には手軽なメリットがあっても、情報を出す方は一定のリソースを割くわりに、受益者に「やり方」だけを持っていかれて、発信者のことは気にもとめてもらえないことが多くなるだろう。

しかも「情報」に正確さを求めるならば、繰り返しになるがお金もかかる。WindowsでもMacでもiOSでもAndroidでも「こうすればこうなる」と担保するには、それらの機械を持って検証しなければならない。

こうなってくると、仕事する時間の他に、こういった情報を整理して、読みやすく発信する、道楽的以外のどんな理由があるんだろう? と思い始める人が現れても決して不思議ではない。それをやってもお金が儲かるわけでもなく、儲けても「情報商材」などと言われるリスクを冒すことになりかねない。

だから、あえてこうした情報をせっせと「発信する人」はすごい人だと私は思う。いまでもブログを登録しては、ひんぱんに読む。Google検索で「上位に現れない」のは残念ながら事実である。その点はベックさんも倉下さんも指摘しているとおりだ。

ただし私は、ライフハックに限らず、10〜20ページ目まで検索結果をめくっていく。どんなお宝ブログがどこに隠れているかわからないからだ。そんなことをする人はいないとお二方はおっしゃるが、世の中にはいろんな人間がいるのである。

しかし現状がこうであれば、「ライフハック発信」は私がすごいと思うくらいで、とても他人に求めるわけにはいかない。

以上からも、問題は決して「儲からないこと」だけではない。「ライフハック的な情報を発信し続ける」こと自体にハードルがあるのだ。どんな情報でもそうだが、テーマを絞るとキツくなってくる。「ライフハック」はとりわけそのハードルが高くなりやすい。

そのハードルの上にライフハック情報発信には「儲けにくい」ところがある。「ライフハックに通じている人」は、相性の良さから「古参の、インターネット自体に大いに楽しみを見出していた人々」でもあり、それらの人は現状の「使いにくくなったインターネット」にイラ立ちを覚えていて、それはもちろん「情報発信によって儲けられるようになった」ことと無関係であるはずがないからである。

情報の発信が難しく、そのモチベーションを失いやすく、しかも嫌儲にさらされやすいとなれば「ライフハック界隈の10年が失われた」としても不思議ではない。「道楽でライフハック情報を発信し続ける」人は、経済的にそこそこ恵まれていて、その財力を何の役に立つかわからないことにふんだんに投入でき、しかも本質的に人がよい、という条件を満たしていなければならないからだ。