自己コントロールは「いいこと」なの?
認知行動療法は、リスク回避型ライフスタイルと自己コントロールを達成するための非常に有力なテクニックです。
そして有効だからこそ、気づかぬうちに、新自由主義的人間を作り上げてしまいます。それこそが、恐ろしいことなのです。
この「変わるべきは誰か」という問いを回避し、無思考にクライエントの自己コントロールを求める願望に手を貸してしまえば、はからずもクライエントを出口のない蟻地獄に引きずり込むことになってしまうのかもしれません。
いつの頃からか「自己コントロール」という言葉がたんに比喩としてではなく
本当にでき、しかも必須のリテラシー
のように考えられているようです。
正直いって理解に苦しみます。
ダイエットや禁煙、禁酒、早起きなど「自己コントロールを目論んでは挫折した」といった話は昔からありました。だからこそたとえば「禁煙」がテーマの本は売れたのです。
山崎さんも述べているとおりそもそも「変わるべきは誰か?」とたいして問いただされないのが不可解です。
「変わるべきは当然、喫煙者だ」といったい誰が決めるのでしょう?
本来その類いのことがらはゆるされていないような気がします。
もうひとつ、とても矛盾していると思うのが
自己をコントロールしようという主体であるところの「自己」が、そもそも機能不全だからコントロールして改善しよう
という発想にはいかにも無理がないでしょうか?