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まさかのまかないサバイバル 

 隣の県に、三年前に友人がオープンさせたオーベルジュがある。医食同源や地産地消をうたい、渾身の想いを込めて造られた宿だったが、コロナ禍で集客にかなり苦労していると聞いていた。しかし、今夏は人流の戻りもあり、人手不足で困っているというので、本業のほうの夏季休暇を利用し、ボランティアで一週間ほど手伝うことになった。

 仕事は食事の配膳や部屋の清掃等が中心だ。初日は緊張もあり、早々に疲れてしまったが、まかないの声がかかったのは21時を過ぎてからだった。やっと晩餐にありつける。心は弾んだが、厨房のドアを開けて目に入ったのは、宿の夕食の残り物などが並ぶ数皿と、その周りに転がるサランラップおにぎりだけだった。まさか、これだけ? どうやら皆でそれをシェアするらしい。取り分ける箸も小皿も、ましてや椅子もなかった。オーベルジュの響きが醸し出す魅惑とは無縁の、思わず気が遠くなりかけた初日の夜。

 翌朝は7時半集合だったが、5時には起きて持参したカップヌードルをすする。部屋に湯沸かしポットがなく、従業員が動き出す前にカウンターバーのコンロを借用する他なかったのだ。その後、共用部分の掃除と朝食の配膳を済ませ、部屋の清掃にとりかかると、「朝ごはん、事務所にあるので、いつでもどうぞ」と声がかかった。時計を見ると既に10時を過ぎていた。期待はしていなかったが、事務所にあったのは、やっぱり塩昆布を混ぜ込んだラップおにぎりだけだった。療養中の友人に代わり、彼のパートナーにまかないの侘しさを写真つきで訴えたら、「すぐに改善させる」と即答が来た。

 その日の昼食は12時きっかりに出された親子丼だった。初めてまかないらしいものを見たが、これほど白米を目視できる親子丼にお目にかかったことがない。しかも、朝食が10時過ぎで12時に昼食ってどうよ、と突っ込みたくもなった。

 50歳を過ぎて、三食が主食中心の毎日はなんとも耐え難かった。とにかく一週間を生き抜かねば。幸いにもマイカーがあり、休憩となる14時から17時までは自由に外出できる。ただ、友人が宿に込めた「『不便さ』という究極の贅沢」というコンセプトのもと、その周囲には本当に何もなかったのだ。片道40分をかけて最寄りのドラッグストアに向かい、一週間分の卵やトマト、フルーツなどを買い込む羽目に。

 宿に戻ると早速、支配人から呼び止められた。友人のパートナーから指示が飛んだのだろう。「今のまかないがギリギリです。何が嫌ですか?」「支配人はタンパク質や食物繊維、ビタミンを摂れなくても平気なんですか?」「僕はビタミン剤やサプリメントを飲んでいるので大丈夫です」。あかん。話にならない。「先程、自分でいろいろと買い込んできたので、もう気にしていただかなくて大丈夫です」。

 最寄りの町まで片道一時間かかるこの宿は、従業員たちもほぼ住み込みだった。まかないは同じだから不公平感はないが、医食同源をうたう宿が果たしてこれでいいものだろうか。友人の想いと現場がかみ合っていない現実を目の当たりにしたようで、ショックだった。

 その夜のまかないを辞退した私を、シェフの一人が気にしたようだった。「Tさん(私)は、炭水化物を制限している感じですか?」「すみません、年齢的に厳しくて。気にしないでください」とかわしたが、一週間たらずのボランティアの名前を憶え、呼びかけてくれたことが嬉しかった。私は彼の名前を知らない。皆から「ダンちゃん」と呼ばれているから、団ちゃんだろうか。 

 時間の経過とともに運営側の事情も見え始める。不便な立地から、週に一度が限界となる食材配達やゴミ収集がかなりのストレスになっていることや、正規、非正規に関わらずスタッフが長続きしないなど、問題は少なくないようだった。立ち上げに関わった初期のスタッフは全員去り、二期目のスタッフも、今、厨房に残っているシェフの二人だけだという。その二人も調理学校を卒業したばかりの20歳と聞き、本当に驚いた。

 問題は他にもあった。集客に困っていることを知ったオーナーの友人たちが利用するケースも多いようで、私の滞在中もその手の客が連泊していた。その日は雨予報で、材料代のみを支払うセルフバーベキューをキャンセルしたものの、食材が残っては宿も困るだろうから厨房でグリルして出せ、と言い始めたのだ。そもそもセルフなので、シェフたちの人件費は料金に含まれていなかったが、支配人がなんとか二人を説得し、厨房でグリルする例外的対応をとることになった。しかし、夕方になって天気予報が好転すると、客側が再度、バーベキューに切り変えろと言い出した。すでに厨房でグリルする手筈を整えていたシェフたちは怒り出して変更は不可だと譲らない。客側は、この宿のオーナーが求めるホスピタリティを従業員が理解していないと支配人に抗議を始め、困った支配人が屋外のグリルに火だけをつけて、バーベキューの雰囲気を演出することで話をつけた。

 少しでも売上に貢献したいというのが動機だったとしても、「来てやっているんだ」という姿勢が見え隠れし、厨房の若い二人には、オーナーの身内たちが我がまま放題しているとしか映っていないようだった。間に入る支配人も、そうした客からクレームを聞かされるスタッフも、誰も彼もが気の毒に見えてきた。

 一時的な不便さは贅沢かもしれないが、従業員にしてみれば一年365日だ。そこまで不便さが続けば、いい加減ストレスもたまるだろう。いろいろ重なって、現場が疲弊しているのは容易に見てとれた。まかないごときに文句を言っている場合ではない。

 自前の茹で卵と野菜サラダ、フルーツは欠かさなかったが、10時過ぎに出されるおにぎりは必ず食べるようにした。何となく、厨房へのエールになると思えたからだ。昼食は相変わらず12時だったが、なんと、その日は大量の唐揚げが出た。野菜はなかったが、男性スタッフたちがお腹一杯食べられるその量が嬉しかった。ダンちゃんが厨房から出てきたので、「揚げたて! 美味しい!」とおかわりしてみせたら、はにかむ笑顔がそこにあった。

 その夜から、まかないがまかないらしくなった。これまで、この宿では誰もまかないなど気にしたことがなかったのだろう。人生初のまかない辞退を経験した若いシェフがいろいろと考えてくれたのだろう。そしてその対価として喜んで見せたことが、モチベーションに繋がったというところか。

 客が大事だということはわかっても、従業員も大事なのだというインナーコミュニケーションの重要性に気づくには、二人はあまりに若すぎた。私も、最初から諦めてまかないを辞退するのではなかったと猛省した。宿の現場では素人でも、人生経験では明らかに先輩だったはずなのだ。

 そして最終日。支配人に挨拶を終えて事務所を出ようとしたら、偶然、従業員名簿が目に入った。二行目に見つけた名前が、中嶋 暖。団ちゃんじゃなかった。なんて素敵な漢字の選択だろう。

 次に来るときは、まかないに使える差し入れを必ず持参しようと、暖ちゃんの名前に誓う。一週間を過ごした宿を後に、若いシェフたちに、どうか心折れずにこの宿に留まってほしいと心の底から願いながら。

※この記事は一部フィクションです。

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