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もやもやした話

 働いているオフィスで、二つ隣に座る30代くらいの男性がいる。仮に二つ隣君と呼ぼう。同僚とのやりとりに聞き耳を立てても、あまり社交的ではなく、仕事も器用にこなしていくようなタイプではなさそうだった。ただ、昼休憩の始まりと終わりにエレベーターで一緒になることは多かった。一度、女子率の高いイタリアンレストランで一人でランチをしているのを見て意外に感じたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 しかし、ある朝のこと。オフィスは最上階にあり、始業時間ギリギリの出勤は、エレベーターにいかに要領よく乗り込めるかが勝敗を決する。コロナ禍で乗員人数が6名までに制限されているエレベーターには常に列ができていた。私は地下で列に並び、エレベーターの前まで近づいた時、本来は次を待つべきはずの私の前の人が7人目として乗り込むのを見て、少しもやっとする。違法ではないが、マナー違反だ。と思ったら、後ろから出てきたもう一人が、8人目としてエレベーターに乗り込もうとしたのだ。なんと、二つ隣君だった。

 中の人たちが彼のためにスペースを作ろうと動くことはなかったので(マナー違反だから当たり前だ)、彼はあきらめ、並んでいた元の位置に戻ったようだった。なんなんだ、こいつ。乗員人数の上限だけでなく、順番も無視したその行為に違和感を覚えた。

 最上階まで行って、また戻ってきたエレベーターに順番に乗り込んでいく。私はいつものごとく「開」を押す役割を引き受けるため、ボタンの前に立つ。二つ隣君のほか2名は後ろの列に直行する。その時点で彼らは「開」ボタンを押す役割を放棄したことになる。そして、6人目で手足に障がいのある男性Aさんが一歩一歩を絞り出すようにゆっくりと乗り込んできた。エレベーターは上昇し、階を経るごとに人が下りていく。最後に、私と二つ隣君、そしてAさんの3人だけで最上階に向かう。

 次の瞬間、驚いたことに、二つ隣君は自分の前にいるAさんの前にわざわざ回り込み、ドアが開くと真っ先に降りて行ったのだ。驚いたAさんはバランスを崩したようだったが、私は「開」ボタンを押したまま、彼がゆっくり下りるのを待ってからエレベーターを後にした。チャイムが鳴る前で焦る気持ちもわからないではないが、Aさんに対する姿勢を見て、二つ隣君はちょっとした嫌悪の対象となった。

 同じ日のお昼休み。休憩時間の終わりに、また二つ隣君と地下のエレベーターで一緒になる。しかし二つ隣君はめずらしくボタンの前に立ち、エレベーターガール役を引き受けるつもりのようだった。朝の印象が悪かったので意外だったが、人が乗り込む間「開」のボタンを甲斐甲斐しく押し続けている。

 各階で停まるたび、彼は人が変わったように「開」ボタンを押し、人が下りると「閉」を押すを繰り返す。そして最上階。ドアが開く前から彼は「開」を押す準備を見せていた。人が順番に降りていく。いつもの習慣で私が後ろの人に先を譲ったら、降りて行く人物を見て、ようやく合点がいった。部の人事を握る総務課の課長補佐だった。

 たった一日、始業前と昼休憩のエレベーターに偶然乗り合わせて、これほど同じ人物に幻滅させられたことはなかった。席は近いが、職務は全く異なるため、これから先、彼と仕事で関わりを持つことも、人生の道がクロスすることもないだろう。だからどうでもいいと言えばいいのだが、いつか彼もどこかで新たな価値観に出会い、課長補佐ではなくAさんのために「開」を押せる人間になってくれたなら。彼のためにこそ、そう願わずにいられない。

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