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全ての食品は遠くまで運ばれた。家畜は生まれ育った場所から行きたまま運ばれ、野菜や果物は途中で熟成するように管理され、乳製品も新鮮なものと保存用のものの両方が運ばれた。いずれの場合も市場が食文化の基盤を構成し、資源の流通と各地域の独自性の「交流」を支えていた。

中世初期、ローマ文化とゲルマン文化が合流する。それは都市文明と農村文明、これに対して森との繋密な関係の中で生きていた狩猟や牧畜、採取によって食料の大半を占めていた民族間の合流である。パン、ワイン、オリーブの文化と肉、乳、ビール、バターの文化でもある。ローマ文明はゲルマン文明を「野蛮な」ものとして蔑んだ。しかし「蛮族たち」がローマ帝国に侵入し、次第に支配を拡大して権力を握ると彼らの文化が食に関しても「時世にかなったもの」として認められるようになる。それは勝者の生活習慣が広がるという点でどの時代にも生じることだ。こうした流れが交わるところから今日ヨーロッパの食文化と私たちが認める、新しい食の文化が中世の時代に生まれたのだ

ヨーロッパの中のイタリアという空間配置において、地域とは行政的単位ではなく、自然的・歴史的独自性を備えた区域である。そこでは食品は方言と同じような機能を持っており、ほかの地域において理解されイタリアのものとして翻訳可能な味覚を表現している。このように農村から都市へ産品が移動することと、料理が都市化してくことによってモデルは実質的に確立されていった。

参照文献:アルベルト・カパッティ【食のイタリア文化史】岩波書店 2011

#メモ