コミティアのサークル数推移

二次創作の影響がどうかはわからんけど、アマチュアのオリジナル創作はいま元気ですよという話

タイトルで全部言ってるんですけど、この話をしにきました。

事の経緯は幾谷正さんのブログ記事に私がつけたはてなブックマークのコメントを、幾谷さん自身がツイッター上でキャプチャ付きでコメントしているのを見かけたためです。

言及したいことはツイートの通りで、元のブックマークコメントも含めて幾谷さんの記事について、「認識違い」と呼んで差し支えないだろうと思った個所についての指摘です。

この後も連ツイで補足を重ねているのですが、2010年代も終わったいまの同人文化について、私見を記録するにはちょうど良い題材なのではないかと思い記事化することにしました。

テーマは「いまオリジナル同人めっちゃ人気ですよ」「二次創作のいまの形とは」という話をするつもり。

オリジナル同人文化の現状

以下は元記事からの引用です。

そしてこれは僕の個人的な立場からの意見ですが、二次創作で活動している作家ばかりが注目され、人気を集めた結果、一次創作で頑張ろうとする人間の邪魔をすることにも繋がります。
僕はプライドや意地だけで一次創作をやってる人間ですが、もともと有名で人気な作品のキャラクターを利用した二次創作の方が、簡単にものが作れてたくさん売れるに決まってるとも思っています。
pixivでイラストを描いてもオリジナルより版権キャラの方が多く見てもらえる。
同人ストアに出せば二次創作の方が売り上げは伸びる。
twitterでは一次創作の宣伝をしても誰も興味を持ってもらえないのに、二次創作ばかりRTやいいねを稼いでる。
そういった出来事の一つ一つが、毎日一次創作をするクリエイターの心を折っているんじゃないでしょうか。

大枠として「二次創作が活況であるせいで、オリジナル創作が割を食っている」という主張であると理解しているのですが、ブックマークコメント及びツイートでも示している通り、二次創作を含む同人文化が日に日に認知を広げる中でも、その隣にいるオリジナル同人はめっちゃ元気です。

一番わかりやすいかなと思ったので、30年以上の歴史を誇るオリジナルオンリーの同人誌即売会・コミティアのここ10年ばかりのサークル数の推移を見てみましょう。

コミティアのサークル数推移

※サークル数は「COMITIAヒストリー」を参照しました。

増えてるよね。

2019年に入ってちょっと数を落としていますが、これは2019年からはいつもの開催地であった東京ビッグサイト東館がオリンピック開催のため閉鎖され、やや手狭な西館および青海会場に場所を移しているためです。

ちなみに会場面積が減っても応募数は多く、昨年2019年11月開催時には300近いサークルの落選がありました(参考・11/24のCOMITIA130の参加サークルリストを公開しました。

2010年代はこれ以外にも地方開催のコミティアが3つ増加(2014年北海道、2015年福島、2017年九州)しています。

ついでにコミックマーケット10年分(C78~C97)のサークル数の推移も調べてみました。

コミックマーケット創作サークルの推移

※「Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな新館」を参照しました。集計対象のジャンルコードは以下です。

111 創作(少年)、112 創作(少女)、113 創作(JUNE/BL)、114 歴史・創作(文芸・小説)、115 学漫、116 オリジナル雑貨、600 評論・情報、611 鉄道・旅行・メカミリ、610 歴史(C82に114統合)
※コート番号は2019年基準。

比較対象として、同期間内で1000サークルを超えた二次創作ジャンルコードとの推移を置いときます。

画像3

※「Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな新館」を参照しました。

コミティアほどコミケの創作サークルが増加傾向にあるわけではありませんが、そもそもコミックマーケット全体がC70ごろから夏冬ともに3万5千サークルを上限としており、ジャンル単位のサークル数は何かが増えれば何かが減ります。

見ての通り二次創作ジャンルにおいては、片や200サークルくらいだったジャンルがいつのまにか2000サークルを超えたり、片や数年で半減するジャンルがあったり、変動の激しさを体感できるでしょうか。一方のオリジナル系ジャンルはほぼ時流による変動もなく、近年は緩やかに増加傾向です。

元記事の主旨は「二次創作ジャンルが活況なせいで、オリジナルが割を食っている」だと理解しているのですが、もしそうであれば同じ文化圏の中で隣接する二次創作とオリジナル同人は「人気の二次創作が誕生したタイミングで、オリジナル同人が低調になる」などといった傾向が出るのではないかと思われます。

しかし文化全体の実数として、少なくともここ10年に限定していえば「二者間に好調と不調の相関関係があるとはいえない」、「それはそれとして近年のオリジナル同人は全体で数を増やしている」というのが私見です。

電子書籍ストアと二次創作 前編

元記事からまた引用します。

結論からいうと【二次創作の電子販売の全面禁止】が、個人的に一番いい落とし所じゃないかなと思っています。

この是非以前に、二次創作を販売できる電子書籍ストアってそんなにあったっけ? という疑問が浮かびまして、セルフパブリッシング可能な主要な電子ストアの二次創作可否を調べてみました。参考にしたサイトはこちら。

KADOKAWA BOOK☆WALKER →認可ジャンル以外の二次創作取り扱いなし
Amazon Kindle →なし
楽天 Kobo →なし
Apple iBooks →なし
BCCKS/ブックス →なし
DLSite.com →あり
FANZA同人 →あり
DiGiket.com →あり
Pixiv−BOOTH →あり
とらのあな電子書籍 →あり
MelonBooks →あり

結構あるな!

権利侵害の懸念を投げ込みたくなる気持ちもわかりますが、現実問題「あり」側のことを電子書籍サイトとして利用している人がどれほどいるのか疑問があるメンツです。委託書店として有名なとらのあなやメロンブックスが、実は電子書籍のセルパブを受け入れていることを知ってる利用者がどれだけいるのか……。

また「あり」側ストアにとって、実は二次創作は売れ筋作品ではありません。ですので元記事で禁止の根拠としている以下については疑問があります。

色々書いたんですが、全ては「二次創作がビジネス的に優位すぎる」という偏りによって、二次同人への作家流出に歯止めがかからなくなってると思うんですね。
このあたりを解決しようと思うと、やはり「二次創作は儲けにならない不利なものだ」という状況に、偏りを戻さないといけないわけです。
で、二次同人が現状めちゃめちゃ儲けやすくなっている理由の一つって、「電子販売の普及」がターニングポイントだと僕は思っています。
これが二次創作でも同じように利用できてしまうと、もう「非営利な同人活動」って言ってられないような金額の利益が出てしまうんですね。
実際、データを紐解いて見ても、「同人市場の規模は年々増えているが、電子販売が特に伸びている」という数字も出ています。

この辺りの同人……というか、広義のセルフパブリッシングと電子書籍市場については、過去に「同人文化という金脈で『スコップを売って』一山当てたいならこれくらい知っとけという話」という記事を書いた折にも調査したのですが、現状はオリジナル一強です。

二次創作も扱うDL同人サイトの中で、全年齢版とアダルト版を持つDLsiteの2019年間ランキングでは、ついに上位100作品の全てが著作権上の原作・原案を持たないオリジナル作品が占めています。

上位作品は数万ダウンロードされているような市場で、これだけ二次創作の存在感がないのであれば、当然「儲けたい」と思って新作を出すなら二次創作ではなくオリジナル企画を立てるでしょうね。

「同人市場の規模は年々増えているが、電子販売が特に伸びている」は事実でも、「(電子媒体で)二次同人が現状めちゃめちゃ儲けやすくなっている」は誤認であり、ゆえに「儲け目当てで二次創作の電子販売が増えるのでは……」といった懸念は現状では考えにくいです。

また、最も有名な電子書籍ストアであるAmazon Kindleは、先の通り二次創作作品を受け入れていません。世界で最も電子書籍を売ってるストアでセルパブしても、そもそも取り扱いがないのだからストア内ではオリジナル作品とアマチュアの二次創作作品との戦いにはならないはずです。

つまるところ、電子書籍ストアにオリジナル創作本を出版した際にまずライバルになるのは、二次創作作品ではなく他のオリジナル作品ではないでしょうか。「二次創作があるから自作のオリジナル作品が売れないのだ」と言える市場ではないと思われます。

市場実態として二次創作では大きく儲けやすくはないのに、儲けやすいのだから禁止とするべきだという主張は、因果の伴わない問題提起に思えます。

また最初に引用したツイートに見受けられる「多くの消費者に求められていないから禁止してよい」という理路は、同人でも著作権にも限らず、あらゆる制限や規制を検討する中でも乱暴な部類の発想であると指摘します。

もちろん電子書籍と二次創作について、理論上は原資がほとんど必要なく無限に有償コピーできてしまう状況は、(実際にどれほど購入されるかはともかくとして)著作権法上の問題が発生しやすいという懸念は理解します。

それらのひとつの着地点として、BOOK☆WALKERと東方プロジェクトの関係を紹介したいと思います。

電子書籍ストアと二次創作 後編

伴 もともと同人誌として、紙媒体ではZUNさんからOKが出ていて、皆さんが自由に二次創作作品を出版されていましたが、電子書籍に関しては、明示的に許諾していたことはなかったんですよね?

ZUN ガイドラインには、“公式の作品が出ている流通で”という話だったんです。

ご存じ上海アリス幻樂団が制作する「東方プロジェクト」は、伝統的に同人活動を認可しており、現在も多くのサークルが活動しているジャンルです。

しかし一方で、引用のとおり電子配信については明示がない状況でしたが、この2018年のBOOK☆WALKER提携に伴い、東方サークルは他と同じ利益率のまま、権利元である上海アリス幻樂団にもマージンが支払われつつ、電子配信を行えるという形に昇華しました(なおアダルト作品の取り扱いもあります)

この形式はのちにBOOTHも追随し、現在はこちらも公認で電子販売が行えるようになっています。

このように、現状は権利者と二次創作者という二元論にとどまらず、両者や仲介者が入り混じって様々な取り組みが試行錯誤されています。

そこまで考えて、今度は元記事について懸念が生まれます。

二次創作を奨励するのは、ただでさえ強い立場にある二次創作の立場をさらに強くして、逆に弱い立場にある一次創作の立場をさらに弱体化させる結果になるのではないでしょうか。
まるで大企業を優遇して中小企業を冷遇する、彼の所属政党の方針と似たものを感じてしまいます。

上記の議論をすることは、二次創作を推奨するタイプの権利自身の意思もまた、不当であるのかどうかという議論が必要になのではないでしょうか。

たとえ許諾があろうとなかろうと、正当な手段でマージンを支払っていようとも、二次創作とは他者が発案した人気のある世界観とキャラクターを元に作品を新たに作る作業であることは変わりありません。

この手段そのものが、世にあるオリジナル作品に不利な状況を生むので制限する必要があるならば、権利者自らが公認して風通しよく二次創作を流通しようとする姿勢も批判対象になるのかどうか、我々は検討する必要があると思います。

世界規模の二次創作活用例

さて、さきほど「たとえ許諾があろうとなかろうと、正当な手段でマージンを支払っていようとも、二次創作とは他者が発案した人気のある世界観とキャラクターを元に作品を新たに作る作業であることは変わりありません。」と書いたばかりですが、ちょうど2019年は二次創作が世界的にも盛んでしたね。

そうですね、みんな大好きアベンジャーズです。

ご存じの通り、アメリカのマーベル社の長い歴史の中で培ってきたコミック群から、人気の高いヒーローたちを実写映画化し、10年をかけて編み上げたものがこのマーベルシネマティックユニバースです。

世界で一番金のかかった二次創作ことMCUは、一種のフランチャイルズ形式で制作されています。ケヴィン・ファイギをはじめとした全体を管理するプロデューサーたちがバックアップすることで一定の品質を保ちつつ、原作とキャラクター性を生かせそうな役者と監督を有名無名問わず起用しつづけました。

後年のヒーロー映画の流れを決定づけたといっても良いだろうアイアンマンとジョン・ファヴロー、硬派なドラマ性と鋭い時事性を持ち込んだキャプテン・アメリカとルッソ兄弟、なかなか決定打のなかった中で方向性の大展開をおこない成功作となったマイティ・ソーとタイカ・ワイティティなど。すでにある原作やキャラクター性をより生かせるクリエイターは誰で、実際どうだったか、とはMCUを語るときには外せない要素です。

映像作品とはもともとコストの高い商品なので、この業界ではリスク回避の面からも人気と品質の高い原作を求め、それを映像作品として作り直して商売する傾向は洋を問わずみられます。日本のテレビアニメに、コミックスや小説を原作とするものが多くあるのと同じです。

スピルバーグもキューブリックも宮崎駿も、経歴の中には原作ありきの二次創作作品が含まれており、その中のいくつかは現代においても傑作のひとつとして数えられているはずです。

ただ、創作の技術において大切なのは「キャラクターや世界観を自分で考えて生み出すこと」だと考えていて、二次創作だけやっていても肝心の技術は育たないと思っているんですね。

とは元記事の言ですが、私は必ずしもそうとは言えないと考えています。

繰り返しますが、たとえ正当な許諾がありマージンを支払っている商業分野においても、原作ありきの二次創作とは、他者が発案した世界観とキャラクターから情報をくみ取り、自身の発想を加えて新たに作品を作る作業であることに変わりないはずです。

例にしたMCUでは、すでに何十年と積み重ねられてきたマーベル社のコミック群の世界観とキャラクターを、新しい世代の映像クリエイターに明け渡すことで成功してきました。

様々なクリエイションを見渡せば、すでに出来上がった世界観やキャラクターを再解釈する技術は重宝されており、クリエイターを育てる土壌として、作品を生み出す手法として、なによりその能力はクリエイター自身の実力として認められているのではないでしょうか。

もちろん映画文化であっても二次創作特有の問題はつきまといます。別のクリエイターが再解釈することで、原作の旨味を壊してしまうケースも多々あるからです。宮崎駿の原作つき映画、だいたい毎回原作者がもやっとしてる……ただこの場合も、原作と全く違うから全く魅力がないのかというとまた別だったりするから難しい話。

またMCUの功罪として、フランチャイルズ手法が映画業界全体に波及し、それまで低予算映画しか撮ったことのなかったクリエイターが急に数億ドルが渦巻く制作現場に投げ込まれ、慣れない環境と原作があるゆえの制限の中で一定量の品質を生み出すことができず、クリエイター自身も潰れてしまう例もありました。

そういった光と闇を飲み込んできたここ10年の流れから、売れ筋のアメコミヒーロー原作としながら反フランチャイルズを根底においた怪作「ジョーカー」がヒットしたというのも、2019年を象徴する出来事であったと感じています。

原作を生かしファンを喜ばす方向に振り切ったアベンジャーズも、それらに半ば背を向けたゆえに成立したジョーカーも、日本のアマチュア創作文化からは縁遠いとは思われるかもしれません。しかし「すでにあるそれを、どう解釈して世に出して見せるか」と人々を感動させようとした意味において、遠くはあっても同じ延長線上にあるように私は思うのです。

田中芳樹作品のガイドライン制定について

ここでは、元記事内で紹介されている二次創作ガイドラインの認識について、違和感があったので補足させてください。

他にも『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』で有名な田中芳樹先生が自作の二次創作について厳しい規約を設けているのも有名な話です。

「厳しい規約を設けている」と説明されていますが、リンクされているページ内には以下の記述があります。

◆目的
 著作権法上、二次的著作物の作成や利用(いわゆる同人誌の頒布やインターネットでの公開をふくむ)については、 著作権者の許諾が必要です。
(中略)
 一方で、同人誌の頒布やウェブサイトの運営が 著作権侵害の罪に問われる事件も何件か起こっています。 ファンのみなさんのなかに、きちんと許諾を得て使用したいという方も増えてきました。 そこで、弊社では、諸々の事情に鑑み、以上に規定する場合において、 個別の許諾なしに二次利用を許可することにしました。

この項がさす通り、原則的に二次創作を大っぴらにするには許諾が必要です。しかし「弊社では、諸々の事情に鑑み、以上に規定する場合において、 個別の許諾なしに二次利用を許可することにしました。」とガイドライン制定をするのは、「厳しい規約を設けている」とは真逆の意図であり、むしろ緩和の方向ではないでしょうか。

ちなみにこのガイドラインが一躍有名になったのは、2015年にファンがこのページを発掘し、当時からほぼ同様の規約が設けられていた中で、禁止事項に「二次的著作物に、露骨な性描写や同性愛表現が含まれる場合」という一文があったため、「これは同性愛表現の排除ではないか?」と大きく問題視されたためでした。

この件については以下記事が詳しいです。

「露骨な性描写」と「(程度を問わない)同性愛表現」を並列に扱っていたことを公式に謝罪し、現在の形式になっています。

「性描写」については表現活動の中でもトピックになりやすい要素ですね。社会的にも線引きされているものも多く含まれますが、実際にはその振れ幅も基準値もあいまいです。おおむね「人目をはばかりながらキスする」描写は現代日本でさほど問題視されないと思いますが、「見る人を選ぶ過激で尖った描写」も含まれるのは確かです。規約では後者を制限したかったのだと推測できます。

しかしその「見る人を選ぶ過激で尖った描写」の問題とは、異性愛でも同性愛でも公平なはずです。異性愛者がキスするのはよくて、同性愛者がキスすることを露骨な性描写と同等として制限するのは公平とはいいがたい。

……という議論が2015年の段階で一通りなされ、実際にらいとすたっふの方々も真摯にそれらの話を聞きうけて記述が変更されることになりました。

私は当時からこの一件を知っていましたが、今振り返ってみてもこのガイドラインとその経緯で問題視されるべきは「この規約がどれくらい厳しいか(もしくは易しいか)」よりも、以下のツイートではないかと思います。

権利者は二次創作群に対して適切な距離を取ろうとしたはずが、「わざわざ送ら」れたことで距離を詰められ、制限を設けざるを得なかった。

送ってきた側がどういった動機だったのかはわかりませんし、同人誌の作者と同一人物であるかもこの情報だけではわかりません。しかしこの一件からは、適切な関係であろうとした権利者と同人の間柄を崩してしまいかねない無邪気さ、もしくは「崩れてしまえ」という悪意を感じています。

例えば僕なら、そういう気に入らない二次創作があれば、わざわざ公式のHPの問い合わせフォームに「こんなひどい同人誌を出してるやつがいるから取り締まってくれ!」って内容を送ると思います。
ただ、大抵の公式って「二次創作に対しては黙認する」ことが当たり前になってしまっていて、こうしたファンの切実な意見まで黙殺して無視することしかしないんです。

元記事にこのようなくだりがありますが、現実に人を選ぶ内容の書籍が送り付けられて、公式が行動せざるを得なかった一件がこのらいとすたっふのガイドラインです。

しかし一方で「検閲めいたことをする気はなかった」とも発しています。つまり、権利者からみれば送り付けた側の意図こそが意にそわないものであったのです。

適切に距離をとっていたはずの両者を「禁止を促すために」強引に近づけたこの行為は、作品の権利者を尊重した行為であるといえるのか、本当に文化発展のために健全な行為といえるのかどうか、よくよく考える必要があると思います。

私の立場と姿勢について

長々書いといてさらにかったるい話をしてしまうんですが、万が一、元記事に賛同を感じた人らがこの記事をみたときに「自分で生み出したこともないワナビーが」と一蹴される可能性も考慮して、少し身の上を説明させてください。

私自身はかれこれ2003~4年ごろから大規模同人誌即売会に一般参加し始め、2009年以降はコミックマーケットや各種オンリーイベント、コミティアなどに場を移しつつ、平均してまあまあの頻度でサークル参加しています。参加ジャンルは家庭用ゲームを原作群が中心で、ここ5年ほどはコミティアでオリジナル同人誌を発行しており、ジャンル問わず大多数の発行物は全年齢指定です。

元記事の主張からして「話を聞く気にならない身分ではない」と勝手に自認しております(もちろん実際にどう思われるかは自由です)

そのうえで、私は二次創作を肯定的にとらえています。文化として今後も継続的かつ、規制や制限もできれば増やさず、現状で困ったところは健全化して発展していってほしいと思います。

一方で、二次創作に否定的な意見の人の口をふさぎたいとも思いません。

20年近く同人文化を楽しんでいる身分ですが、いつのタイミングでも二次創作という行為と、経済活動を伴う文化について否定的な意見を持つ人はいました。また過去の資料や体験談を聞く限り、前世紀から同じような意見を持つ人は少なくなかったようです。

「こんな二次創作を野放しにしておけば、他のファンが離れていってしまう」という元記事の主張も、そうやって距離を置く人が生じることには異論はありません。しかし二次創作を楽しんでいるからわかるんですが、それは過激な性表現や暴力的表現以外の、すべての方向性の表現にも降りかかる問題です。

あの子はこんなこと言わない。あの人はこの人に惹かれない。なのに世間は間違ってる方を支持しているので私は息苦しい……二次創作をたしなむものは、そういった心の機微を「解釈違い」と呼んでいます。

「解釈違い」とはしばしば二次創作を愛好するファン間のみで生じる摩擦と思われがちですが、本質的には権利者とも二次創作に興味のないファンにも生じるのではと思うのです。漫画家の赤松健さんが、2012年に行った同人誌をめぐる対談の中でそれを示唆しています。

もちろん「自分のキャラがひどい目にあうのはイヤだ」と考えている人もいらっしゃいます。しかし僕は、自分も同人誌出身ですから、僕のキャラをつかわれても全然大丈夫なんです。特に、うまい人ならばぜひ。と、こんなことをいうとファンの方に怒られてしまいますが。
「作者がもうからないと未来につながらない」

権利者自身が好意的に二次創作を――他者の創造性に自作をゆだねることを良しと認めても、認めたからこそ権利者が別のファンから「こんなものを良しとするなんて」と責められる……それは、責めるファンの中にも(普段から二次創作文化を愛好しようとしてまいと)「権利者の意向」では片づけられない、「私はこういう形で作品を動かしてほしくない」という思いが潜んでいるからなのでは。この構造は、二次創作をめぐる人の思いついて、本質をついていないかと折に触れて考えます。

今のは余談でしたが、二次創作に限らない話として、過激で暴力的ないし性的な表現を下にみる姿勢に、クリエイターの端っこにいる身として全く共感できません。どんな表現であっても誰かは必要としてくれるかもしれないと信じたから、我々はそれぞれに思うものを表現し、社会と折り合いをつけながら世に投げ込んでいるはずではないでしょうか。

過去にあった否定的意見の中には、二次創作文化の本質にかかわる代えがたい部分を指摘する鋭い意見もありましたが、現状で世に溢れる言説の中には誤った認識のため生じている誤解も多くあると感じています。

そしてそうやって誤解を抱いている人の中には、すでに自作の二次創作を前にして悩んでいる権利者、クリエイターの方々も多数いるのだと思います。

前述のとおり、私は二次創作という行為と文化を肯定的にとらえています。けれど、クリエイターが稀にぶつかる自作と自作の二次創作の関係にまつわる悩みも解消されてほしいとも思います。そのためには正確なデータと健全な対話が必要であると考え、この記事を書きました。

クリエイターの方々におかれましては、権利者と二次創作者という誰の顔も見えない大枠でみるのではなく、ご自身の作品とその作品を知る人たちとの関係性を、誠実にみつめてほしいと思うのです。

 僕の場合は、そんな本物のデータを提供して、二次創作をつくってもらっていい。もしかしたら作者より上手くておもしろいものができるかもしれない――。これが究極的な同人スタイルじゃないかと考えています。
 ただしこれは僕の考え。「自分の作品は誰にもいじられたくない!」という考え方の作家さんも大勢いますから、そういう人はちょっと同人誌を許諾するのは無理ですけどね。
「萌えやツンデレを輸出すべし」――パロ同人誌を合法化、国際化するには (2/2)

どんな意見や立場であっても、これからはより良い状況に導けるような議論が展開されるよう祈っています。

追記。補足記事書きました。こっちの記事よりゆるゆるです。