贅沢恐怖がぶり返す 24/09/16

何やらまたまた贅沢恐怖がぶり返していて、現在は外に居るが、外に居るという事が苦しい。どうも、世は、私が満たされるという事を是としていない気がするのである。私が満たされたとて、誰も喜ばない。肝心の私すら喜んでいない。かと言って、満たされたいのだから、満たされたいが為に何かしらの行動をしてしまうのである。今日は、お寺へ行く。本線から外れたあの街にある、あのお寺へ行く。結局、今日もこのような気を持って、あのお寺へ行く。ああ、本当に出掛けてもよいのだろうか。私はいつか、他者からこう言われる気がしてならない。「君は満たされ過ぎた」ぐうの音も出ない。因みに、この贅沢恐怖の問題を、ひきこもり問題に関連付ける事も可能だと思っている。こうして、外へ出るという事が恐ろしくなって、私は将来、家から出なくなるのだと思う。そうに違いない。

これがサッパリとした秋の天気であれば、このような憂鬱感は和らいだのであろうが、生憎今日もまるで夏の天気であり、かつどんよりとした雲の多い天気で、外の景色に感動して喜びで溢れるとか、そういう事は全くない。このままでは隕石が降ってきそうな心持ちである。どうか、どうか、今日ぐらいは何もアクシデント無く、「楽しかった」とただただ言って、自宅へ帰りたい。帰った後に、冷房をガンガンに効かせて、ぐっすりと眠りたい。そういう風に話をしていると、外なんか行かなかった方がよかったのではないかと、指摘をされそうである。私は、その指摘が怖いのである。私は、お寺へ行きたいし、けれども苦しくて、困っている。私の意志は、お寺へ向いているのである。どうか、その事を知って欲しい。そして、思う存分しんどい気持ちで居る事を、許して欲しいのである。私に健康への意志はない。私はデカダンである。

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