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父親とドライブへ行く 24/08/13

お盆の真っ只中である。とは言え世間は一応平日であるらしく、通りへ出ても人や車の往来は少ない。ただし父親は休みなので、折角のお盆に家で暇を潰すのも勿体無いという話になり、今日は、特に目的も無く、父親の運転でドライブへ行ったのであった。かなり暑くはあったものの、その外気の暑さと車内の冷房での涼しさとの対比があった為、独特な特別感があった。八号線を北へ向かい、武佐、五個荘、高宮という順に進んでゆき、鞍掛峠に入り、越え、員弁市へと入る。それからは北勢を南下し、千草の方面へ向かい、武平峠を越え、日野の平野へと出た。そういうルートでのドライブであった。普段聞き慣れない蝉の声が聞こえたり、たまにコンビニに寄った時にカラリと乾いた夏の風を浴びたりして、夏ならではの要素はたっぷりと堪能した。田んぼの稲はもうかなり実を膨らませており、もうそう遠くない収穫の時期が待ち遠しかった。勿論、父親とは終始会話をしていた。歴史の話等は特に盛り上がった。

という、贅沢な一日であったが故に、今日は本格的に贅沢恐怖が酷い。己が満たされてゆく事に対する恐怖という、去年の夏から生じているこの精神の不安定さは、一時期霞んでいたのであるが、やはり根本的な改善はしていない。満たされれば満たされる程怖くなる。滅びの景色が鮮明になるのである。あと何度こうして父親とドライブへ行けるのだろうかと思うと、辺りの山々や、田んぼの景色が、途端に虚しく思えた。私は切なくなった。今日が人生で最後のドライブであるような気がした。けれども泣く事も出来ず、ずっと父親と雑談をしていたのであった。その姿は、間違いなく道化であった。こんな事を誰かに話しても、誰も解決方法を知らないのであるから、この山々が不動であるように、現実は何も変わらないと思って、ただ一人で絶望を深めていたのであった。滅びへと進んでゆく中でただ活発に飛んでいる赤トンボの姿を見て、やけに可哀想に思えたのであった。

夕方になり地元へ帰ってきて、夕食を済ませ、現在は父親とプロ野球を観戦している。結局、このプロ野球観戦という時間に落ち着くのである。今日も何も変わらない。きっと明日も変わらないであろうと思う。己がどんどん絶望に侵食されていっているのに、私は何もする事ができない。私は、もう何も望みたくないのである。満たされたいという月並な事を言っているのではない。死ぬという選択肢も選べない。帰路に車の窓から見えた夕空の彼方には分厚い雲が浮かんでいた。いっその事、ザアっと雨が降ってくれればいいと思った。けれども、降らなかった。夕空はただただ綺麗なだけであった。もう二度と見られない今日という日の広い夕空の綺麗さは、誰に話しても伝わらないと思った。こうしてまた思い出が生まれて、もう二度とその思い出の世界へは帰れなくて、思い出に縛られて、私は藻掻き続けるのだと思う。

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