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14年ぶりのお布団 ><

長文なので、最後まで読んでいただける場合にはお時間のある時にしてください。母が逝ってしまった時何も残せずに ここに叔母のことを書きました。本文はFBに…。
仕事に直接関係ないのですが、長年同居していた叔母と2021年11月12日お別れしました。丁度、今年父(認知症で徘徊し交通事故に遭いました)の17回忌、母(緑内障患い癌でなくなる数年前から目が見えなくなりました)の13回忌、叔母は小さい時から働く母の代わりに私達兄妹のオシメから面倒見てくれました。人とちょっと違うことは、生まれた時から耳が聞こえず、言葉が言えず、私を背負って台所に立っていて、炊飯器に私の足が触って火傷して泣いているのが分からず、近所の人が家に駆け込んで来たことがありました。母が癌になり余命1〜3ケ月の宣告、母の大好きな桜が見せてあげれないと思いながら看病をしつつ静かに心の中でお別れを覚悟して、それでも母は1年ほど頑張ってくれて旅立ちました。母の夜のトイレに私が疲れて起きれずに這ってトイレに行きトイレの取っ手に顔面をひどくぶつけて叫んでいたこと、顔は腫れ上がり顔中あざだらけ見るも無残なことがあり、程なく叔母も夜のトイレは、フラフラするため叔母の部屋の隣のリビングのソファーで仮眠して夜のトイレの介助を繰り返していました。おかげで超ショートスリーパーに慣れてしまった。短時間で何時間も寝たなって思い込んでいました。そんな入退院を繰り返していた叔母ですが、訪問看護の方に100歳まで生きることができそうだね。と言われて私もそうあって欲しい、そうだなと思い込んでいた矢先、病院から退院して来た1週間目お昼にご飯もデザートも食べて2時間、突然座っていたソファーからずり落ちお腹が痛いと言い出しました。いつもの病院に…痛がり方が普通ではないと胃か腸に穴が空いているかもと多治見の県病院に17時に救急搬送 同じ症状の方がいて同じ時間に手術が出来ず美濃加茂の木沢病院に22時救急転送 手術が始まったのは日を改め1時から、3時半までかかり開腹し腸を30リットルのお水で洗い、人工肛門と人工呼吸器をつけてICUに…すでに時間がたちすぎて血液にも毒素が入り込み血液の透析みたいなことも主治医の先生があらゆる手を尽くしていただきましたが手術から12日目眠るように母達の側に旅立ちました。途中2度ほど目が冷めた時に病院から連絡があり、言葉が通じないけど何かを訴えてるからとのことで面会に「お水が飲みたい」と「お腹が痛い」とどちらもどうすることができず、「寂しいから早く元気になって帰って来て」と伝えるのが精一杯、叔母もウンウンとうなづいて又、目をとじてしまいました。熊本から岐阜に母は80歳、叔母は73歳で私と同居するために引っ越して来ましたが、結局私が仕事仕事でどこにも連れて行ってあげることも出来ず、もっといろんなところに引っ張り出して連れて行ったり、もっと優しく向き合っていればと悔やんでしまい、涙が溢れてしまいます。叔母が旅立ってから14年ぶりのお布団で寝ました。久しぶりで慣れていないので腰が痛くなり結局朝3時に目が覚めてしまいました。まだまだお布団で寝ることになれません。

クライアントの皆様にも叔母さんに集中してと言って頂き3週間ほどお休みをいただいていました。本当に感謝しかありません。これからお心遣いを頂いたクライアントさんの為にも元気でしっかり寄り添いながらお役に立てるように精進してまいります。

長文をお読み頂いた皆様本当に私ごとですみません。ありがとうございました。感謝ばかりです。

これから、ブログもちょこちょこあげていきたいと思います。


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