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「橋本治をリシャッフルする」第二回は、洪水で溺れる

第二回の講座の前に

相変わらず、こちらの本を読んでいる途中です。

普段、書くことを仕事にしているので、橋本治さんの講座ではどうしても、書いて、伝える、という話が気になります。

第一回の授業を受けて、また本を読んでいて、橋本治さんは徹底的にパブリックな人だったという話が気になっていました。自分がやるよりしょうがないことに出会って、他の人がやらないから、人類という共同体の一員として、それを伝える義務を感じてらっしゃった。なぜ義務を感じるほど共同体の一員としての自覚が強いのかよくわかりませんが、義務を負っているから、丁寧に伝える努力を惜しまなかったということです。

ただ、丁寧に書かれていると言っても、それは橋本治さんの思考が丁寧になぞられているということなので、必ずしも読者にとってわかりやすいものではなかったようです。とはいえ丁寧に伝えることを惜しみなくできるということには、尊敬の念しかありません。

そんな話に触れて、第二回の授業までの間、私が使命感もって取り組めるものはあるだろうかということを考えていました。共同体のみんなが使命感を持つ必要はないでしょうけど、誰もが面倒で取り組まないもので、私が取り組んでしまうものがあるんじゃないか。そんなことを考えていました。

そういうことを考えていると、学生の時「サル学の現在」を読んだことがきっかけで、立花隆さんの仕事ぶりに憧れたことを思い出したり、ほぼ日の学校「万葉集」講座の時、梯久美子先生が栗林忠道中将について調べた話や、橋本治さんが古典と向き合う話が思い出されました。

第二回目の授業まで、そんなことを考え、身の回りの興味関心を見渡す日々を過ごしていました。

講座(第二回)

第二回の授業は、こちらの本がテーマと聞いて、事前に前篇だけでもと思って購入しました。が、またも読みさしたまま授業当日になりました。。

中条省平(ちゅうじょうしょうへい)先生は、はっきりした日本語で、少し早口に授業を始められました。その口調に少し背筋が伸びました(すぐにいつも通りの猫背になりましたが)。

今日の授業の内容は、学校ニュースを見てください。

”すみません。
授業の10分の1も
お伝えできていません。”

そう! 学校ニュースに書いてある通り、情報量が多い!!

私は少女マンガのことも、それを論じた「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」も、ほとんど頭の中にない状態。耳から入る情報は、頭の中で有機的に結びつく知識もなく、情報の洪水は洪水のまま、脳内の田畑(日常の思考)を荒らしていきます。

ここでも、気になったのは、伝え手としての橋本治さんのこと。
あーだこーだ書いてある文体は読みにくいけど、ご自身の思考を辿ることにかけては比類ない、ということについて中条先生は話されました。また「好きなものを突き詰める」「違和感を捨てない」ということ大事にして、しつこく迫り、どこかの出口に出るまで突き詰め続ける姿勢についても触れられました。

結論の一つとして、不器用でも、地道で真面目な姿勢が、伝える仕事には、大事だということを教えていただきました。

「橋本治をリシャッフルする」講座は、私の興味がそこにあるからですが、仕事に向かう姿勢を問われているようで、毎回、身の引き締まる思いにさせられますね・・

次回は来週。「橋本治の小説作法」という授業です。これまた楽しみでしょうがない! 「桃尻娘」読まないと。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。