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ソロキャンで夜の闇と向き合う #キャンプの楽しみ方

キャンプと言えば、私にとってはソロキャンを指す。

そんなに頻繁に行くわけではないが、3、4カ月に一度くらい行くことにしている。

どこのキャンプ場とは言わない。3年前に見つけた、人が少ない、ちょっと不便な場所にある。ああいうキャンプ場でも、コロナ禍が過ぎれば混雑するのだろうか。

生物の気配を完全に消すことはできないが、生物の香りが充満している夏は息苦しくて、どうも好きになれない。暑さが消えそうな頃、秋の終わりや冬の始まりが特に好きな時期だ。

なるべく人の集まりから離れてテントを張り、ひたすら自分の時間を過ごす。コーヒーを飲みながら、読書することもあれば、川の音を聴きながら、ビールを飲んで、自然や遠くの人の動きをぼぉーっと眺めることもある。散策はあまりしない。

ゆっくりとした時間を過ごしたら、夕飯の支度をする。普段、食べない肉の塊を調理するのが好きだ。冷凍した牛肉の塊を持っていくこともあれば、マリネした鶏肉や豚バラ肉を持っていくこともある。とにかく、大きな肉をモリモリと口に運んで、ビールで流し込む。

焚火もいい。
火をつけることは今でもあまり得意ではないが暗闇の中、ゆらゆらと揺れる炎を見つめていると、私をどこか別の世界に接続してくれる。時々、薪が爆ぜる音に、現実世界に連れ戻される。


しかし、私にとって、一番大事なことは、一人で夜を過ごすことだ。

太陽の強い光、台風のような強い風、夏の暑さ、凍えるような寒さ、どれも、人間の力で太刀打ちできない気持ちにさせられることはあるが、夜の闇ほど、手に負えないものはない。押しつぶされそうになる。

闇の中に何かを感じる。

本当に、人ならぬものが存在しているのかもしれない。

眠気が襲ってくると、闇の中に白い大きな塊がやってくるような錯覚に襲われることもある。ハッと目が覚め、周りに気配がないことを確認して、ほっとする。

闇を感じる。「何か」と対峙する。
自分の心の内面を映すばかりではなく、きっと手に負えない「何か」を闇の中に感じる。この闇と対峙する時間が私にとって、一番大事な時間だ。


そして、闇と対峙に疲れて眠り、無事、朝を迎えられたことを喜ぶ。


朝のコーヒーを楽しんだ後、テントをたたみ、炭の始末をする。何かを得たわけではないが、闇と対峙した時間だけを持って、キャンプ場を後にする。そして、3カ月経った頃、闇と対峙する感覚を求め、私は、一人このキャンプ場に向かうのだ。街中では決して、経験できないことだから…



…と、妄想はこの辺で終わりにする。


実は… 大人になって、キャンプに行ったことがない。
闇を感じるという話は、「考える人」の村上春樹氏のインタビュー特集の中で、語っておられた話だ。

――一人で夜歩いたりキャンプしたり
するときに、闇のもつ独特の感じを強
く意識したと以前おっしゃっていまし
たね。

村上 野宿したりすると、闇の中にそ
の土地土地の土着の力みたいなものを
けっこう強く感じました。

「考える人」2010年夏号 特集 村上春樹 ロングインタビュー(27ページ「野宿と闇」)

私も、高校生まで、田舎に住んでいて、山が近かったので、夜の本当の暗闇を知っている。そこに何かを感じてはいたが、それが「何か」を意識することはなかった。ただ、村上春樹氏のインタビューを読んで、「何か」を感じるという気持ちは少し理解できた。大人になって、閉じてしまった感覚を呼び覚ますのに、闇との対峙が必要なんじゃないか。最近、そんなことを考えていた。


そう考えるようになった時期、離婚をした。

土日は、別居している息子が遊びに来るようになった。基本、土日の予定は空けておくことが習いとなったので、中々、キャンプのことを知りあいに教わる機会が訪れず、ソロキャンも未経験のままだ。でも、いつか自分にとって自分の中の何かを取り戻すのに必要な経験だろうと思っている。

闇と対峙するのは、息子が大きくなって、うちに遊びに来なくなってから。

いつか夜の闇と対峙したいなぁ、という妄想でした。



もし、初心者でも、平日に休みを取って、手軽にできることがあれば、教えてください。>キャンプ強者の皆さま

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。