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【心地よい暮らしの照明術】#9 子供部屋はない方がよい理由

元々、日本には子供部屋はありません。昔は家族みんなが一つの部屋で、朝起きたら布団を片付けて、ちゃぶ台を出して食事をする。夜になると、ちゃぶ台をしまい、布団を敷いて寝るという生活です。畳の間の襖を開けるとさらに畳の間が続いていて、その時の必要に応じて部屋を分けたり、つなげたりして使っていました。

しかし、戦後間もない1950年代に当時のアメリカ式の間取りが導入され、現在の「3LDK」といった間取りが普及していきます。その際に、3つのある部屋の一部が子供部屋となっていきます。

アメリカの影響で生まれた子供部屋ですが、アメリカと日本では間取りは同じでも使い方に違いがあります。アメリカの場合、呼び方も「ベッドルーム」というように、“寝室=寝る時だけに入る部屋”として使われていますが、日本では「洋室」や「子供部屋」と呼び、“寝る部屋というよりも自分の部屋と”いった感覚が強いようです。

このように、アメリカでは寝室としての扱いでしたが、日本では日常を部屋で過ごし、勉強部屋としても使われています。欧米では「寝室で勉強する」という行為が奇異に見えるそうですが、日本は勉強部屋というくらい普通のこと。子供部屋で勉強をするというライフスタイルを東南アジアなどに普及させたのも日本だそうで、世界で初めて子供部屋で勉強をさせるという習慣を取り入れた国も日本だったそうです。

ちなみに、アメリカの子供部屋は、整理整頓やインテリア構築能力を磨き、自分の空間をコントロールする方法を身につけさせ、一人で過ごすことで自立心を育ませる場所であって、勉強は親の近くでする習慣があって、ダイニングやリビングで行う方が普通だそうです。

さて、子供部屋が生まれた背景を一通り知った上で、実はその弊害も徐々に顕在化してきています。小さい時から一人で過ごす時間が多くなったことで、反対に減っているのが人とのコミュニケーションの時間です。

子供にとって家庭は最も小さな社会といえます。親はもちろんですが、兄弟姉妹、祖父祖母や親戚たち。それらは自分以外の人と接する最初の機会です。昔の人は一軒の家におじいちゃん、おばあちゃんから両親、7人兄弟なんていうのも珍しくありません。幼少期には兄弟喧嘩をしたり、反抗期になると親と口を聞かなくなったり、親戚の家に行くと少し居心地が悪く感じることもありますが、これらの機会は社会に出る上でとても大切な時間です。

家の中でも常に誰かと一緒に過ごしているので、自然とコミュニケーション能力育まれますし、両親以外の教育や考え方にも日常的に触れることで、多様性も自然と育まれます。喧嘩したり、言い合いになったりするもの成長する過程では必要なこと。それを避けることよりも、その上でお互いを尊重し合えるような関係を築くことの方が大切です。

そういった面から考えると、核家族化や少子化によって、これまで家庭において自然と育まれていたコミュニケーション能力や多様性が失われているというのは否めないでしょう。

また、そのような環境で育った人が社会において、人とのコミュニケーションでストレスを感じやすかったり、違う意見や考え方を尊重したり、受け入れたりするのが苦手だったりするというのも往々にしてあるのではないでしょうか。今の子育て世代の多くは、そのような核家族化が進んだ社会で育った人が多いので、以前よりも個人の時間やプライベートを尊重する傾向にあるように感じます。

また、職場での仕事以外での付き合いや、業務に直接関係のないコミュニケーションも好まない傾向にもあり、人との共同作業が苦手な人や、そもそも他人といること自体がストレスに感じる人も増えているようです。

今の住まいは3LDKが一般的で、そこに両親と子供2人の4人家族が暮らします。共働きの両親がほとんどで、子供は物心がつく前から保育園に預けられます。一人に一部屋が用意されていて、幼少期からスマホやゲームが与えられ、小学生から塾に通う子も珍しくありません。

窓のない外観の家も増えていて、中庭の住居では、住んでいる人の気配され感じられません。家の中でも部屋にこもってしまえば、中で何をしているかも分かりません。

つまり、このような環境の中では、社会はもとより近隣や家族とのコミュニケーションですら希薄になっていて、そのことが結果的にコミュニケーション自体をストレスに感じたり、それにより排他的になったりしているのではないでしょうか。

合理性や効率を優先して考えると、人とのコミュニケーションは非効率的に感じるかも知れませんが、社会においては最も大事な要素だと思います。自然と上手に人とコミュニケーションがとれるようになるためには、一番身近な住まいの在り方から見直す必要があるように思います。

先日、ベトナムの人と話す機会がありましたが、ベトナムでは人と会った時に挨拶を交わす習慣がないといっていました。近しい友達や家族でもないと挨拶を交わすことはないそうで、互いに衝突を避ける傾向があるため、不要な会話は避けるのが一般的だそうです。外国人や他国の文化があまり入ってきていない途上国ならではの感覚なのかと思いましたが、これからベトナムでもグローバル化が進むと、そういった習慣も変わっていくのかも知れません。


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