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もしもあなたが、そこにいるならば(向井葉月と“乃木坂46”・完結編)

 年が明けて、2025年になった。毎年、筆者は年末年始には予定を入れないようにして過ごしているので、いつもの休日とだいたい同じような顔をして時間が流れている。
 あとから録画で追いかけるものもあるだろうけど、年末年始の長時間の特番を一生懸命見る気にもあまりなれずに、パソコンに向かったり、お酒を飲んだりしながら過ごしている。それもいつもの休日と同じだ。
 それでも、「NHK紅白歌合戦」は画面の前で視聴していた。筆者にとってこの年末年始で唯一の年中行事であったといっていい。毎年のように「紅白」を楽しみに待つ生活ができて、しあわせだと思う。

 向井葉月は2024年12月31日をもって乃木坂46を卒業し、芸能界を引退した。その「紅白」が、彼女の最後のパフォーマンスの機会であったことになる。
 本稿は、過去二度にわたって向井のキャリアを振り返ってきたnoteの完結編として、前稿を公開してからの約2ヶ月間のことを中心に、彼女がそのキャリアを完走するまでを綴るものである。


■ 最後のアンダーライブ

 向井の卒業発表は2024年10月31日の深夜のことで、タイミングとしては、全国Zeppツアーの形で挙行された「36thSGアンダーライブ」の最終地、KT Zepp Yokohamaでの3公演を約半月後に控えているというタイミングであった。
 卒業発表のブログのなかで「37枚目シングルには参加いたしません。」とされていたように、10月27日の深夜にはすでに37thシングルの発売がアナウンスされており、11月3日にはタイトルが発表、11月9日には初披露生配信が行われ、そのなかで選抜メンバーも発表されるという形がとられるなど、グループは一気に次のシングルの期間へと向かっていこうとしていた。

 そして「歩道橋」の先行配信が始まった11月10日には、同名・同コンセプトのイベントとしては10年ぶりとなる「大感謝祭2024」の開催、そしてその2日目で「向井葉月卒業セレモニー」が挙行されることが発表される。
 10年前の「大感謝祭2014」では昼公演の客席にいたという向井を送り出す場としては、非常に綺麗な形であるように見えた。

そして先ほど発表がありましたが、

12月14日、15日に「乃木坂46大感謝祭2024」
の開催が決定しました!
そして15日には私の卒業セレモニーをしていただけることになりました✨

場所は幕張メッセ 幕張イベントホールです!

初めて乃木坂46がバスラをした場所。
そして感謝祭は10年ぶりの開催です。

みんなと笑って過ごす時間、一緒に歌う時間が
今からとっても楽しみです。

乃木坂スタッフの方に卒業の相談をしはじめた頃、
「卒業を考えはじめた時期、卒業に悩む時期、
向井は本当に1期生2期生と同じ道を辿っているね。」と
言って話を聞いてくれたことを思い出します。

このような場所、素敵なイベントの中で、
大好きなメンバーのみんなと、
そして何より有観客でファンの皆さんと時間を共有できる機会をいただけて嬉しい気持ち、楽しみな気持ちと
まだ卒業する実感がないのでそわそわしています。

きっと素敵な景色が見れるんだろうな〜💭💛

「向井葉月 卒業セレモニー」
一生に一度の文字列!!
うれしい…😢

皆さんの大切な思い出の中に一つまた思い出が増えるような日にできたら嬉しいです。

皆さんに会えるのを心から楽しみにしてます。

向井葉月公式ブログ 2024年11月10日「「乃木坂46 大感謝祭2024」「向井葉月 卒業セレモニー」」

 さらに、「36thSGアンダーライブ」神奈川公演の期間中であった11月19日には、グループとして10年連続10回目にあたる「NHK紅白歌合戦」への出場決定がアナウンスされる。
 「年内いっぱい」という形での卒業であれば、当然その最終地として誰もが期待するのが「紅白」であったが、それが無事叶った、ということになる。

 「36thSGアンダーライブ」神奈川公演において向井は、地方公演でもパフォーマンスを重ねてきた日替わりのメンバーフィーチャーコーナー(「ブランコ」「Threefold choice」「My rule」)の1日目と3日目に演じたことに加え、神奈川公演からの参加であった吉田綾乃クリスティーのフィーチャーコーナーで「君が扇いでくれた」に新たに加わり、「真夏の全国ツアー2017」2期生衣装を着用して歌唱を披露したほか、体調不良で3日目のみの出演となった中村麗乃のフィーチャーコーナーでは「悪い成分」に参加した。

 全11公演を完走した3日目公演のアンコールでは、“座長”を務めた奥田いろはからメンバーひとりひとりにむけて手紙のメッセージが送られた場面があり、そしてその最後のひとりとして、向井は「欲しいときに欲しい言葉をくれて、その愛とあたたかさにたくさん助けられました。」という感謝の言葉を受け取る。
 この日のMCのなかでも向井本人が触れていたように、彼女はこのときのメンバーのなかで誰よりも多く、アンダーライブのステージを踏んできたメンバーであった。
 奥田とともに最後までステージに残り、お辞儀をする向井。彼女にとって61公演目となるアンダーライブの会場を満員に埋め尽くした観客から、割れんばかりの「葉月」コールが贈られた。

そして、私の乃木坂人生でのアンダーライブが終わりました。

会場に足を運んでいただいた皆さん、
配信で見届けてくれた皆さん、
本当にありがとうございました!

みんなと練習した時間、ステージに立った時間、
楽屋で過ごした時間全部が私に必要だったかけがえのない時間でした。

本当にありがとう。

アンダーライブやり続けてよかった!☺︎

向井葉月公式ブログ 2024年11月25日「陽の光。」

 向井を含む3期生がアンダーライブに合流したのは地方シリーズの終盤期である中部シリーズからで、この中部シリーズは7公演が開催されたものの、続く北海道シリーズは4公演、関東シリーズは2公演で、ここからコロナ禍の期間を挟み、公演数の多くない(1〜3公演)ライブシリーズが続く。
 その後、和田まあやの(あるいは“1・2期生”にとっての)最後のアンダーライブであった「30thSGアンダーライブ」が6公演で行われたのをターニングポイントとして、むしろ3公演を下限として、シングルごとにアンダーライブの規模は拡大していった。
 「グループを支える私たち10人が、乃木坂46に新しい風を吹かせ、みなさんを光り輝く未来へと連れていきます」とMCで向井が宣言したのは「31stSGアンダーライブ」のことであった。公演数でいえば、向井にとってのアンダーライブの旅路は、あのときがちょうど折り返し地点だったことになる。
 彼女を筆頭に、そのときどきのアンダーメンバーが吹かせ続けた新しい風が、まばゆく輝く光が、千秋楽のステージでひとつの結晶となり、かけがえのない宝物となった。

■ 卒業までを駆け抜ける

 グループを卒業するメンバーには、卒業コンサート・卒業セレモニーなどの形でのパフォーマンスのみならず、「乃木坂工事中」の卒業回をはじめ、グループやメンバーがもつ多くの番組やメディアでも、卒業の区切りの回が設けられる。
 卒業に向かう時期にそうした“出演ラッシュ”が続くのはグループの常なのだけど、向井はそれがいくぶん多かったようにも感じる。

 11月29日には、文化放送ライオンズナイター公式マネージャーの最後の仕事として、特別番組「辻発彦・斉藤一美・向井葉月 秋の語れ!ライオンズスペシャル」に出演。番組冒頭では、「36thSGアンダーライブ」神奈川公演を現地で観ていたという斉藤からメンバーフィーチャーコーナーについて水を向けられ、「これは大丈夫なのかな、なんか……こんなライブできないですって意見した方がいいのかな、って思うぐらい心配だった」「私たちに期待してやってくれてることなのかなと思ったので、やるしかないよねってメンバーで話して」と語った。
 番組内では「40年を超える文化放送ライオンズナイターの歴史において、公式マネージャーという役職がおかれたのは初めて」と改めて強調されたうえで、その任を解くという文化放送代表取締役社長名での辞令が読み上げられたり、向井が引退試合にも駆けつけたという岡田雅利がサプライズ登場したりといった場面もあった。そして番組終盤で卒業と同時に芸能界を引退する理由を問われると、「私は芸能界にいたい、じゃなく、乃木坂にいたかったので、乃木坂が終わったら引退かなと思い、引退を決めました」とした。

 12月1日には「らじらー!サンデー」に出演し、放送内では卒業メンバー恒例となるファンからのメッセージのコーナーが設けられた。引退を公表してから一貫して、きっぱりとした態度を示していたように感じる向井だが、ファンからのメッセージに対して「引退したらどうやって(感謝を)お返しすればいいんだろう」と口にするようなひと幕もあった。
 向井はメンバーから、卒業後も乃木坂46のライブに「絶対来てね」と言われている、と明かし、関係者席でのオリエンタルラジオ・藤森慎吾との再会についても口にしていた。「みんな私のこと忘れないでくださいね」、そう口にした彼女の出演回の最後に、リスナーからのリクエスト曲としてオンエアされたのは、初めての選抜曲「Monopoly」であった。

 12月4日には「乃木坂46のオールナイトニッポン」に、メインパーソナリティの久保史緒里とともにふたりで出演した。野球好きという共通点のある久保がパーソナリティを務めて3年目となる同番組内には、向井も過去にゲスト出演や代打出演の機会があったほか、「向井オールマイティ葉月」としてたびたび久保の口から名前が出るメンバーでもあった。
 放送内で久保は、メンバー全員に向けての卒業発表まで向井から卒業の意志を告げられていなかったことを「ぷんすかひとり怒ってた」と語る一方、向井は「真夏の全国ツアー2024」明治神宮野球場公演で「Never say never」を歌唱する前のステージ下で、「もうこれで最後」という形で、むしろ久保にはいちばん早く伝えていたつもりだった、と明かした。
 そんな向井の卒業について、久保は「いままでのメンバーでいちばん実感が湧いていない」と語り、向井も「なんか、スパッといなくなるのかなって私的に思ってる」と応じる。「卒業が決まってから、すっごい全部が楽しい」、ゴールテープの見えてきた乃木坂46での活動について、向井はそう表現した。

 このほか、卒業セレモニーを終えたあとの12月22日には「乃木坂46の『の』」への最終出演回が、12月28日には「乃木坂お試し中」での卒業スペシャル回が放送され、12月13日・27日にはのぎ動画で梅澤美波・佐藤楓・与田祐希との「乃木坂ぶらり」が前後編で配信された。

 この間の放送や配信を改めて振り返ってみて、印象深かったことがふたつある。ひとつ目は、前稿でも少し取り上げたところだが、「新体制の乃木坂を、素直に受け入れられない自分」とのあいだで葛藤していたという期間にも、向井はやはり積極的に後輩とコミュニケーションをとっていたのだな、ということだ。
 「乃木坂46の『の』」では、MCとして向井を迎えた菅原咲月が、5期生の加入当初のオンラインミート&グリートの現場で、休憩時間に向井が「『ねえ写真撮っていい?』って言って、すっごい走ってきてくださったのをすごい覚えてて」口にし、向井も「先輩から来てくれたときってすごい嬉しいなっていうのを私もずっと覚えてたから、ちょっと5期生に行ってみた」と回顧していた。
 「乃木坂46のオールナイトニッポン」でも、久保がメンバー向けの卒業発表の際に後輩たちに泣きながら駆け寄られていた、というエピソードを紹介したうえで、「葉月がやっぱ後輩とかともすごくコミュニケーションをとってるのを知ってたから」「後輩の寂しさとかもすごいわかって」としていた。

 もうひとつは、われわれにとってもまだ印象深い、かつての向井の「がむしゃらさ」について、それに向き合ってくれた周囲の人々への感謝の言葉を重ねる機会が多かったことだった。
 向井の卒業回となった12月22日の「乃木坂工事中」#494は、バナナマン両名とのトークの収録はかなり早めに行われていた(そのため制服が半袖であった)というが、設楽統は「カエル持ってきて、みんなに乗せたりな」と振り返り、最後の挨拶では「頑張りすぎて空回りしてるところとか、たくさんあったんですけど」とかつての自分に言及したうえで、「これからもこの番組を愛し続けてほしいです」とまとめた。
 「らじらー!サンデー」の卒業回では、放送の終わりに黄色の花束を受け取りながら、MCの藤森慎吾に対して自ら口を開き、番組への初登場の際に「めっちゃ必死で、『おもしろいこと言わなきゃ』ってなってた」向井に対して、藤森が「そんな無理してやんなくていいんだよ、それは芸人の俺たちがやるから、って言ってくれて、すっごい心が楽になった」と語った。
 「乃木坂お試し中」の卒業スペシャル回では、前身番組の「乃木坂46えいご」からMCを務めてきたドランクドラゴン・鈴木拓に対して、「素の私をおもしろくしてくれたのが拓さん」であったと感謝を口にし、それに応えた鈴木も、向井には「奥ゆかしいところがある」として、「良さを出してあげたいな、と思った」と語った。

 ここまでをふまえて、あえて“乃木坂46・向井葉月”についておおざっぱにまとめるとすれば、「あれもこれもすべてが、等身大の彼女だったんだな」ということだ。乃木坂46が好きだから2回もオーディションを受けて、メンバーとして頑張りたいから空回りをする。カエルが好きだから飼い始めてスタジオに連れてくるし(「乃木坂工事中」)、アイドルとして可愛くありたいなと思ったから、可愛いコーナーがやりたいと自分から提案したり(「らじらー!サンデー」)、迷いを捨ててストレートな可愛いに振り切ったり(「乃木坂お試し中」)もした。
 向井のおかれた立場やパーソナリティを措いて考えても、10代から20代にかけてのひとりの若者のことである。ことそんな時期に、誰が見てもブレずにまっすぐ、変わらずに人生を送れる人間なんていない。それでも彼女の芯の部分はずっと変わらなかったのではないかと思うし、それはきっと、彼女が世界に対してずっとまっすぐ向き合ってきたからだ。

 そしてもうひとつ、彼女がずっと変わらずに保ちつづけていたのは、“乃木坂46への愛”だった。それが現れたのが、「大感謝祭2024」2日目に開催された、「向井葉月卒業セレモニー」だった。

■ 「乃木坂46は私のすべてでした」

 ここまでに述べてきた通り、向井の活動終了日は2024年12月31日であったが、卒業セレモニーが開催されたのは12月15日のことであり、「NHK紅白歌合戦」は最後の活動として残っていたものの、おおむねこのときまでにはほとんどの活動を終えていたように伺える。
 「乃木坂46 向井葉月の木曜ここで待ちあわせ」「乃木坂工事中」「乃木坂配信中」「乃木坂46の『の』」「乃木坂ぶらり」はすべて事前収録であり、最後のミート&グリートも12月10日に終えていた。この日はちょうど、日本武道館で行われた「3期生お見立て会」から8年、つまり向井がメンバーとして臨んだ最初の握手会から8年というタイミングであり、彼女にとってもファンにとっても、改めて特別な日となった。
 このなかで、「乃木坂46 向井葉月の木曜ここで待ちあわせ」の最終収録(放送2回分)のみが卒業セレモニー後に行われた形であり、われわれが聞くことができる向井の肉声はこれらが最後になったということになる。

 「大感謝祭2024」は終始ハッピーで賑やかなイベントで、軍団対抗企画やクイズコーナー、「乃木恋リアル」のコーナーやプレゼント抽選会などで構成され、終盤にライブパートが設けられる、という構成であった。2日目のクイズコーナーで出題されたのはイントロクイズであり、最終問題で向井が「ライブ神」を正解して終わる、という形であった。
 それまでのコーナーでも楽曲披露はあったものの、ライブパートは本編6曲というコンパクトな構成で、そのなかで2日目のアンコールとして、「向井葉月卒業セレモニー」が行われた。

 会場を満たす「葉月」コールのアンコールがあって、セレモニーが始まる。純白の生地に黄色い花があしらわれたドレスに身を包んだ向井がステージに現れた。「大好きで大好きでたまらなかったグループに入るために」、人生を賭け、学校や受験も諦めてここにきた。ありていにいえば、近年ではあまり大げさに語られなくなったストーリーだと思うが、向井は柔らかな表情でそう言い切る。
 「乃木坂46での8年間はこれ以上ないくらいつまずいてきましたが、何があっても揺るがなかったのは『乃木坂46が好き』という気持ちでした」。そう言い切ったうえで、「辛いこと以上に乃木坂46にいられたことがとても幸せでした」とし、メンバーがそばにいてくれたから頑張れた、とした。
 「乃木坂46は私のすべてでした。8年間、本当にありがとうございました」。短くも、万感の思いが詰まったスピーチを、向井はそうまとめた。

 そして「私の大切な曲」として、1曲目には36thシングルアンダーメンバーと「君は僕と会わない方がよかったのかな」が、2曲目には全メンバーと「サヨナラの意味」が披露された。「君は僕と会わない方がよかったのかな」では列ごとにメンバーが向井に寄り添う場面が設けられ、「サヨナラの意味」の落ちサビでは、ステージの真ん中で客席に背を向ける向井を、メンバーが大きく弧を描いて囲んで歌唱する演出がつけられた。
 フォーメーションの機微はもはや覚えていないし、公式の写真などからも確認できないのだが、「君は僕と会わない方がよかったのかな」の冒頭では矢久保美緒がセンターに立つ向井の隣にいて、「サヨナラの意味」では向井の隣に中西アルノがいたことが印象に残っている(ややあやふやだが)。矢久保は向井が「今後のアンダーライブを担うメンバー」としてあげていたメンバーであり(「乃木坂46アンダードキュメンタリー〜36thSGアンダーライブ舞台裏〜」)、中西も向井と距離が近く、その声がけに救われてきたと語るメンバーだ。

今日、DAY2は葉月さんの卒業セレモニーがありました。

葉月さん、何があっても味方でいます。
葉月さんが私にそうでいてくれたから。

中西アルノ公式ブログ 2024年12月15日「大感謝祭!!いーっぱいのありがとう!!」

 「サヨナラの意味」披露後のMCでは、佐藤楓が向井への手紙を読む。「思っていることや考えが近かったからこそ、どんな私も嘘偽りなく見せることができました」「乃木坂46を思って、時には勇気を持って発言してくれたりして、葉月の乃木坂46愛には誰にも敵わなかったと思います。最後まで貫いてくれてありがとう」と、楓はいう。同期としての信頼、友人としての絆。そうしたものが存分に表現され、強調されるなかで、最後に楓が口にした「よく頑張ったね」の言葉に、向井の悩みや迷いまで含めてすべてを分かちあって支えてきた、年上メンバーとしての一面が垣間見えたようにも思えた。

 そして最後に披露されたのは「乃木坂の詩」。あまりにもストレートな選曲であったが、「私が密かに、ずっと真ん中で歌ってみたいなと思っていた曲です」とも向井はいう。確かに、アンダーセンターを務めたこともなかった向井であるから、その機会はこれまでなかった。向井は乃木坂46のライブステージに立つ最後の1曲で、その思いを、そして“乃木坂46”への思いを、遂げたということになる。

 過去の事例を引けば、この形の卒業セレモニーで3曲という曲数は、多いとはいえない。今回に類する形、「全体ライブでのアンコールで開催された卒業セレモニー」をあげるならば、桜井玲香はダブルアンコールを含む6曲、大園桃子はダブルアンコールを含む7曲、高山一実は5曲、早川聖来は6曲を披露している。アンダーライブで卒業セレモニーに類する形がとられたケースでも、直近では和田まあやがダブルアンコールを含む5曲、寺田蘭世は5曲(これに加えてアフター配信で1曲)を披露した。
 むろん、これらと異なる形で卒業していったメンバーもいるし、今回に限っても(まれな形のイベントでもあるし)さまざまな事情があるのだと思うから、3曲という曲数について何らかの評価を加えたいということではない。ただひとついえるのは、この3曲のなかに向井が込めたものの大きさである。

 「君は僕と会わない方がよかったのかな」は中元日芽香がオリジナルのセンターを務めた11thシングルアンダー曲であるとともに、北野日奈子がほぼ近い流れで(手紙を読み、ソロ曲を歌唱したあと)、卒業コンサートのアンコール2曲目で演じた曲である。「北野日奈子卒業コンサート」は、フルサイズのライブとして挙行される一方、出演メンバーは当時の29thシングルアンダーメンバーに限っており、北野の中元との紐帯とともに、アンダーライブを負ってきた日々についても反映された選曲であった。このような形で演じられたことはなかった曲でもあり、イントロがかかったときには驚きがあったことを覚えている。
 一方、「サヨナラの意味」は橋本奈々未が“卒業センター”を務めた曲であり、タイトルにもストレートに表現されているように、別れを歌った曲である。メンバー人気・ファン人気ともに高い曲という印象もあるものの、橋本のグループ卒業後には披露される機会が少なくなり、いつしか卒業公演で卒業メンバーをセンターに置いた形や(白石麻衣、松村沙友理、高山一実、新内眞衣、齋藤飛鳥)、ないし卒業を控えたメンバーがセンターに立つ形(生田絵梨花、秋元真夏)での披露が目立つようになった。ただしこうした取り扱いも、最後のオリジナルメンバーであった飛鳥でひと区切りがついたところである。

 向井は「北野日奈子卒業コンサート」にも参加していたし、「アンダーメンバー」というくくりで1曲を演じるならば、「君は僕と会わない方がよかったのかな」はこれ以外にない選曲だったように感じる。向井にとっては、ファンとしての熱が高かった時期の曲でもあるだろう。
 一方、「サヨナラの意味」についていえば、橋本の卒業コンサートには3期生は参加しておらず、翌日の「5th YEAR BIRTHDAY LIVE DAY2」が3期生にとって初めての全体ライブという形であった。メンバーの卒業と加入を繰り返す時期にキャリアを滑り出した向井にとっては、「サヨナラの意味」はその端緒であった橋本が見せた幻のようでもあり、一方でグループの風景にずっと流れていたメロディでもあったかもしれない。
 あるいはオリジナルメンバー以外で、「サヨナラの意味」を卒業の機会に用いたメンバーは初めてだったということにもなる。グループが温とい思い出のなかにとどめている楽曲が、また新たな思い出のなかに位置づけられた、そんな瞬間でもあったともいえるだろうか。

 限られた曲数のなかで、どれも思い入れが深いであろう3期生楽曲でもなく(ただし、「三番目の風」が1日目のクイズ企画のなかで披露されいる)、「無口なライオン」のような、より向井個人の思い入れに寄り添った楽曲でもなく、この2曲が選ばれたことに、向井が過ごしてきた“乃木坂46”が凝縮されていたような気がした。
 そして最後の1曲が、真ん中で歌う「乃木坂の詩」。それはどこまでも純度の高い、「向井葉月と“乃木坂46”」であった。

 最後の曲の披露を終えて、客席は「8年間ありがとう。はづきがいちばん」のフライヤーで向井にメッセージを伝え、向井は「これからも乃木坂46の応援をよろしくお願いします。みなさんのことが大好きです!」と応える。さらにダブルアンコールが重ねられ、改めて客席に笑顔で挨拶をしたのち、「乃木坂46 向井葉月卒業セレモニー」は幕を閉じた。

■ 努力・感謝・笑顔、“乃木坂の塊”

 卒業セレモニーの熱が冷めやらぬなかで収録されたとみられる(メールの募集締め切りはセレモニーの翌日であった)、この週の「乃木坂46 向井葉月の木曜ここで待ちあわせ」(12月19日放送)では、アンコールの「葉月」コールについて、「ソロでやったことないので、 基本的には自分のコールが鳴り止まないっていうのは聞いたことがなかったので、ちょっと感動しました」と語ったほか、リスナーからのメールに応える形で、2024年12月15日が満月の日であったことに言及し、リスナーだけでなく自分も満月に思いを馳せながらステージに向かったということを口にした。
 「努力・感謝・笑顔、この三つの言葉をいちばんに具現化した、“乃木坂の塊”」と言葉を向けられると、「乃木坂に加入したときからずっとこの三つを胸に活動を続けてきた」としたうえで、それも「先輩たちがそういうふうに乃木坂をつくっていってくれたおかげ」であるとした。この日に向井がオンエアしたのは、「星野みなみ卒業セレモニー」で星野とふたりで歌唱した「無口なライオン」であった。

 翌週に放送された最終回では、冒頭から涙声になる場面が多かった。レギュラーのラジオ番組をもつことができたことについて、向井は3期生オーディション時の、いわゆるSHOWROOM審査において、顔出しなしの形での配信にも良いと言ってくれたファンが多くいたことに触れ、活動初期には乃木坂46における目標として「ラジオ番組をもちたい」としていた、というエピソードを紹介した。
 最後の1曲として「何度目の青空か?」をオンエアしたうえで、多くのリスナーからのメールを読み、最後の挨拶では番組について、「タイトルもコーナーも 実は自分で考えたものだったんですね」「だから、スタッフさんにね、たくさんわがまま言っちゃったんですよ」と明かし、スタッフへの感謝を述べた。そして、レギュラー出演を続けた1年間について、「何十年経っても、ずっと忘れないと思います。大切な時間でした」「こうしてファンのみなさまに愛される番組を作れたことは、私にとって本当に大切な経験になりました」とまとめた。

「さて、最後ですから、ちゃんと泣き止んでやりますね。
 この番組を愛してくださった皆さん、本当にありがとうございます。
 bayfm 乃木坂46向井葉月の木曜ここで待ち合わせ。
 DJは乃木坂46の向井葉月でした。

 みなさん、出会ってくれてありがとう。次の待ち合わせまで元気でね。」

「乃木坂46 向井葉月の木曜ここで待ちあわせ」2024年12月27日

 向井にとって最後のパフォーマンスの機会であり、最後のメディア出演となった「第75回NHK紅白歌合戦」、乃木坂46が披露したのは「きっかけ」であった。フォーメーションはおおむね37thシングルに準拠してつけられており、楽曲は“紅白サイズ”ともいうべき、ワンハーフよりも少し短い形。さらに会場を広く使ったパフォーマンスにより、前半は選抜メンバーが中心の画面となったが、カメラがメインステージに切り替わると、“裏センター”に立つ向井の柔らかな表情がとらえられた。
 彼女にとって、じつに8回目の“紅白”。いちばんはっきりと画面に映ったシーンだったかもしれない。向井葉月の最後のパフォーマンスの機会が、そしてわれわれがそれを最後に見届けられた機会が、紫色のドレスに身を包んだ柔和な笑顔で展開されていたことを、ずっと覚えていようと思う。

■ “サヨナラ”の意味

 “紅白”の放送後、向井はいくつかInstagramにストーリーを投稿したのち、日付が変わる直前に「これが最後」としてモバイルメール(メッセージ)を発信した。そして「最後」の発信を終え、活動を終了したのちの1月1日の早い時間に、すべてのInstagramの投稿が消去された。
 これほどまできっぱりと姿を消すことは、想像のひとつとしてはもっていたといえ、そのスピード感も含めて、大きな喪失感とともにこのnoteは書かれている。

 クローズドな場におけるものなので、はっきりと書くことは控えたいのだが、12月31日の向井からのモバイルメールでは、ファンに対して感謝を伝えるとともに、グループで過ごした日々でぶつかった迷いや悩みについて改めて語られ、そして、もう自分のことは、卒業して少し落ち着いたらもう心のなかにしまっていてほしい(昔のことは掘り返さないでほしい)、というような発信がなされた。
 だから筆者も、2025年1月1日のこのnoteをもって、彼女について大々的に語ることは最後にしようと思うし、そしてたとえそうしようと思っても、もうできないのだ、とも思う。

 「私は芸能界にいたい、じゃなく、乃木坂にいたかった」をきっぱりと実践した向井が象徴するように、卒業後のメンバーの進路には少しずつだが着実に変化が訪れているように思う。「長くいたグループを離れる」事例が積み重なってきた時期からややあって、「グループを離れて、出役を辞める」事例もある程度積み重なってきた。
 永島聖羅や深川麻衣、橋本奈々未のグループ卒業にいちいち大騒ぎしていた時期は今は昔といったところだが、かつては毎日のようにメッセージが届いていたメンバーがぷつんと姿を消すということにも、“アイドル”というベールの向こうを長く見つめ続けるのであれば、慣れていかなければならないのだろう。

 手前味噌のようになってしまうが、こんなふうなことを考えているときに、自分が橋本奈々未について書いたブログの一節をよく思い出す。「あの日お別れをしたこと」こそが、思い出となりゆく日々の向こうに、最後に残る紐帯なのだ。

 「サヨナラの意味」の歌詞は「サヨナラに強くなれ」と投げかけ、「この出会いに意味がある」と歌うが、タイトルは少し角度が異なり、「サヨナラ」の「意味」そのものを考えさせる。
 この楽曲を聴くたびに、あれから28人ぶん重ねられてきたメンバーの卒業に接するたびに、現役メンバーと卒業メンバーの総体としての乃木坂46というグループを考えるたびに、あの日真ん中にいた橋本のことが思われる。
 いまも鮮やかなあの日の記憶を反芻し、思い出の世界から目を開いたとき、そこにある163cmの空白。「あの日お別れをしたこと」こそが、われわれと橋本のあいだにある最後の紐帯である。

「5年後のいま、「サヨナラの意味」を語りたい(乃木坂46・デビュー10周年を前に)」
(2022年2月20日、改行は引用の際に加えた)

 向井は卒業発表のブログで、「乃木坂を卒業したその先の未来の自分にも前向きになれていることに気づき卒業を決めました」とした。今日から向井がどのようにして過ごしていくのかはわからないが、きっとずっと前向きで、柔らかく笑って生きていってくれることを願うばかりだ。

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 名前は誰でも知っているようなグループで活動しても、その後に大活躍を重ねるでもなく、著名人と結婚するでもなく、わかりにくい“普通”の人生を歩んでいく人々に対して、現代の世間の目はあまり優しくない。
 「アイドルをちょっとやって、結局どうなったの?」「売れないで辞めちゃって、もったいないね」。いつしか灰色にしか見えなくなった街を、十年も二十年もうつむきながら歩き続けていると、どこからかそんな声が聞こえてくるようになってしまうし、スマートフォンを開けばその通りの文字がコメント欄に躍っていたりもする。眉をひそめながらイヤホンで耳を塞ぐことにも慣れた一方で、「そのような声を発しているのは、本当は自分自身なのではないか?」という疑念も消えない。

 東京藝術大学の入学式で新入生にかけられるものとして著名な、「諸君らのうちに宝石はたった一粒しかない、それ以外の者は4年間、宝石を磨くための石となれ」というようなフレーズがある(繰り返し用いられているようで、バージョン違いが多くみられるが、諸文献にあたる限り、大筋としては実在のものであるらしい。ひょっとして、池田瑛紗も同様の祝辞を聞いたのだろうか)。
 それこそ「スター誕生!」の世界観だが、オーディションによって“見つけられた”アイドルたちは“原石”であり、磨かれて磨かれて天上に輝くスターになっていく(磨かれなかった原石は石のまま)、という時代でもないだろう。それでも、あらゆる数値、指標に囲まれ、“売れる・売れない”の概念を誰もが共有している芸能界に足を踏み入れることは、若者をそうした厳しさにさらす。

 乃木坂46というグループにあって、そうした構造は“ポジション”、特に“選抜/アンダー”という形で立ち現れる。ポジションという形で序列があって、それはわかりやすく“勝ち負け”にも見える。
 勝ち負け、序列、そういったもの以外にも、ポジションをつけることはさまざまな機能があるはずだが、それは副次的なものとみなされている。インターネットばかりやっているような人々にそれは顕著のように見えるが、結局誰もが、メンバーも含めて、その価値観を内在化している。こうして嘆くように書くのは簡単だけれど、それが共通言語となって、ファンコミュニティが一定の形を帯びているともいえるかもしれない。

「選抜に入ってほしい、っていっぱい言われたことがあるんですけど、それでも絶対自分のなかで揺るがなかったのは、アンダーライブに必要な存在になりたい、っていう気持ちです。アンダーライブが大好きで、アンダーライブにいてほしいって思ってほしくてやってきたので、アンダーメンバーが悲しいところじゃないっていうのをみんなに伝えたいです」

「36thSGアンダーライブ」千秋楽後 向井葉月インタビュー
(BS-TBS「乃木坂46アンダードキュメンタリー〜36thSGアンダーライブ舞台裏〜」)

 「アンダーライブに必要な存在になりたい」は、向井がずっと繰り返してきた語りである。でも、それでも、“アンダー”である自分はなぜ、これほどまでに愛しているグループの代表選手としては扱われないんだと思うこともあった、と、“乃木坂46・向井葉月”は、その最後の日にあって、少しだけ吐露してもいた。
 選抜に入れなければ、センターになれなければ、グループを離れたあとも売れ続けなければ、それは“宝石を磨くための石”なのか。大声で“推し”を尊ぶような人々はそのようなことは言わなそうなものだが、結局のところ誰もが同じ隘路に追い込まれてしまっているように見える。

 でも筆者はやっぱり、そこに抗いたいと思う。
 向井は卒業に向けた日々のなかで、グループで過ごした8年間で「自分のことが好きになれた」と繰り返していた。「未来の自分にも前向きになれた」というのも内面の成長のひとつで、それはグループで努力を重ねたからこそだろう。それは間違いなく、“宝石”として(互いに)磨かれたということではあるまいか。“宝石”の色を決めるのは、“売れる・売れない”の尺度ではないはずなのである。

8年間、本当にありがとう!!!

そしてなにより理々杏、蓮加、美波、史緒里、でんちゃん、麗乃、あや、与田、珠美、美月、桃子。

この11人と出会えたから乃木坂がもっと好きになれました。
自分のことも好きになれました。
ありがと!大好きだよ

向井葉月公式ブログ 2024年12月17日「百合の花と海。」

 向井葉月はきっと、この8年間で手に入れた多くの輝きをもって、この世界を生きていくだろう。同じ空の下で、同じ社会のなかで、この8年間でたくさん成長して、たくさんの魅力をわれわれに見せてくれた彼女と、これからも生きていけるということを喜びたい。これほどまでに彼女のことを大切に思えたことを喜びたい。いまはただ、そう思う。

 だからこれからは、繰り返す日々を生きていくなかで、この世の中を少しでも良くしていくしか、彼女の笑顔を増やす方法はない。それでいいのだと思う。去年までより少し丁寧に仕事をしたり、街で困っているひとがいたらもっと声をかけたり、そういう風にして生きていこうと思う。
 ここにいる自分にできるやり方で、あの青い空をもっと青くしていきたい。夏に咲くひまわりが今年も美しくあるように。

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