見出し画像

東京の季節感、田園調布のタケノコ

スクリーンショット 2020-09-08 13.49.55

 世の中に正しい食べ方、というものなどない。カレーライスに醤油をかけようが、ちくわにアンコをつめようが、納豆にクリームチーズを盛ろうが、それは個人の趣味というものだ。
 しかし、人間らしい食べ方というものがあるとしたら、それは旬のものをいただく、ということに違いない。

 自然は、その季節に合ったおいしい物を地に実らせている。人間はそれを食べさせてもらっているわけだ。
 だからおいしいのは当然といえば当然のこと。しかもそういった食べ物が季節感をいやがうえにもかきたててくれる。

 東京あたりに住んでいて、うっかりしていると季節感のない暮らしをしてしまいがちだ。食べ物だって何が旬なのかわからなくなってくる。もともと冷凍物だろうが、農薬まみれだろうが、ソ連のキエフ産だろうが、無頓着な人たちばかりだからこうこうことになるのだろうけれど。

 先日、画廊で女の子と知り合った。住んでいる所を聞いたら、田園調布だという。しかも昔からそこに住んでいたというからなおのこと驚いた。
「駅からは少し離れているんですけど、一応最初に分譲した時から住んでます」
 と彼女は控えめな口調で言った。そのおっとりとした人柄に、本物のお嬢様(つまり育ちがいい)とはこういうものなんだな、と一瞬灌漑をおぼえずにいられなかった。

 周知の通り、田園調布は成城と並んで住宅地としては一等地である。古さと格式からいけば、まさしく東京一の住宅地といってもはばからない。
「花と緑にかこまれた、あたかも軽井沢の別荘地のような郊外住宅地」という理想のもとに渋沢秀雄という人が企画、大正12年から昭和2年にかけて分譲した、と本には書いてある。
「古い蓄音器とかSP盤とか、古くて珍しいものだったらたくさんあります。家もその分古いんですけど、いつでもいらして下さい」
 彼女の話し方は、あくまでも自然な品位を感じさせる。
「父はサラリーマンですから、祖母がもしもの時にはきっと相続税は払えないでしょうから、売ってしまうことになるんでしょうね」
 と少し淋しそうに笑った。

 それから2週間くらいたった5月のある日のこと。世田谷の我が家の郵便受けに、紙包みが入っていた。中を見ると、水煮されたタケノコがビニール袋に入っていて、手紙がそえてあった。
「うちの庭でとれたばかりのタケノコです。少量ですが召し上がって下さい」
 田園調布のあの女の子が届けてくれたのだ。そういえば彼女の家には、家屋の敷地と同じくらいの広さの庭があって、竹林になっていると聞いたのを思い出した。

 田園調布の土地の分譲の際には、かなり厳格な建築規制が課せられたらしい。それはどういうものだったかというと「建物は3階建以下」「建物敷地は宅地の5割以内」「できるだけ塀は作らず、つくるにしても花瓶や生け垣の低いものにする」などという建築基準法どころではない厳しさだったらしい。現在では、土地の持ち主が変わってしまうたびに、そういった基準もないがしろにされてしまっているという。古くからの住民は、町会を作って町の環境保全を説いているが、それも難しいらしい。

 そんな中で彼女の家のように建てたばかりのような風情を残している家はどんどん減っているという。
 僕はタケノコを切って、生まれて初めて煮つけを作った。水煮の仕方もよかったのだろうが、やっぱりとれたての新鮮さが一番である。初めてにしては上出来の煮つけだった。うまい、うまいとほとんど一人で食べてしまった。この場を借りてごちそうさま。

 東京の旬を、実に意外なところで味わうことになってしまった。このさき、それもますます稀になって行くのだろうか。
 我が家の近くには、昔川だったところを埋めて作った遊歩道がある。春になると、まず桜が咲き、次にツツジ、そして6月になると紫陽花が大きな花を咲かせる。花とともに季節感を楽しむのがぜいたくだとは思いたくない。
 麹町のスイカや皇居の秋ナスだって食べてみたいものだなあ。

【1990年「美容と経営」に掲載のコラムを、原文のまま掲載しています】

スクリーンショット 2020-09-08 13.50.05


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?