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「青空」と「母」と「子ども」

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】

 昔の歌謡曲(うた)の中で、とても好きな曲がある。「私の青空(マイブルーヘブン)」という歌だ。もともとは、外国の曲だったものを日本の歌手がカバーしたものらしい。誰の持ち歌だったのかもよく知らないが、「狭いながらも楽しい我家」というフレーズなら、おそらく誰もが知っているに違いない。日本語の歌詞の結びのフレーズはこうだ。”恋しい家こそ、私の青空”「私にとっては青空と同じ」というのは、なんて素敵な表現なのだろう。

 青空が嫌いな人は、おそらく世の中にいないんじゃないだろうか。朝、目がさめて窓を開けた時に、青い空が広がっていたとしたら、それは何よりも気持ちがよい。それだけで、今日はいいことがありそうな気がするに違いない。

 皮膚が弱い(アレルギー)という人を除いても、中には青空が本当に嫌いだという人もいるかもしれない。それは、おそらく人間が無邪気でいることが我慢ならない、と思っているヘソ曲がりな人なのだろうという気がする。

 矢野顕子の「グラノーラ」を聴くたびに「青空」のイメージが心をよぎる、「愛」という同じように心地よい響きの言葉が、心地よいままにアルバムのあちこちに現われる。

 さらに、「犬」や「カエル」「牛乳の空ビン」や「洗濯物」といった言葉が、歌詞の中に登場すると「母と子ども」を連想せずにいられない。これは、母親の温かさを持ったアルバムだったのだということに、その時、初めて気づいた。

 そして、僕はあるシーンを思い出していた。

 僕の母親は、どちらかというと「あれをしちゃいけない、これもいけない」というような抑圧的表現をする人だった。子どもにとっては、甘えようがない母親だったのかもしれない。しかし、ある一瞬、子ども心に母親らしさを痛感した記憶がある。それは、ほとんど原体験にも近い。

 4歳くらいの時だったと思う。近所の子どもたちの中では、僕はいつも一番下だった。

 子どもたちのリーダー格だった少年は、統率力もあり面倒見もよかったのだが、ミソっかすの僕は体力や運動能力の面から、激しい遊びには参加させてもらえなかった。

 それがある日、3輪車に片足を乗せ、もう片方で地面を蹴って走り、スピードを競うという競技に参加させてもらうことになった。僕は、内心うれしくてたまらず、リーダー格の少年にひとこと言った。それは、人を怒らせるようなところなど何もないことだったが、どう聞き違えたのか、その少年が烈火のごとく怒り出したのだ。

 僕は、外で泣くような子どもではなかったが、いわれもない理由で怒られたせいもあって、その時ばかりはすごい勢いで泣き出した。その泣き声は、近所中に響き渡るほど大きかったようだ。まもなく、それを聞きつけた僕の母親が飛んで来た。

 僕は、鮮明に覚えているのだが、彼女は心配そうな顔もしていなければ、誰が泣かせたのかというような怒った顔もしていなかった。ただただ、笑っていたのだ。僕の泣き声が、あまりにも大きかったから、呆れて笑っていたのだろうか、それはわからない。ただ、僕はその笑顔を見て本当に安心した。思わず駆け寄り、母親の白いエプロンにすがって泣きじゃくったのだ。

 笑顔は人を安らげ、無条件に信頼させるものを持っている。笑顔そのものに、母性があるのではないかとさえ思ってしまう。

 そんなことまで考えてしまうアルバムを前にすると、うれしいを通り過ぎて「参ったなぁ」という感じである。

 そういえば、ずいぶん昔の矢野顕子のアルバムにも驚かされたっけ。なにしろ、当時の僕らにとって、憧れの的だったバンド、”リトル・フィート”と一緒に演ったのだから。

 それも、たかだか日本の無名シンガー、しかも若い女のコがやってのけたのだ。

 たしか、最近出したアルバムを作る際にも、いきなりアメリカの有名ミュージシャンに、コネクションなしで直接電話して「一緒にやってくれない?」と交渉したと聞く。

 しかし、誰も彼女を野心家だとか、無鉄砲だとか言う人はいない。彼女は「無邪気」なだけなのだ。しかも、それを他人に認めさせるだけのパワーあふれる「無邪気さ」を持っているに違いない。

 無邪気でいるためには、幸福な自分を信じていることが必要だと僕は思う。自分の幸福を信じていてこそ、人をも幸福にできるのだろう。

 知的をはき違えてシニカルになるよりも、たとえバカにみえようが無邪気でいた方が力強い。特にこれからは、そういうパワーが必要な時代だと思う。まして、母親が無邪気でなかったら、次の世代の無邪気さをいったい誰が包んで育てられるというのだろう。

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