「出産で壮絶な痛みを経験するからこそ、一生懸命子育てができるのよ。」

一人目の出産は普通分娩を選択した。鼻からスイカなどの比喩表現がされている出産の痛みがどんなものか経験してみたい気持ち、怖いもの見たさのようなものがあったからだ。でも私は痛みに弱い方である。27歳のときに虫歯の治療で泣いたくらいだ。かかりつけの歯医者さんには、出産大丈夫なの?と本気で心配された。
出産の痛みで死ぬのではと本気で思ったしそれはそれは恐怖だった。

出産の痛みとはてっきり胎児が出てくるときに感じるのだと思っていたが、陣痛が痛いと知ったのは妊娠してからである。
実際陣痛は喩えようのない痛みだった。しかし後半に襲いかかる、いきみたくなる(めちゃくちゃ💩したくなる)感覚、それを我慢する【いきみ逃し】が何より一番辛かったし、いつまで続くか分からないそれは拷問以外の何物でもなかった。もうやめたいと何度も思った。

冒頭の言葉は私の実母に言われたもの。
子育てしている今の率直な意見は
「出産時の痛みと子育てのやる気に関連性はない。」
我が子はとてつもなく可愛い。
だがしかし。二人目は欲しいけどあの痛みはもう味わいたくない。
二人目を無痛分娩にしたとして。産まれてから、一人目は普通分娩だったから憎たらしいことを言われようが頑張れるけど、二人目は無痛だったから頑張れない!なんてことになるだろうか、いや、ならないだろう。

上の世代の人の中には、自分が大変な思いや経験をしたことをずーっと、昨日あったかのように覚えていて、乗り越えたことを誇りに思っている人がいる。
確かに大変だったろうし、乗り越えたのはすごいかもしれないけど、同じ苦しみを下の世代に強要する、味わうべき、味わって当然、という風に考えるのはおかしい。
それが実母なのだが。
とても愛おしく思い、死ぬ気で育て上げた我が子。
我が子には同じ辛い思いはしてほしくない、と考えるのが自然なのでは…?

両家の両親とも関東南部にいるが、私は関東でも少々離れたところに住んでいる。
結婚当初は問題なかったが、ここ数ヶ月は夫が平日出張で週末しかいないため、ほぼ息子と二人きり。
もし私が風邪で寝込んだら?もし私が突然倒れたら?と考えると不安が増す日々。
今の居住地の選択を今更後悔して、実家や姉夫婦の家の近くに引っ越したいと切に願っている。
しかし実母は、もっと近くだったらねと言いつつ
「私は九州で一人で子育てした。実家は関東だから頼れなかったし、義両親や義弟夫婦によって嫌な思いをたくさんさせられた。」
という自分の話を出してくる。
だからあなたも頑張るべき、という言葉こそないが、心の中では文末に添えられているだろう。

先日試しに、二人目は無痛分娩がいいと母に話したら、
「そうなの?」の一言。
「その方が身体的にも精神的にも負担が減りそうだからいいよね」
のような前向きな返答はなかった。
何故なら母は冒頭の考えの持ち主だからだ。

実母のことを相当悪く言ってしまっているが、育児のことでの良き相談相手であるし、初孫ということもあり息子をとても可愛がってくれている。夫のいない平日は、月に一度のペースで両方の実家に泊まりに行かせてもらっている。
ただ、重い息子と荷物を抱えての電車移動は楽なものではない。やはり、実家は近いに越したことはない。


出産に限らず、自分がした大変な思いを下の世代(主に我が子)には経験してほしくない。
便利な世の中だからこそ、便利なツールを活用して少しでも良い思いをしてほしい。
私は下の世代に呪いをかけないようにしたい。