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『たった一人のあなたへ』と、独り善がりの狭間で。

少し時間が経ってしまいましたが(こういう事が多すぎる)、先日こちらのイベントに参加してきました。

トークイベント中の言葉を借りれば"開かれた優しい場所"。その言葉通りの空間が広がっていて、全体的に優しく包み込む雰囲気が溢れてました。他の参加者の方がハッシュタグで(大体はイベント当日か翌日に。苦笑)書いていらっしゃるように、本当に暖かな場所。言葉として適切かどうかは分かりませんが、こういう優しさの栄養補給ができる場所がもっと溢れていたら良いなあと思えるような場所でした。

さておき。
今日の記事の中で考えようと思うのは、トークイベントの中であった、"たった一人のあなたへ"という言葉。
もうだいぶ長い間消化しきれずにいる言葉です。

多分この言葉(に準ずるもの)が最初に印象に残ったのは、「かがみの孤城」の著者・辻村深月さんのインタビューを読んだ時ですね。

例えばこのインタビュー。

デビューして二作目を書く時、誰に向けて書いたらいいのか分からなくなってしまった時、編集者に“作家はたった一人の信頼できる読者のために書けばいい”と言われたんです。その言葉は今も私の指標になっているのですが、デビューして十年が過ぎて、その信頼できる読者って誰なのか考えると、やっぱり十代の時の、いちばん厳しい目を持ち、強く渇望して本を読んでいた時の自分なんです。(上記記事より引用)

この本を読んだ時、特にラストの種明かしには震えるほど感動したし、注文ミス以外では初めて、同じ本を2冊以上買った(サイン本がどうしても欲しかった)ってくらいには大好きな本です。だからインタビュー記事も色々な媒体で読み漁ったし、その中で"たった一人の信頼できる読者のために"と仰っていたのが凄く印象に残っていました。

(読んだことない人は読んで。良い本だから)

だからこそなかなか消化しきれない。この言葉に対する答えは、考えてもなかなか出せない。
何度か考える機会があったのですが、その都度答えは出ないんですよね。
ただsoarのイベントで改めてこの言葉に触れて、もう一度この言葉を考えてみたら、答えまでは辿りつかなくても、発想の転換で見えてくるものがありました。

ちょっと長いけど、当初書いてたこの記事の原稿(ver.0とでも言うべきもの?)から引用。

"たった一人のあなたへ"。
多分、文章を書くという行為に限った事ではないと思ってます。何をするにしても、その視点を持つ事ってきっと凄く大切な事。
別にその"あなた"は実際にいる誰かである必要はない。例えば10年後の自分でもいいし、何か架空の人間を頭の中で仮想するのでもいい。

肝心なのは、その"たった一人"を具体的に思い描く事。
その人はどんな環境に置かれているか。どんな経験をしてきたか。どんな問題を抱えているか。どんな風にその人に笑ってほしいか。などなど、具体的に思い描くには、様々な観点からその人を掘り下げる事になる。そしてそれをどこまで具体的に思い描けるかというのは、どれだけ自分を掘り下げ、自分と言うものを知っているかに関わるのかもしれないと感じます。
裏を返せば、自分を知るという事を抜きにメッセージを届けたい"たった一人"を考えたとしても、それは骨抜き・空回りになるんじゃないかなって。これは昔の自分が犯していた間違いだという気もしています。

…というのが今までの自分の考え。
届けたい相手をより具体化できれば、その人に向けたメッセージもより正確にできる。だからこそ掘り下げて考える必要がある…という風に考えていました。

その何がまずいかというと、『大切な事だけど、考えすぎるとドツボに嵌る』って事です。事実この原稿ver.0、このように『具体的に』という路線で書き進めていましたが、堂々巡りにもほどがある内容になってしまったのでお蔵入りに相成りました。

書こうとしていた事を要約すると、『思い描いた、メッセージを届けたい"たった一人"を徹底的に突き詰めるほど、自分のやってる事が向いている方向とのズレが見えてくる。その時、"たった一人"の像を捻じ曲げるのと、自分のやってる事を変えるのと、どっちも違うんじゃないか』って事です。
具体的に考えると言っても、その『具体的』にはゴールが無い。思考の渦にぐるぐる囚われて踏ん切りをつけられない、という事が多すぎるのが良くも悪くも自分の特徴だと思っているのですが、今回も思考の渦に囚われてばかりでした。思考の渦に囚われるあまり、肝心な事を見落として本末転倒…というのは、自分が失敗するときの悪いパターンです。苦笑


そんなときに、"どうして具体的に掘り下げるのか?"という事を考えてみたら、ヒントになりそうな考えが出てきました。
その鍵は"必要十分"という概念。"必要十分を満たすまでは具体的に掘り下げる"という考えは、決して具体的な答えではないにせよ、最も良い解に近づいているような気がします。

必要十分条件は高校数学の話ですが、分かりやすいと感じたのはこの記事の解説。

これではわかりにくいので、東京都民と千代田区民に置き換えて考えてみよう。そうすると、「東京都民であることは、千代田区民であるための必要条件」「千代田区民であることは、東京都民であるための十分条件」となる。
つまり、ある人が千代田区民であるためには、少なくとも東京都民であることが必要な条件で、反対に、ある人が東京都民であるためには、千代田区民であることは(十二分すぎるほど)十分な条件ということである。
この例のように、「必要条件=ゆるい条件=大きい範囲」「十分条件=厳しい条件=小さい範囲」とイメージすればわかりやすいだろう。
(同記事より引用・下記画像含)

このポイントは2つ。
1つ目は、具体的には終わりはないけど、"必要十分"になら終わりはあるし、"具体的"を突き詰めすぎなくても必要十分に至るまで掘り下げれば、伝えたいメッセージは伝えられるはず。という事。
もう1つは、"必要十分"と"独り善がり"は違うって事です。

具体的に掘り下げる…って、一見とことん突き詰めて相手のニーズを考えてるようだけど、どこかで考えてる側の独り善がりに変わってしまう瞬間があるんだと思います。
上記の例で言えば、千代田区に住んでる人に必要なのは千代田区全体の情報であって、千代田区のハザードマップに神田の事だけしか書いてなかったらどうしようもないじゃないですか。それはいわば"独り善がりに掘り下げすぎ"た状態で、飯田橋とか麹町とかの人の方は寧ろ向いてない。

"たった一人"への掘り下げ方が足りないと的を射ないメッセージになってしまう(相手のニーズを捉えきれない)けど、掘り下げすぎたメッセージはあまりに狭いものになってしまって、相手の悩みの大きさ・幅に正確に伝わるものじゃなかったり、時に相手に伝えられなかったりする。相手がこれ以上は必要としないところまで掘り下げたら、本当に届けたいものだって届けられない。そんな事になったら元も子もなくなってしまいます。

そう思うと、今までの自分は『独り善がり』で失敗してきた事ばっかりなんですよね。さっき書いた『思考の渦に囚われる』って言うのがまさにそれで、そう考えると納得できたからこそ"必要十分"が落とし込めたんですけど。
相手の事を考えるとともに、独り善がりにならないように考えるのも、"たった一人のあなたに向けて"何かをするって事なのかな。だから独り善がりにならないようにするには、

とはいえ、独り善がりにならないためにどうすれば良いか、というのが分かったわけでもないです。見えたものはあるけど、まだまだ分からない事だらけ。"たった一人のあなたに"向けて何かをするには、まだまだ今の自分では暗中模索を続けるしかない気がしています。

それでもトライ&エラーで近付いていくしかない。
人の協力・助言を聞いたり、深く考える事を放棄しない。
成長過程だからって失敗していいわけじゃないけど、失敗したからって成長することを諦めちゃいけない。

そんな事でしか近づけないのかもしれません。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
アイコンはsekaiさんよりお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます。

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最後まで読んでいただきありがとうございます!何か心に引っかかる言葉が一つでもあれば、とても嬉しいです。 宜しければサポートいただけるとなお喜びます。具体案はまだ固まってませんが、noteを通して、何らかの形で還元して行きたいと思ってます。

ありがとうございます!コメントを頂けるともっと喜びます!
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from2019.3.15- 大学生。日々考えてる事や思いの丈から、好きなものについてまで、色々なものを書こうと思います。第2回note酒場にいました。
コメント (1)
活動説明会にご参加いただき、またそのうえで感じたことをとても丁寧に綴っていただき、本当に嬉しいです!ありがとうございました。

「"たった一人のあなたに"向けて何かをするには、まだまだ今の自分では暗中模索を続けるしかない気がしています」という言葉が、私たちにとっても深く心に刺さるメッセージでした。なぜそれが必要なのか。どうやったらそれは叶うのか。深く思考していくことはとても大切ですね。

またイベント等でお会いできることを、心より楽しみにしています☺️
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