【連載#4】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜
第四話 そんなんじゃないですから
その日の全体練習終了後、練習開始前に言い争いをしていた男子バスケ部三年生の高橋ツムグと女子バスケ部三年生の小笠原ノアは、女子バスケ部が練習していたコートで一対一の勝負を始めるところだった。
「ツム、喜べ。今日もあたしがお前を完膚なきまで叩きのめしてやるぞ。三つ指ついてお願いしますって言え」
「ふざけんな。毎回負けて夜な夜な枕を濡らしているのは誰でしたか? お前だよ!」
高橋とノアの一対一は練習後の恒例行事として部内に浸透しており、部員は誰一人としてこの勝負に注目していない。高橋とノアの身長は172cmで全く同じ。線が細くオカッパ頭の高橋と、筋肉質でベリーショートのノア。遠目で見るとどちらが男子でどちらが女子か分からなかった。
勝負は先に10点取った方が勝ち。この日、高橋はミドルシュートの調子が良かった。スリーポイントラインから少しだけリングに近い位置からのシュートを高確率で決める。それに対し、ノアは持ち前のスピードを活かしたドライブインからのレイアップシュートを確実に決めていた。
そろそろ片付けの時間。コートサイドから主将の菅野タケルが声をかける。
「おいノア。もう終わるか?」
ノアのオフェンスのターン。ボールを持ったノアが返事をする。
「もうすぐ終わるぞ。あたしの圧倒的勝利でな!」
「圧倒的って。今、8対7。おれのリードだ」
噛み合ってるのか合ってないのか分からない会話に呆れるタケルは「早くしろよ」と言って戸締まりを始めた。
仕切り直し。ノアは高橋にボールを渡す。
「ツム、今更だけど、今日のお前のディフェンス、体に触りすぎじゃないか? ファールだぞ」
「あ? お前が体を当ててきてんだろーが」
高橋がボールをノアに返す。
「いや、違う。ツムの手が腰あたりにやたらと当たる。わざとか?」
「違うわ。不可抗力だ。好きで触ってるんじゃねえし。そんな言われ方は不本意だ」
高橋の言葉に、ノアは目を閉じてフーっと息を吐く。
「ツム。好きで触ってないとか。それは……その言い方は、あたしにとって不本意なんだよ」
「え?」
高橋の腰が一瞬浮いた。その隙をついて、ノアがドリブルで高橋の右側を抜こうとする。とっさに高橋はゴール側に体を移動させた。その動きを予想していたノアはステップバックし、完全にフリーな状態でスリーポイントを放った。ノアが不得手なスリーポイント。二人は放たれたボールの軌道を目で追う。落下軌道に入ったボールはバックボードにぶつかってからリングを通過した。
「ウェーイ! あたしの勝ちー!」
「お前ズルいぞ! 体に触らせないようなこと言って!」
「いや、触りすぎとは言ったけど、触るなとは言ってないし。心理戦も立派な戦術だろ?」
「あーわかったよ。おれの負けだ!」
コート脇の荷物を取りに行く高橋とノア。
荷物を持ってロッカールームに移動するノアに後輩の二年生、上野ナギサが声をかける。
「ノアさんおめでとうございます。今日の戦利品は何ですか?」
「ああ、これからツムに飯を奢ってもらうことにした」
それを聞いたナギサはニイっと笑みを浮かべて言う。
「そんな回りくどいことしないで、一緒にご飯食べようって言ったらいいのに」
ナギサの言葉に、ノアは苦笑する。
「そういうの、苦手なんだ」
「そうですね。まったくノアさん、そういうところだけは可愛いですよね。じゃあお食事楽しんでください!」
ノアは上気した顔をタオルで隠し、右手を上げてナギサに挨拶してロッカールームに入った。
その頃、体育館の外では、地下鉄の駅に向かおうとしていた男子バスケ部コーチの中村アヤノに、二年生のマネージャー、山家ミドリが声をかけていた。
「アヤノさん。この後、ご都合良ければお食事でもどうですか?」
アヤノは足を止め、少し首を傾けながら小柄なミドリの顔を見る。少し茶色の髪を後ろで一つに束ねたミドリは、クリっとした大きな目でアヤノの目をジッと見つめる。
「ええと、それは山家さんと二人きりってことですか?」
「はい。ちょっとお話したいことがあります」
アヤノはミドリの誘いに応じた。二人は大学から地下鉄で青葉通一番町駅まで移動し、そこから徒歩で数分のエスニック料理店に入る。ミドリは慣れた足取りで二階に移動し、一人掛けのソファーが向かい合うテーブルを選んで座った。
「ここ、美味しいんですよ。アヤノさん、来たことあります?」
「いえ。私、あんまり外食しないので」
「へー。お酒も飲まないんですか?」
「お酒は好きです。家で晩酌もします」
「そうなんですか。晩酌のイメージないですけど。あ、でも、お風呂上がりにバスローブ一枚纏って、夜景を見ながら高級なワインを飲んでいそうですね」
「そうですか? 私はワインより日本酒が好きです」
「バスローブに日本酒ですか?」
「ご期待に沿えなくて申し訳ないのですが、バスローブは持っていないのです」
「そうですか。それはとても残念です」
ミドリは話しながらアヤノにメニューを手渡す。
「山家さんのオススメは何ですか?」
「わたしはグリーンカレーって決めてます」
「じゃあ、同じもので」
「ビール飲みます? わたしは飲みますけど」
「ご遠慮します」
ミドリは店員を呼び、カレーとビールを注文する。先にビールとお冷が運ばれてきた。
「じゃあ、乾杯!」
アヤノとグラスをあわせたミドリは、大きめのグラスに入ったビールを勢いよく飲む。
「うー、部活後のビール、最高!」
「あの、山家さん、お話っていうのは……」
あっという間にグラスのビールを飲み干したミドリは「菅野先輩のことですよ、もちろん」と答える。何が「もちろん」なのか、アヤノには分からない。
「アヤノさん、菅野先輩と同じゼミなんですよね?」
「はい」
「アヤノさん、菅野先輩のことどう思ってます?」
「え、どうって……」
「菅野先輩と仲良いんですか?」
「いや、仲が良いってほどでも」
ミドリの矢継ぎ早の質問に、アヤノは防戦一方。そこに「グリーンカレー、お二つです」と言って、顎髭を伸ばした男性店員がカレーをテーブルに並べる。
「まあ、とりあえず、まず。カレーを食べましょう」
そう言ってミドリはカレーをスプーンですくって口に運ぶ。アヤノもそれにつられるようにカレーを食べ始める。二口、三口とカレーを食べたところでミドリがスプーンを置く。
「アヤノさん、菅野先輩のこと、好きなんですよね?」
アヤノは食べるのをやめてミドリの目を見据える。
「ええ。私は菅野くんが好き……」
ミドリの動きが止まる。
「……って言ったら、山家さんは困りますか?」
「いやらしい聞き方ですね。わたしなら『あなたも菅野くんのこと好きなの?』って聞きますけど」
物おじしないミドリはそのまま話し続ける。
「菅野先輩とは同郷なんです。山形市内で、中学と高校が一緒でした」
だから菅野『先輩』。
「そうですか。菅野くんのこと、昔から知ってるんですね」
「たぶん、というか間違いなく、バスケ部の中では一番知ってると思います」
会話がいったん落ち着く。ようやくアヤノのターン。
「菅野くんは今年の六月ごろを境に、様子が変わったように感じています。山家さん、何か知っていますか?」
「へー。アヤノさん、菅野先輩の事、よく見てますね」
アヤノの質問は的を射ていたようだ。
「でも、わたしからそれについて話すことはできません。知りたいなら本人に直接聞いてください。そして、菅野先輩の変化に気が付いているのであれば、先輩にちょっかい出すようなことはやめてください」
「ちょっかいだなんて……」
「あ、スイマセン。言葉が悪いですね。わたしが言いたいのは、菅野先輩のことをそっとしといてあげてくださいってことです」
「…………」
「アヤノさんだからダメとか、そういうことでは無いんです。ただ菅野先輩は、その、触れてほしくないと思っている、と、わたしは思うんです」
「私が、菅野くんの触れて欲しくない部分に触れようとしていると?」
「いえ、いや……はい。今の菅野先輩に、いろんな意味で一番近くにいるのがアヤノさんだと思うから。だから、今日はお話したいと思ったんです」
ミドリの語調は、少しずつ穏やかに、落ち着いたものになっていた。
「山家さんは、菅野くんのことを大事に思ってるんですね」
「ええ、まあ。菅野先輩はお兄ちゃんの親友で、昔から知っているから」
ミドリは、アヤノが自分の目をジッと見つめていることに気がつき、目を伏せる。その様子を見たアヤノは微笑みながら言う。
「菅野くんに対する私の気持ちは、たぶん、山家さんと同じだと思います。だから、菅野くんに対しても、菅野くんを想う山家さんの気持ちに対しても、私は誠実でありたいと思っています」
それを聞いたミドリはホッとした表情を浮かべ、「はい」と短い返事をした。それから二人は黙々とカレーを食べていたが、しばらくしてアヤノが突然「すいませーん!」と今日一番の大声を出す。
「あ、アヤノさん、どうかしました? カレーに虫でも入ってました?」
突然の大声に、ミドリはアヤノが怒っているのかと思ったが、そうではなかった。顎髭の店員が慌てて現れると、アヤノは店員に言う。
「ビール、追加で二杯、お願いします」
すぐに運ばれてきたビールを受け取ったアヤノは、その一つをミドリに渡す。
「山家さん。私も飲みたくなりました。乾杯しましょう」
予想外の展開に戸惑っていたミドリだが、アヤノの行為が自分への好意であることを理解すると、笑顔でアヤノと乾杯した。
「でも、アヤノさん。さっきわたしと同じ気持ちだって言ってましたけど、それは違うと思いますよ」
虚をつく発言に、アヤノは口にしていたビールを一度テーブルに置く。
「わたし、菅野先輩のことを好きとか、そんなんじゃないです。ちゃんと彼氏いますから。アヤノさんが菅野先輩のことを好きなら応援しますよ!」
アヤノは残っていたビールを一気に飲み干して言う。
「やめてください。私もそんなんじゃないですから」
いつもより少し早口になったアヤノの頬は、綺麗な茜色に染まっていた。
サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。