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心のどこかできっと報われると勝手に思っていたよ

まず始めに、私はバスケ経験者ではなく、ルールとある程度の戦術を知ってる浅いファンである事を明記しておく。
そしてあくまで批判や非難をしているわけでも無く、ただただ自分の胸の中だけにしまって置くには重すぎるから疑問や気持ちを綴っている、という事だけは記しておこうと思う。嫌な気分になる方もいらっしゃると思うので、読む読まないの判断は自己責任でお願いしたい。

比江島慎(宇都宮ブレックス#6)
日本バスケットボール界が育てた天才である。
川崎の篠山選手曰く、比江島慎は「日本バスケ界が育てた至宝」とインタビューで語っている。

実際のところ、日本国内だけで戦っていても世界とは対等に戦えない。だから若い頃から世界に飛び出す。時代がもっと進めば世界でプレーする事が当たり前になっているかもしれない。
そんな中比江島慎は一度短期間の海外に挑戦したきり、それ以降はずっと日本でプレーしている。きっと比江島慎の才能を持ってすれば、海外でもっと多くの事を吸収出来そうではある。とはいえ、みなさんご存知のあのお人柄なのできっともう海外に飛び出して行く事はないだろう。

長きに渡り日の丸を背負い、日本バスケットボール界の発展に貢献して来た男。
オリンピックにはまこが連れて来てくれたと思っている。戯言だと言われようが、盲目だと言われようが、私はそう思っている。
今に繋がる結果を残して来た歴代の日本代表に選ばれ続けて来た13年、日の丸を背負い世界にコテンパンにされながら、それでも日本バスケット界の為と戦ってきた。
先人達が居たからこその今であり、今の日本大表は紛れもなく過去最強だと思う。日本バスケの歴史を塗り替えたのは今の若い世代かもしれない。ただ、比江島慎が背負ってきたものや、残して来た功績を天秤にかけた時、そうであって欲しいと思うと同時にそうでなければおかしいと思う。
勝つという事で得られる経験や記憶はさることながら、負けたという事で得られた経験は勝つことより大きい。出来た事より出来なかった事の方がより人を成長させる。

「自信を無くした夏でした。」と答えた2019年夏。
「自分を褒めてあげたいです、少し」と話した2023年夏。
大学の頃に「日本をオリンピックに連れて行ってやる」と宣言(?)し、それを現実にした。
誰にでも出来る事ではない。当たり前だが、まこの力だけで掴んだ夢への切符ではない。だが、どこかのタイミングでこの夢をまこが諦めてしまっていたら、きっと今とは違う今が待っていただろう。
だからこそ、まこが「集大成」と位置付けるパリ五輪で報われて欲しいと願い続けた。

では私が、報われて欲しいと思っていた思いは何なのか?勝利する事か?スコアに残る活躍か?楽しんでプレーする事か?それとも…?
結局のところ、勝つとか、3Pがバカスカ決まるとか、ダブルダブルを記録するとか、そういう事ではなくて、とにかく自分で納得のプレーをして欲しかったんだと思う。
たとえプレイタイムが無くても、無得点だったとしても、まこ自身が納得のいく試合をすることこそが、私のまこへ対する「報われてほしい」の根本にあるものだったのだ。
ブラジルとの最終戦。
きっと1Qでの3Pが決まらなかった理由で後半のプレイタイムが伸びなかったんだろう。そんな事誰にでも想像できる事で、シュートなんて絶対入る保証はない。
それでもトムのバスケに、あの日の比江島慎は必要なかった。そういう事なんだろう。

12年間日の丸を背負って来て、勝てなかった日々を何とかこじ開けて世界と戦えた今。
その集大成として挑んだ大会の最後の瞬間がこれかよ。
HCにしてみれば1選手の覚悟なんて、1試合の勝ち負けに比べれば羽毛くらい軽いものなのかもしれない。そもそも引退なんてさせないよ?次もあるからね、という意思表示なのかもしれない。
だが、今まで何度も頭の中にあった代表引退という言葉。これまで口に出した事はなかったと思う。それを今回は口にした。それだけ覚悟があったはずだ。

ベンチに戻ってもずっとユニフォームのままで居たよね。いつでも出れる準備してたよね。
最後皆んながコートに出て行く中、ベンチで座っていたまこの顔が頭から離れない。そっとのりおが横に座ってたのも見てたよ。勝ちたかったよね。
あの時、何を思っていたのだろうと想像するだけでも胸がギュッとなる。
最後はコートの中に居させてあげたかった。笑って終えて欲しかった。それは私のエゴですか?4Q、一度も出せないくらい酷かったですか?どんな言葉を取り繕ったってやっぱり私は悔しい。本人は1000倍悔しいだろうけど。この気持ちはどう消化したら良いんだろうか。

誤解を恐れずに言うと、何がBELIEVEだよ。W杯ではあんなに「信じる」という事を体現していたチームなのに。結局は個を信じただけで、チームを信じた訳じゃなかったんだ。私はチームで戦ってチームで勝って欲しかった。詳しい戦術は分からない。あれが最善の策だったんだろうとも分かっている。試合自体は3試合共素晴らしかった。世界の壁に対して戦える事を証明し、新たな光さえ見出せた。
なのに、最後、笑顔の選手は誰も居なかったじゃん。負けた悔しさが勝ったのか、日本人らしさ(負けた時は分かりやすく落ち込む)なのか。誰もが自分の責任を感じているなら、それは最善の試合ではなかったんではないだろか?結局、「信じて託す」事が出来なかったんじゃないのか?
結果が全ての世界に理想論は不要なんだろうけど。

そんなモヤモヤを胸に抱えつつ、ブラジル戦から1週間が経った。
まだあの試合を見返す事は出来ないしメンタルは弱ったままだけど、エッフェル塔の前で撮られた写真のまこがアンニュイ過ぎたので少し感情が浄化された。(キャプテンありがとう)

「最善は尽くせた。未来につながるバスケができた。」、悔しい想いを抱えた2024夏。
代表の引退に関しては、やりたいなって思えばやれば良いし、やりたくないと思えばやらなくて良いと思う。答えは急がなくて良い。
ただ、1日でも長く比江島慎のバスケットが見ていたいのだ。
駆け抜けるように去って行った夏。色んな想いを抱えながらもキラキラした思い出とワクワクした胸の高鳴りを残して行ってくれた。
きっと忘れる事はないだろう。

要するに何が言いたいのかと言うと、「私は比江島慎のバスケットが大好きだ」って事。
こんな偏った感情の独りよがりの個人の感想を読んでいただきありがとうございました。

この試合をテレビで見ていた。この瞬間に日本のバスケットのファンになり比江島慎に魅了されたんじゃないかと、今更ながら思う。

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