これってどうなんだろうか…と思う子育てについて。
かあくんがテーブルで頭をぶつけたり、足がもつれて、倒れてしまって泣いてしまうことがあります。
そんなときに、僕はテーブルや床を叩いて、めっめっ!としていました。
かあくんが痛かったのは、このテーブルのせいだな!とか、床のせいだ!とそこに罪があるとしていました。
しかし、これはあっているのか…
間違ってはいないと思いますが、これでいいのだろうか…と不安になってきました。
自分のせいで、手を挟んだり、頭をぶつけたりしたら、自分が悪いのではなくて、そのモノが悪い。
これが、だんだん大人になると、挟んだり、ぶつかったりしたのは、自分のせいじゃない。という考えに成長していくのではないかなと思うようになってきました。
「だれがした!テーブルがしたの!めっめっ」は将来、失敗したのは自分のせいじゃない。という考えに成長するのではないかと考えます。
頭を打って、こけたりしたときに、大丈夫。次はきっとぶつからないよ。痛かったけど大丈夫。強いね!と笑顔で言っていればどうなるだろうか…
想像してみました。
たぶん、誰かのせいにしたり、自分は悪くないと思ったりすることがないかもしれないと思いました。
失敗しても、次はうまくできるとポジティブになれる考えかたに成長するのかもしれないなと思いました。
これだけそうなるとは言えませんが、モノに当たり散らすことは少なくなるのかな…と思います。
誰かのせいにしたり、世の中のせい、社会や地域のせいにしたりする考え方の原点は、もしかしたら、この、「ここがしたの?めっめっ!」と叩く事にあるかもしれないなと思いました。
「誰がした…ここで頭を打ったの?このテーブルはダメね、めっめっ!よし、もうパパが仕返ししたから痛くないよ!いい子だね!」
これをやめようと思います。
ではどうするか?
考えました。
「大丈夫。パパとママがついてるよ!誰のせいでもない、よくあることで、恥ずかしいことでもないし、当たり前のことで、きっと次はうまくいくし、強くなれるってことだよ。強いね、頑張ってるね!いい子だね!大好きだよ。」
と思って声をかける。
こんなふうに思っていれさえすれば、叩くとか、誰かのせいだ!とかへは成長しないのではないかと思うからです。
大人になって、誰がのせいにして自分は悪くないと頑固になって、素敵な景色を見逃して欲しくないなと思います。
もしかしたらですが、ここが原点なのではないかなと思ったことでした。
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