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外連味のない芸術家ソール・ライター

ずっと行きたい、行かなければと思っていたBunkamuraで開催中の『永遠のソール・ライター』展にやっと足を運べた。

1950年代から亡くなる2013年までずっとNYの街や人を撮り続けた写真家ソール・ライター。彼は構図の魔術師であり、隙間の魔術師、反射の魔術師、色の魔術師と一体全体彼の眼には世界がどのように写っているのだろうと不思議に思わずにはいられない、特別な被写体をまったく必要としない、そこにあるものを切り取った、だけれどそれは万人が見られるわけではない特別な世界観が広がっていた。

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運良く併せて観ることの出来た彼の晩年の姿を捉えたドキュメンタリー『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を通して、彼がただただ純粋に写真を撮ることが大好きな人だということがわかって、更に彼の作品に惹かれることとなった。

映画の冒頭で彼は、ドキュメンタリーなど撮って欲しくなかった、なぜならもうひっそりと隠居をして静かに生きたいと思っていたからだ、と述べる。ただ、そこで彼が言う隠居とは、カメラで写真を撮ることを止めることではないことは、どこに出るにも彼が必ずカメラを方にぶらさげて、好きさえあらばシャッターを切っていることからわかる。また、何十年にも渡り撮りためてきた写真たちが、まったく整理されることなく部屋に散乱していることからも、彼が誰かに見せる為や、社会に発表する為に撮っているわけではいことが伝わってくる。

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また、それでも展覧会や写真集などの依頼が来る中での写真の選考のシーンでも彼は、助手が広げた作品リストの中から

I like this one. 僕はこれが好きだな。

であったり、

I think this one's interesting. 僕はこれが面白いと思う。

とあくまでも、彼の琴線に触れるかどうかで選んでいることがわかる。

そんな飾りっ気も見栄も人に媚びる様子を欠片も見せないソール・ライター。

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彼の作品が人の心を捉えるのは、ソール・ライターという一人の人間の美的価値観の追究を彼の作品を通して見ることが出来ているからなのかもしれない。

もしソール・ライターが今の時代に若者としてカメラを手にとっていたとしたら、きっとハッシュタグを一つもつけることなく、粛々とインスタグラムに写真を挙げる、そんなカメラマンになっていたのかも、と勝手に想像してみたりする。

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写真はすべてソール・ライターの影響を受けて撮ってみたものたち(わかりやすい性格です。)

こんな写真を自分も撮ってみたい、この人が見ていた世界を自分も見てみたいと思わせてくれる、そんな写真に出会えたとき、カメラを買って良かったと心底思う。

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