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学歴に期待されているもの

学歴って、
その人の知的な能力への期待もさることながら、
友達や先輩後輩、家族や親戚といった人間関係への期待から重視されるんだよね。

信頼できる、とか、便宜を図ってもらえる、とか、話が早いとか、お金が回ってくるとか。コネっていうものね。

だから、特に就職のとき、先輩後輩でつながりの強い体育会系が有利。

本人はどうでもいいことさえある。

国の政治や経済だって、
地方自治だって、

非常に狭い範囲のお友達で構成された仲良し同士で動かされていて、
そこに学閥とか親戚づきあいとか、名士のご紹介が付いて回る。

学歴がなくてもいろいろできちゃう人は、実力のある人。
できない人ほど学歴=お友達・親戚関係が大事になる。

それは人間社会の常なんだろうけれど、
だから、それをいい悪いって単純に言えないんだけれど、
そこにあるつながりが、そこにつながっていない人たちにとって、
理不尽なものになってしまうことが少なくないのは問題。
類似の世界の中に生きている人だけで議論・検討されるから。
善意でもね。
つながっている人からは、つながっていない人たちの世界がよく見えなくて、いいことしているつもり。
つながっていない人からは、そこで起きていることがよく見えなくて、反論や抵抗が的外れになってしまう。

透明性っていうのかな。お互いによく見えるようにしておくこと。
特に力を持つ人たちに、力が集中しすぎないように。
人は誰でも、いいことしているつもりで動くから、
仲間内だけだと修正が効かない。
自分たちから自分たちは見えない。

日本では学歴は必ずしもその人の知的レベルを示しているわけではなくて、
その人に関する情報としては、
せいぜい18歳時点の要領の良さ、暗記の力、学校文化への適応能力、家庭環境の運不運、我慢強さなどの要素に重みづけされた関数で、
時に入学さえしていれば卒業していなくてもいいっていうのは、
人間関係に期待が持てて、利活用できるかもしれないっていう
旗だから、なんじゃないかな。
前近代的な仕組みがずうっと続いていて、民主主義も真の対話もないなあ。

さあて、どうつき合っていくのかな。まだずっと続くのかな。

※ 大学の授業にもっと意味があれば、違って来るでしょうか?
  海外のように、入学よりも卒業に意味があるようになれば・・・。
※※ 一般化できない部分が多いことは承知の上なのですが。
※※※ 女性の場合、高学歴はマイナスに働くことがあります。その場合は、コネというよりも知的であることがネガティブに取られるのでしょう。
複雑です。
※※※※ 画像はこちらから。https://resemom.jp/article/2019/05/15/50529.html

#学歴 #大学 #民主主義 #コネ






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