なぜnoteをやっているの?自己紹介も兼ねて考えてみた
私は何の為にnoteを始めて、
誰のために、
何を発信すればいいのだろうと考えました。
ただのシングルマザー。
男の子2人のママで極々普通の一般人。
名が知れる有名人でもない。
そんな私がなんの為にやっているの?
こんな事を考えた時に
【私は誰かの役に立ちたい。何かに貢献したいからだ】と気付きました。
誰かが喜んでくれる。
誰かが幸せになってくれる事が私の幸せでもあるんだ。
私が辛かった時、悩んだ時、しんどかった時、
何も分からない、先が見えなくて不安でどうしようもなかった時に支えになったのはやっぱり人との繋がりや言葉や行動。
私を支えてくれた沢山の方達のおかげだったんです。
だから私も誰かが喜んでくれることをしよう!
そう思いました。
私の経験や今まで生きてきた人生。
世界人工 77億人。
いろんな人がいていろんな人の人生ドラマがあってその中の1つでしかない。
だけどその経験がもしかしたら誰かの役にたてるのではないかと思いました。
現在30歳。
年齢を言うとまだまだ何でもできるんしこれからだよと良く言われます。
確かに30年しか生きてないしこれから経験できる事はまだまだ沢山ある。
ただ、私の30年人生ストーリーはこんな感じでした。
そう。
私としては普通の人生です。
長野県出身。
家は3LDK。借家の平屋。
築50年ほどになるんでしょうか。
父は会社員。
母も会社員。
2つ離れた兄と5歳下の妹がいる。
真ん中っ子長女。
共働き夫婦の中で育ちお金はそこそこ普通の生活をするくらいはあったんだと思います。たぶん笑。
まあ裕福な暮らしではなかったですね。
むしろ貧乏?笑
ですが山々に囲まれ綺麗な空気と自然を満喫できる野山を駆け回りのびのび育ってきました。
子供部屋は1つ。
3人の勉強机があり、兄弟みんなそこで勉強している姿を見た記憶はほぼ無く物置化していました。
ですが1人づつ買ってくれた事は本当に感謝ですね。
居間の真ん中にこたつが1つ。
食事をするのも寝るのも勉強するのも全部そこで完結。
夏は川の字で寝て冬はこたつを囲み□の形で寝た。
家の中にも関わらず息が白くなってた事を思い出すとちょっと笑ってしまいます。
学校へ登校するにも田んぼのへりを通り水路をまたいで学校へ行ってました。
ダンボールをソリの代わりににして近所の堤防を滑り友達とおおはしゃぎ。
探検隊だなんて言って近くの山を道も分からないまま登ったり降りたり。
柳の木の枝をブランコにして自然のおもちゃで日が暮れるまで遊んだ記憶は鮮明ですね。
そんな私は小さい頃からなぜか絶対家を出ると決意していました。
それは私の家は創価学会一家だったから。
それが大きな要因とは言い切れなくともなぜかそこから離れた生活を望んでいました。
朝晩の勤行が無い生活。
強制的に座談会という集会に参加しない生活。
創価学会にはその地区それぞれの会館というものがあります。
月1回会合が開かれ衛生放送で創価学会長の話や創価学会に入ったことでどんな成功体験をしたのか体験談を聞くというのが一連の流れです。
これもほぼ強制参加。
なんでこんな事しなければいけないのか。
そもそもこの活動が無かったら。
その時間を他の事に使えたら母親や父親もそんな忙しくならずに済むのでは?
なんでそんなに毎日忙しそうなの?
普通の家庭ってどんな感じなのか?
ふわふわと自分の中で疑問に思いながらも生活をしていた高校生くらいの時。
父親は突然相談もなしに会社を辞めてきたと帰ってきました。
人間関係にもう耐えられなくなったと。
お惣菜とかお寿司とかを入れるタッパーを製造する会社に高校卒業したと同時に入社した父。
勤続十数年の会社から出てきてしまいました。
兄は大学に進学し、私は記憶が定かではないですが進路をどうするかという最中の急な退職。
お金が掛かるのはこれからだという時の突然の出来事に家族みんなが訳分からなくなりました。
今思えば父も色々あったんだろうし言いたい事もあったんだろうと思いますが当時は意味分からない行動の父にずっと反発していました。
母は昼夜仕事を掛け持ちし、
昼の仕事と夜は工場へ夜勤の製造の仕事。
なんか背中が痛いんだよね。。と言いつつも私達が寝るくらいの時に出勤していた事を今でも覚えています。
とにかくずっと忙しいまま動き続けていた両親。
兄は小さい頃から重度のアトピーを持っていたのでその看病にも追われ、と思えば今度は妹が生まれそっちのお世話で忙しく時はたち平凡になるかと思いきや父が退職。
母はずっと仕事家事育児とめまぐるしい日々。
私はとにかく寂しかったんです。
言いたくても強がって言えない。
甘えたくても甘えられない。
だって迷惑だと思われたくなかったから。
悩ませたくなかったから。
自分が親になってそんな事なんで勝手に考えてしまったんだろうと思います。
いつでも甘えて来てほしいし、
いつでもどんなことでも話して欲しいし頼りにして欲しいと思うのが親心なんだなと理解しました。
その時になってみないと分からないというのはこういう事なんだとまた親の学びがありましが、当時はそんな事分かりもせず勝手に寂しい思いをしていたんだと思います。
私は家を出れば寂しさを感じずに自分で自由に生きてく事ができる。
なんでも自分で決めれるし時間も自由だし新しい自分になるんだ!
そう思って18歳で上京し専門学校に進学しました。
でも、
それにはいくらの学費が必要で、
引っ越し費用はいくら掛かって、
生活費はいくらで?
家賃はいくらで?
日用雑貨はいくら?
食費はどうする?
交通費はいくら?
私は何も知りませんでした。
今まで生活が出来ていたのは両親が毎日一生懸命働いてくれて食べさせてくれたから。
創価学会の活動の中で勇気をもらい前向きな精神を身につけ他者を思いやる気持ちと挑戦する覚悟を養っていたからできたことだったんだと。
どんな事にも否定せず背中お押してくれて、私がやりたいと思った事は全力で応援してくれた。
挑戦させてくれたし全部全部両親のお陰だったんだと今の今でようやく分かりました。
私が誰かの役に立ちたい。
誰かの喜んでくれる笑顔が見たい。
それが私の幸せ。
こんな風に思わせてくれたのは世界中でただ2人の両親のおかげだったんだと私は気づく事が出来ています。
私はこのnoteという活動を通して少しでも何かの役に立てる事を発信していきたいと思ってます。
幸せの価値観というのは人それぞれなのでこの記事を読んでくださる方に幸せになって欲しいとは思いません。
まずは誰かの役に立つことで自分が幸せになりたい。
そう願い書き続けたいと思いました。
自分が幸せでないのに他人を幸せにすることはできない。
私は毎日を幸せに生きる為にこのnoteを書いています。
上京した18歳から今日までのストーリーは内容がまあ濃いのでまた次回としましょう笑。
今日も素敵な1日をお過ごし下さい♪
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