見出し画像

グランパの戦争 従軍写真家の遺した 一千枚

従軍写真家の遺した写真を読み解く という番組だった。
まだ若い写真家で、敵国の人間の人権なんてことは、最初からあったとは思わないけれど。

写真の中には米軍の死者の写真も沢山あったが
軍にするときには採用されなかったそうだ。

硫黄島を経て、敗戦後の日本に入り、民間人の貧しさを撮る。
当初の占領軍は40万人

日本が最初にしたことは、慰安所を作るという事だ。
合法の買春施設
「南京等の日本が侵略したところで起こったことを起こしてはならない」
と、思ったそうだ。当時の政府関係者が。
略奪凌辱行為である。(そこは明言されていないが文脈でわかる)

空襲で、家や家族を失った女性たちに、職を斡旋したんですと。
みんな貧しかったんですと。
当たり前だ。
焼け出された不幸な女性に犠牲になってもらって、
まだ不幸になっていない子女を守ったんですと。

駐留軍が縮小されて慰安所が無くなっても、そういう買春は残った。
それしか仕事がなかった。
ぱんぱんと呼ばれた。
そういって、市民から差別され、蔑まれた。


強制連行とか、ちゃんと調べたらいくらでも状況証拠が出てくることなのに、いろいろ無かったことにしたい人の気持ちがわからない。
謝り倒しても許されないことはいくらだってあることを知らない人たちか。

国内にはなかったことにしろ とか教科書の内容に口出しするのに
戦争裁判で、情状酌量されるべき人がいたことについては知らん顔する。

そういう人が、戦争をやりたがる。または
他国の戦争で 儲けようとする。
顔ぶれを見ているとそうとしか思えない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?