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『ジュディ 虹の彼方に』『ジュディ・ガーランド物語』を観て教わったこと。経済的困窮が人生を台無しにする。

レネー・ゼルウィガーがアカデミー賞主演女優賞を受賞した映画『ジュディ 虹の彼方に』”JUDY”(19年)を観てから、ぼくの中でのジュディ・ガーランド熱がまた出てきてしまい、あれこれ引っ張り出してきて眺めたりしている。

その中でも、ヘビロテになっているのが、1961年4月23日にNYカーネギー・ホールで行ったライブ「ジュディ・アット・カーネギー・ホール」。このアルバムはその年のグラミー賞にも輝いた名盤中の名盤。後にも先にもこんな素晴らしいライブ・アルバムはないと断言できるくらいスゴい。「スワニー」「トロリー・ソング」「虹の彼方に」等々のジュディの熱唱と、観客の熱気が音だけでも充分伝わる、まさに〈伝説の夜〉の記録である。

それを何度も聴きながら、今度は昔録画した『ジュディ・ガーランド物語』”Life with Judy Garland: Me and My Shadows”を引っ張り出してきて再見した。上に書いた「ジュディ・アット・カーネギー」の再現シーンもあるからだ。
この作品はテレビのミニシリーズとして、前後編で2001年に制作されたもの。若手時代のジュディを演じたタミー・ブランチャード、後年のジュディ・デイビスは、ゴールデングルーブ賞でそれぞれ助演女優賞、主演女優賞を受賞している。日本では、NHKのBSで放送された。

Reference: IMDB

原作が、3人目の夫との間に生まれた娘のローナ・ラフトだから、ジュディの波乱に満ちた私生活が生々しく描かれている。その生い立ちから、死に至るまでのジュディの人生は過酷だ。本名フランシス・ガムという一人の女の子が、自身の容姿に自信を持てず、皆に嫌われてるんじゃないかという恐怖心から、過剰なまでのサービス精神と責任感で、芸名ジュディ・ガーランドとしてエキセントリックに生きていく。そのために彼女は食欲減退の薬、精神安定剤に頼り、結果的に彼女自身のキャリアも人生も台無しにしてしまう。

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原題が”Me and My Shadows”とあるように、娘のローナは愛する母ジュディのため、そして時折発作をおこす母から弟を救うため、子供の頃から精神をすり減らしながら生きていた。娘時代は、母と一緒に舞台にも立ち家計も支えた。その長年の過労がたたって、ある朝台所で倒れてしまうローナ。彼女が平穏な生活ができるようになったのは、離婚した父親のシドニー・ラフトのもとへ行ってからのこと。(だから、ちょうど『ジュディ 虹の彼方へ』で描かれたロンドン公演のエピソードはすっぽり抜けている。)

ジュディ・ガーランドが〈愛〉を求めてしまうのは、若くして大好きだった父親が亡くなったから。自分を受け止めて、自信を持たせてくれ、優しかった父。その父はゲイだった。母はその事実を知り、不幸な自分の結婚をゴマかすため娘を大スターにしようとする。
ジュディがその後結婚する芸術肌の映画監督ヴィンセント・ミネリも、オフ・ブロードウェイの売れない俳優 マーク・ヘロンもゲイだった。彼らに惹かれたのは父に似た匂いがあったからかも知れない。だが彼らは父のような大きな包容力はなかった。

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(2番目の夫 ヴィンセント・ミネリとジュディ・ガーランド)

愛を求めすぎたジュディもかわいそうだが、彼女が不幸になった最大の原因は、晩年の経済的困窮だ。『ジュディ 虹の彼方に』でも描かれるように、ホテル代にも事欠いてロンドンの長期公演を受けざるを得なくなる。そのために最愛の子供たちも手放すことになるジュディ。

12歳の時からMGMの契約に縛られて、まともな人生を歩めなかったジュディ。クスリの影響もあり大変だったのもよくわかる。だが、だれか一人でいいから、彼女にお金の使い方を教えてあげる人がいてくれたらと思う。つまりどんなに稼いでも、それ以上に浪費してはいけないと教えてあげてほしかった。
税金も払えない、借金だらけ、なのに大勢の使用人もいる豪華な生活をし、ホテルも超一流のところへ泊まる。

かつての大スターたちがたどった道は同じようなものかも知れない。アカデミー賞を取った『アーティスト』(11年)でも描かれていたように、売れてる時はまわりもチヤホヤするから、大盤振舞いしてしまう。売れなくなってからは、生活レベルを落とすことが辛くて自殺未遂までしてしまう。

欧米の大スターは、とてつもない金額のギャラをもらうから金銭感覚が麻痺してしまうのだろう。マイケル・ジャクソンも、子供時代からショウビジネスにいて、金銭感覚もおかしくなっていた。

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きらびやかな世界に生きた才能あるスターの末路とはいえ、ズタボロになって死んでいくのを見てるのは哀しい。お金を残すことばかり考えるのではなく、ちゃんとお金があって普通に生活できる人生を送らなきゃ。ミエを張らずに、その時その時で、自分の身の丈にあった生活をしなければ、お金は簡単にその人の手から離れていってしまう。人に頼るのではなく、自分でお金の管理を学ぶこと。そうしないと悲惨な人生が、悲惨な老後が待っている。

ジュディの人生を振り返りながら、そのことを改めて教わった。自戒も込めてここに記しておく。

ちょうどジュディがMGMにいた1935年に公開されたジョージ・キューカー監督(「スタア誕生」)による、ディケンズの「デイビッド・コパフィールド」の映画化『孤児ダビド物語』(35年)の名セリフを最後に書いておく。ロジャー・イーデンスやケイ・トンプソンといった良き友人たちも、ジュディに、それとなくこの映画を観るように薦めてくれればよかったのになぁ、なんて思ったりしている。

「君に助言してあげよう。毎月の収入が20ポンドで、支出が19ポンドなら、君は幸福になれる。毎月の収入が20ポンドで、支出が21ポンドなら、君は不幸になる」

“I counsel you: Annual income, 20 pounds. Annual expenditure, 19 pounds. Result? Happiness. Annual income 20 pounds. Annual expenditure 21 pounds. Result? Misery.”

てなことで。

関連:『ジュディ 虹の彼方に』 JUDY 伝説の大スター ジュディ・ガーランド 晩年の孤独

関連:【懐かし洋画劇場】『スタア誕生』(54年)ジュディ・ガーランド主演の名作ミュージカル・ドラマ その光と影

(Image Credit)

judy garland and vincent minnelli
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judy garland at greek theater
https://en.wikipedia.org/wiki/Judy_Garland#/media/File:Judy_Garland_at_Greek_Theater.jpg



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