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紅辛いまち吹屋:山田方谷の里に移住してきた現代の上杉鷹山、佐藤拓也さんをご紹介

地域で活動する人を応援する企画。
今回紹介するのは、岡山県高梁市吹屋に地域おこし協力隊として8年前に移住してきた男。「地域への恩返し」と「長く住みたい」願望をかなえるために、町並みとつながるストーリーでこの「紅に染まるべんがらの町」を盛上げる。

こんにちは
ライフもワークも最高に
目標達成支援プロフェッショナルのNobuです。

「この町の景色が大好きなんです。この景色の中で暮らしている自分は他の人と違ってかっこいい。価値観としては六本木ヒルズの最上階に住みたいと考える人と似たようなもの」と、佐藤さんは熱く語ってくれた。
だからこそ、その町並みで唐辛子を作り、町並みのお店でそれを消費する。さらには加工品として付加価値をつけ、目に留まるパッケージにして外に売り出す。

まさに、江戸時代に米沢藩の立て直しで、上杉鷹山が行ったように、佐藤さんは活動している。

佐藤さん

佐藤紅商店「紅だるま」のおいしい食べ方

紅だるま2

-先日偶然にも東京で発見した「紅だるま」。僕の食べた感じは、最初はゆずの香りがバーンと強めにきて、最後に辛みがガツンと来るようなイメージでした。

そうです。ほかの一般的な柚子胡椒に比べ、塩が少ない

ゆずの香りは、あったかいものに合わせるとより強く、香りがはじけるように感じ、逆に冷たいものに合わせると、辛さを強く感じますよ。

今の季節からは、そうめんや冷やっこと言った冷たい食べ物が最高です。あったかいものでは、鍋はもちろん、焼き肉の上に「ガッ」と載せるとうまいです!

女性はマヨネーズに合わせるのも好きみたい。

佐藤紅商店2

-わぁ、ヤバイ奴じゃないですか(笑)

そう、ピンク色の見た目でマイルドな中にアクセントが効いて、キュウリなんかおいしいですよ!

-チーズなんかにも合いそうですね。今夜、冷やっことチーズ買ってきます。

ぜひ、試してみてください!

吹屋は弱くて強いまち

-ところで佐藤さんの今住んでいる吹屋って、どんなまちなんですか?

そうですね。一言でいうと「一番弱くて強い町」だと思います。

-面白い表現ですね

もちろん、地図で見ると、めっちゃ小さい点のような場所ですし、人口も減り続けていてちっちゃいまち。はかないというか、高齢化もどんどん進んでいる、弱い町なんです。

その反面、今回のように世の中が大きく変化しているときでも、比較的影響を受けずに、日常を過ごせる強い町でもあるんです。しかも、新しいことに挑戦できるし、自分で責任をもってやっていくことで「自分らしさ」を熟成していける、そんな町です。

大阪でサラリーマンしていた時は、ストイックに自分を追い込みながら仕事していたけど、自分の意志とは違う方向性も受け入れなければならず、苦しいところもあった。今は自分の意思決定が生活に直結する苦しさはあるが、その分、充実している。

スタートは地域おこし協力隊

-もともとはサラリーマンだったんですね。移住されたきっかけは何だったんですか?

自分は京都府出身で、大学は愛媛でした。就職して大阪で営業をやっていました。もともと田舎の風景の中で生活したいという想いはあったのですが「老後かなぁ」なんて考えていたんです。

会社に入って3年経ったころ、彼女が実家高梁市の近くへの就職が決まったんです。それを聞いて、老後と思っていたけど、せっかくなら早く住みたい!と、思うようになり、いろいろと探してみました。

そこで見つけたのが「地域おこし協力隊」だったんです。しかも、一度行ったことがあって魅了されていた「吹屋」で募集があって。これは運命だと思い、すぐに問い合わせました!

すると、「先約がいます」といって、別の地域を紹介されたんです。。。
正直へこみましたが、近くのその地域でもいいかと思っていたんですね。

しばらくたって、市からまた連絡が。「吹屋を希望されていた方が辞退されましたが、どうしますか?」と。

いやぁ、本当に運命というか、を感じましたね。「もちろん」って、即答でした(笑)

-そこから吹屋での生活が始まったんですね

はい。でも、最初は「任期が終わる3年後は、果たしてどうなっているんだろう。ちゃんと生活できているだろうか?」と、不安ばかりでした。

正直なところ、「地域に受け入れてもらって長く住みたい」という想いの答えを探す3年間でした。

1年目は、畑に蕎麦を植えてみたりしました。その時、近所の人たちは「どうせうまくいかんだろう」と思いながらも、作業を手伝ってくれました。

2年目になると、いろいろなイベントを開催したりして、徐々に信頼を得てきました。

そんな中迎えた3年目、「自分は本当は何を実現したいのか?」を考えたとき、「地域の特産品を作りたい」に行きついたんです。やさいや穀物を大量に仕入れて、道の駅に卸したりしていたんですが、そんな時に地域で食べられていた「柚子胡椒」に出会ったんです。

隣町のおじさんがくれた柚子胡椒を、仲間と鍋をした時に食べてみて、すごくおいしかった。しかも色も紅で、吹屋のべんがらと合う。「これを特産品にしょうや」って、なったんです。

紅だるまの誕生

-そこで紅だるまが生まれたんですね!

まだまだ。それが2015年。当時、ゆずは近くでたくさん作られていましたが、唐辛子はなかったんです。そこで、道の駅などで買いあさって、夜にみんなで集まって、唐辛子を手でつぶしていくんです。

素手でやってたから、手がめっちゃ痛くて、夜も眠れないくらいでしたよ。それで何とか柚子胡椒としてモノになったんです。

最初は「べんがら柚子胡椒」で出そうとしていたんですが、”べんがら”自体があまり知られていなくて、インパクトに欠けるってみんなで話していました。

とあるときに、試作で作った柚子胡椒を丸い瓶に入れたところで、ひらめいたんですね。「だるまみたい」って(笑)

そこで「紅だるま」と名付けて売り出したんです。

-僕は結構柚子胡椒好きなんですが、ふつうは緑ですよね?

このあたりで食べられていたのは、もともと紅色だったんですよ。だからそれほど違和感なかったです。

最初の年は200個作って売りましたが、すぐに売れました。でも、その年で地域おこし協力隊が任期満了。。。

どうするか悩んでいたところに、「しっかり活動してくれたから」と、市役所から次の仕事をいただき、「住み続ける」ことができたんです。

その仕事をしながら、次の年は10倍の2,000個を生産。翌年には「これを仕事にしたい」と、思うようになり、楽しみで作るのもいいが、ちゃんと体制を作って行こうと、「佐藤紅商店」として個人事業主になったんです。

その2017年は5,000個、2018年は12,000個、2019年は23,000個を作り、やっと自立できたんです。

佐藤紅商店

夢はそれほどない。長く住みたいだけ。

-夢を「夢で終わらせる」人が多い中、やり抜くのはすごいですよね!

夢かぁ。夢ではないかな。どちらかと言うとノープラン。とにかく「長く住んでいたい」んです。

山の中の町の風景が好きなんですよね。ここは標高550mの山の中。すごく不便なところにあって、町と産業があった。すごくないですか?

そんな景色が好きなんです。吹屋の町を見ていたいその風景の中にいる自分がかっこいいというか、人と違っていいと思ってるんです。価値観の違いだと思うんですが、「六本木ヒルズの最上階に住みたい」と思うのと同じ感覚かも(笑)

-そこに長く住みたいというのは、昔から住んでいる人と同じでも、住みたい想いは違うように感じますね

確かに。地域の人には恩返ししたいと思っています。1年目から外から来た自分にみなさんが協力してくれた。その経験がスタートですし、町並みだけでなく、皆さんのことが好き。

想いとしては、町並みを守りたいというか、町を守り続けないと、長くは住めないですから。

そんな中で、外から来た自分の視点というのは持ち続けて、バランスをとりたいですね。だいぶ染まって来ていますが(笑)

-うーん。私は出た方なのであまり言えないけど、外から地元を見ると色々と思うことはある

そういった意味では、地元に想いを持っている人は多いと思うし、そういった人が外で得た技術を持って帰ってくれると嬉しい。

今の生活があるので戻れないけど、何か役に立ちたいと思っている人。例えば、デザインでもいいし販路開拓でもいいし、なんでもできる。

町並みと唐辛子をつなげるストーリー

-そういった佐藤さんが今取り組んでいることを教えてください

唐辛子と地域をつなげたいと思って進めているプロジェクトがあります。「吹屋ふるさと村紅唐辛子プロジェクト」といって、「紅辛い吹屋」を目指しているんです。

町並みで唐辛子を栽培して、プランターとかでもやっています。できた唐辛子を、町並みの飲食店で使ってみたりと。せっかく作り始めた唐辛子を地域とつなげたいんです。

-なんだか物語と言うか、ストーリー性を感じて、スッと入ってきますね

耕作放棄地を活用し、町並みで唐辛子を作り、もともと作られていた柚子と合わせ、紅色の柚子胡椒を作って売るんです。柚子胡椒だけでなくて、町並みの中でも消費され、町の皆さんが喜んでくれる。

むかしからのべんがらで紅の町並みはNobuさんも知ってると思いますが、次は、物語でパワーアップした「紅辛い吹屋」にぜひ来てくださいね!

唐辛子

まとめ

すごく吹屋愛のあふれる、熱い時間でした。「できるだけ長く住みたい」という想いが彼の活動を支えています。

移住してきて、そこで産業を興し、ストーリーで広げていく様は、若くして養子に入り米沢藩を見事に改革した上杉鷹山に重ねてしまう。しかも、その少し後に備中松山藩を立て直した山田方谷の里でというのもなんだか面白い。

あまり多くは語らないが、たくさんの苦労や失敗をしてきたはず。

でも、吹屋の風景が好きで、吹屋の人たちが好きで、だからこそ長く住みたい一番弱くて強い町で、これからも活動の幅を広げていってほしいです。

 佐藤紅商店はこちら
 岡山経済新聞での紹介記事はこちら

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